離宮での晩餐〈2〉
♢♢♢
リィムが二人の小間使いを従えて部屋へ入ってきた。
「俺も支度にとりかかるとしよう。また後でな、リシュ」
こう言って、リィムと入れ違いにロキルトは部屋を出て行った。
「こちらに来ていたんですね、姫さま。驚きました」
「そうか、リィムにはまだ話してなかったね」
「晩餐の件なら聞きましたから。私もお供するようにと仰せつかりました。でもその前にお召し替えを。衣装も御髪も替えるようにと陛下の御命令です」
リィムが後ろに控えた小間使いに目配せをすると、彼女たちは抱えていた荷物を床に下ろした。
「急だったので選ぶのに困りましたが……。衣装はこちらの二着から、あと靴と小物はこちらになります。最初に姫さまのご意見を聞いておきますわ。どちらか気に入った方を試着してくださいませ」
「……どちらとか言われても……」
リィムが持ってきたのは橙黄色の衣装と赤紫色の衣装だった。
橙黄色のドレスはシンプルなデザイン。そのぶん髪飾りや耳飾りなどの装飾品を使いますからとリィムは言った。
一方の赤紫色はレースやフリルがたっぷりと使われ、凝ったデザインになっていた。
(……どっちも派手だな)
「さあ、どちらにしましょうか、姫さま」
(……ぅ)
仔リスのような愛らしい瞳をキラキラさせてリィムが訊いてくる。
「じゃあ、髪や耳に飾りを付けなくていい方の服にしてほしいわ」
「では赤紫色のこちらにしましょう。この色合いでしたらリシュさまの御髪とよく合って、髪飾りを付けなくてもいいですわ。
でも首元があいているデザインですから、少し寂しい気がしますね。何か一つ首飾りを着けた方がいいかと」
「わかったわ。リィムに任せるから」
正直、面倒くさくて。
リシュはリィムに任せることに決めた。
衣装よりも何よりも。
これから起こりうる事態の予測を少しでも頭の中に置いて、心の準備をしておきたかった。
「ねぇ、リィム。あなたはロザリア様を見たことある? どんな雰囲気の方か知ってる?」
ロキルトは言っていた。ロザリアの見た目や雰囲気に騙されるな、と。
「そうですね、私も遠くから御姿を拝見しただけで、お話したことさえありませんが。見た感じは小柄でいくらかふくよかで。とても穏やかな雰囲気の方でした。お噂でも、物静かで控えめで、慈愛に満ちたお方であるという評判です」
前王ルクトワの第五妃の身分だった彼女の話は、母リサナから出たことは一度もない。
ルクトワには六人の妃がいたけれど。
リサナは四番目。
前王崩御の際、あまり公にはされていないが継承をめぐり死者まで出る骨肉の争いがあったのだ。
妃同士、仲が良かったなんてことはあまり考えられない。
わたしもリサナもここでは異質者で。
気味悪く思われていたのだから尚更、交流などなかったが。
ロキのお母さんって、どんな人だったのかな。
わたしと母様と入れ違いに王宮へ戻された親子。
六番目の妃。
確か名前は……エファーナ。
「リィムは王宮に仕えてどのくらいなの?」
「私はまだ二年ほどです。やっと城内で迷わなくなりました」
リシュの着付けを手伝いながらリィムは笑った。
……そうか。
エファーナのことはスウシェ様やおじ様の方が詳しいかもしれない。
直接ロキルトに訊くこともできるが。
彼が素直に話してくれるとは思えなかった。
毒殺された母親の話など。
でも……
あの暗殺事件の犯人って……
どんな人物だったのだろう。
思えばそれは、リシュの記憶の中には無い情報だった。
(捕まったのかどうかも、わたしは知らない……)
この件はまた後で、ラスバートに訊いてみようとリシュは思った。
♢♢♢
「さあ、準備が整いましたわ」
髪飾りはなかったが緩く編んで結い上げられ、僅かな量の髪が首から肩へと下ろされている様子からは柔らかく自然な印象を受ける髪型に仕上がっていた。
「最後にこちらを」
リィムが小箱から涙型をした碧石の付いたネックレスを取り出し、リシュの首へ着けた。
碧石は胸元に丁度良いアクセントになった。
「綺麗な宝石ね」
「実はこれ、スウシェ様が選んでくださったんですよ」
「え、そうなの?」
「はい、衣装選びをスウシェ様にも手伝ってもらっていて。
この首飾りなら、どちらの色の衣装にも合うから持って行くようにと」
緑碧よりはやや青みの強いその宝石の色に、リシュはスウシェの言葉を思い出した。
「陛下は青色がお好きだと聞きました」
スウシェも同じことを言っていた。
「きっとお喜びになりますわ」
……そうかな。
