離宮での晩餐〈1〉




 庭園から、ロキルトは宵の宮とは反対の棟へ向かった。



(……たしかこっちはロキが居室として使っているところだ)



 彼の部屋がある棟から庭園は繋がっているのだと、リィムから聞いてはいたが。



 同じ作りのような棟に入ってしまえば先を案内する者がいないと自分が今どこら辺を歩いているのか、リシュには判らなかった。




「ロキはよく迷わないんだね」



「城の主が迷ってどうする」




 振り向きもせずこう言って、ロキルトは歩き続けた。



 そして幾つかの通路を折れると目の前に大きな扉が現れた。



 ロキルトは立ち止まり、リシュに向いて言った。



「ここから向こうはプライベートな空間じゃなくなるからな、覚悟しとけよ」



「どこに繋がってるの?」



「城の正面側の棟に近い場所。人の出入りも多い」



「わたし、オリアル様たちが居る東の離宮へ直接行くのかと思った」



「アホかおまえ。そりゃあそこも王宮の敷地内だが……徒歩じゃキツイし馬がいる。……それに、」




 ロキルトは言いながら胸元から銀色の鍵を取り出し、扉の鍵穴へ差し込んだ。




「出掛ける前は必ず行き先を告げること。って、リサナにいわれてねーのかよ」




 ───ガチャリ。




 鍵を開ける音が響き、扉が開かれた。



 その向こう側はエントランスのような広い空間になっていた。




「おかえりかなさいませ、陛下」




 その場所にはただ一人、ユカルスだけが出迎えていた。



「ここは?」


 辺りを見回しながらリシュが訊いた。



「つなぎの間、みたいなところだ」



 歩き出したロキルト、そしてユカルスの後をリシュは追いかけた。




「東の離宮へ行くことにしたからな、ユカ」



「承知致しました。護衛は何人伴いますか」



「おまえと、あとはテキトーに。あ、こいつには侍女がいるな。いつもの奴を連れて来い」



「リィムよ。いつものなんて言い方しないで」



 後ろで反論するリシュだったが、ロキルトの返事はユカルスへと向けられた。



「向かう準備や馬車の用意にどのくらいかかる?」




(……馬車?)



「そんなに遠いの?」



 リシュの言葉に前を行くロキルトが鼻で笑うのが判った。



「馬に乗ってというわけにもいかない。あのババア、礼儀作法にうるせーし、おまえも居るし」




(わたし……?)




「おまえの扱い方一つで向こうの見方も変わるだろうからな。俺がどんなに大事にしてるか見せつけてやるいい機会だ」




 ロキルトの言葉の意味を、リシュはあれこれ考えてみるのだが。



 大事にされてる、などとは全く思えず。



 よくわからない、というのが大半で。歩きながらでは考えに集中もできず。


 仕方なく思考は中断した。




 やがて長い通路の先に再び大きな扉が現れ、今度はユカルスが鍵を開けた。


 途端に、空気を揺るがすようなざわめきをリシュは感じた。



 広い通路を行き交う人々の賑やかさに息を呑む。


 忙しく動く者たちは皆、豊穣祭への準備に取り掛かっているようだ。



 開けられた扉の両脇には衛兵が控え、こちらに気付くと頭を垂れ、深く腰を折った。




 そしてそれが合図のように



 ざわめきが消え、



 通路を歩く人の流れが止まる。




 そしてこちらに、



 皆がロキルトに視線を向けた。




 そして人々は驚愕と……



 感嘆の表情を浮かべる者たちとに別れた。




 ただ、


 それは一瞬で




 次に皆、すぐに深く頭を下げた。




 ……目の前の少年王に向かって。





 そんな人々の間を、



 ロキルトは悠然と歩き出した。




「ユカ、確かこの先に控えの間があったな」




「はい、大部屋が二室と小部屋が三室です」




「警備は?」




「本日は大部屋一室。小部屋二室に衛兵を控えさせてますが」




 ロキルトは返事をすることもなく通路を進んだ。



 そして一度だけ右に曲がった先に、二人の衛兵が立つ扉が見えた。



(また扉……)



 だがそれは来る途中で見たものの中では一番小さいと思われる扉だった。




 ロキルトを前に衛兵は恭しく一礼し、扉を開けた。



「入れ」



 ロキルトの言葉とユカルスに促され、リシュは控えの間と呼ばれる部屋へ入った。




 それほど広くはない室内の、中央には丸いテーブルと椅子が二脚。



 部屋の隅には長椅子が置かれてあった。



 賓客用にしてはあまり豪華ではない室内だったが、落ち着いた雰囲気のある調度品が揃っていた。



「リシュの侍女が来るまでここで待機だ。先に頼むぞ、ユカ。侍女が来たら俺も支度にかかるとしよう」



「かしこまりました」



「……そうだユカ、ちょっと待て」



 退室しようとしたユカルスをロキルトは呼び止め、傍へ寄った。



 そして何やらロキルトはユカルスの耳元で囁いた。



 その顔には妖しい微笑。




(内緒話……)


 何をこそこそ話してるんだろ。




 気になりながらも、あまりジロジロ見つめる気にもなれず。



 リシュは仕方なく長椅子に腰掛けた。




 ユカルスが行ってしまうと、ロキルトはリシュの横へストンと腰を下ろして言った。




「やはりおまえには着替えてもらう。衣装を用意させるように侍女に伝えろとユカに言っておいた」



「なによ。この服でもいいってあなた言ったくせに」



「その服も悪くはないが、やはり茶会のときと同じ服装で出向くわけにもいかない。離宮の使用人たちの目もあるからな。

 少しでも美しく着飾って妃候補としての評判をあげてくれよ、リシュ」



「着飾ったからって評判があがるとは限らないわ」



 自分の容姿になど全くもって自信がなかった。



「愛想笑いの一つもできないんだから、せめて飾られて慎ましく座ってろ」



 ロキルトの言葉にリシュはおもわずムッとした。



 だがそんなリシュを見て、ロキルトはクスリと笑った。



「楽しそうね、こんなときに。何がそんなに面白いの」



(これで答えがわたしの顔とか言ったら絶対引っ叩く!)



 心の中でリシュは叫んだ。




「ああ、面白い。あのババアが何かを仕掛けてくるんじゃないかって、考えるとゾクゾクしてくるよ。ただ……それがもしも俺にじゃなくて……リシュ、おまえに仕掛けてくることだったら、俺は容赦なく奴らの首を落とすからな。俺はその瞬間が、一番楽しみなのかもしれない。……いいか、リシュ、忘れんな……ロザリアの見た目や雰囲気に騙されるな。あの女もこの王宮じゃ魔女の一人だ」



「ロザリア様が何を仕掛けてくるっていうの」



「それは俺にもわからねぇよ。あ、そうだ。なんか合図でも決めとくか?」



 ロキルトは軽い口調で言いながらリシュを見つめた。



「合図って何の?」



「茶会で毒が匂ったんだろ、晩餐でも同じことがあるかもしれない。

 匂いだけじゃない、盛られる可能性は高いな。おまえが本当に視える力を持っているかどうか試すには食事に毒を盛って様子を見るのが一番だろうし。……だがその力、わざわざ見せつけてやることはないぞ、リシュ」




「……そうだね」



 リシュは頷いた。



「だからもしも毒の匂いを感じたら左手で左の耳に触れろ。そしてもし、おまえに出された料理に毒の色が視えたら右手で右耳な」



「判ったわ。あ……でももしロキの料理に毒を感じたらどうすればいい?」



「へぇ、俺の心配してくれるんだ」



 ほんの少し、ロキルトの顔が近付いたような気がして、リシュの心臓が小さく跳ねた。



「だ、だって。陛下が倒れたら大変なことになるでしょう」



「そうだな。俺は悪意の紫が視えても毒は判らないからな。じゃあ次はどこにしようか、触るところ」



「ぇ……?」



 ロキルトの手がスッと伸びて、リシュの頭に触れた。



 そこから優しく髪を梳くように降り、次に頬へ触れ……そして指先が唇に触れた。



「……ッ!」



「動くな。選ばせろ」



 うつむいてその身を引いてしまったリシュにロキルトの手がもう一度伸びて、リシュの顎をそっと持ち上げた。



 おもわずぎゅっと目を閉じてしまうリシュに、ロキルトはムッとした顔で溜息をついた。




「ここもいいんだがな」



 親指が軽く唇をなぞってから離れる。



「やっぱここかな」



「いたッ」



 ロキルトの指がリシュの鼻先を摘まんだ。



 目を開けて鼻を押さえ、顔を顰めるリシュを見つめながら、ロキルトはクスクスと笑った。



「鼻に決まりな。でもな、リシュ。もしも毒が盛られていても口にするなよ」



「平気よ。わたしは食べるわ、どんな毒が使われているか知りたいもの」



「ダメだ!!……絶対にっ!」




 声を荒げたロキルトに、一瞬驚いたリシュだったが、



「食べれば向こうを慌てさせることが出来るじゃない。わたしの力も誤魔化せて……」



「駄目だったらダメだッ!!いいか、絶対食うんじゃねぇぞ!」



 ───ロキ?



 ロキルトの髪色が淡く変化した。




「…………ダメだと言ってるだろッ……!」



 硬直しながらも、今にも震え出しそうにも見える。


 そんなとても苦しそうに歪んだロキルトの表情に、リシュは動揺した。



「ロキ……どうしたの?」




 ロキルトの返事はなく、その眼差しはいつの間にかリシュを通り越して、



 遠い何処かへ向けられているように思えた。





 暗く



 暗く、




 翳りながら。





「ロキ!」




 強く呼んだリシュの声に、ロキルトとはビクリと我に返る。



 薄淡い水