べつに喜んでもらわなくてもいいんだけど。
落ち着かない気分に鬱陶しさを感じていると、部屋の扉を叩く音がしてユカルスが顔を出した。
「馬車の用意が整いました。外へどうぞ」
「参りましょう、姫さま」
ユカルスとリィムに促され、リシュは頷き椅子から立ち上がった。
肩から胸元へと下りた艶のある青い髪がふわりと揺れて、胸元の碧石がチカリと光った。
♢♢♢
注目を浴びながら広い通路を行き、目を見張るほど豪奢なエントランスに出ると、視線の先にロキルトが見えた。
いつもより幾分、飾った衣装に身を包んでいるロキルトは、いつもよりほんの少しだけ大人っぽく見えた。
痛いほどの視線の中、人々の前でロキルトはリシュに手を差し出した。
恭しく、大袈裟に。
───ここでなければ、
この場所でなければ。
きっとわたしは手をとったりなんてしないけど……。
今は仕方ない。
人々の囁きの中で、相変わらず聴こえる懐かしい愛称。
毒視姫。
周囲からの声も視線も、目の前の少年王へ向けられるものと一緒だということに、リシュは気付いた。
感嘆もあり、驚愕もあり。
異質なものを見る眼差しもあり。
魔性王と魔女の娘だものね。
でもこれ、意外と盾になるんじゃないかしら。
ロキはどう思っているかは判らないけれど。
わたしの場合、着飾って視線を跳ね返すにも限度がある。
本当は、今すぐここを逃げ出したいくらい怖い。
でもわたしには毒を視る力がある。
誰にも真似できない力が。
だから……。
リシュは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
怖がらなくてもいい、
逃げ出さなくてもいい。
わたしは毒視姫なんだから。
今はそれを盾に進もう。
わたしがロキの横に立つだけで、差し出されたこの手を取るだけで、何かが大きく変わろうとしても。
受け入れていかなければ。
真実へは辿り着けない。
リシュはロキルトの差し出した手に自分の手を乗せた。
「……上出来」
こう言って少年王はふわりと微笑むと、毒視姫の手をとりながら馬車へと向かうのだった。
♢♢♢
離宮に着き、馬車から降りたロキルトとリシュを最初に出迎えたのはオリアルだった。
「ようこそ陛下、そして姉上様も。お待ちしていました」
揃って従者に案内されながら館の中へ進む。
離宮と呼ばれていても、王族の居館である。
外装も内装も壮麗で厳かな宮の造りに、リシュは歩きながらもしばらく魅了された。
やがて、天井の高い通路の続く通りへ案内されると、少し離れた中央に一人の女性がこちらを向いて立っているのが見えた。
近付くにつれ、その女性がロザリアであるのだとリシュは感じ、身体に緊張が走った。
「陛下、お出迎えに遅れてしまって申し訳ありません。おもてなしの準備に時間がかかってしまって、先にオリアルを行かせましたの」
「もてなしか、何か凝った趣向でも用意しているのか?」
「ええ、陛下のお口に合うものをたくさんご用意致しましたのよ」
小柄で丸みのある容姿。
常に絶やさない微笑みには品がある。
童顔なせいもあり、彼女を包む雰囲気は優しげでその場を和ませるものがあった。
「今夜は大切な姫も一緒だ。俺だけでなく彼女にも素晴らしい晩餐であることを願おう」
「まあ、そちらがお噂のリシュ姫様ですのね」
ロザリアの眼差しが真っ直ぐにリシュへと向けられた。
「……はじめまして。お招きいただきありがとうございます、ロザリアさま」
「ああ……やはり、リサナ様によく似ていらっしゃいますわね。
私、あの方とはあまり親しく接する機会がなかったものですから。
リサナ様とは一度ゆっくりお話しをしてみたいと思っていましたが、それも叶いませんでした。
でもこうして姫様とお逢いできたこと、とても嬉しく思いますわ。
陛下も姫様も、今夜はゆっくりしていってくださいませ。
なんでしたら当方の館で夜明けを迎えられる仕度も整えてありますから」
夜明けって……。
泊まるってこと!?
ここへ……冗談じゃない!
「それもいいな」
顔が引きつりかけたリシュを面白そうに眺めていたロキルトが笑いながら言ったので。
おもいきりロキルトの足を踏み付けてやりたいところだったが我慢した。
「さあ、どうぞこちらへ」
ロザリアに促され、ロキルトとリシュは奥の間へと歩き出す。
東の離宮で
憂鬱な晩餐が幕を開けた───。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます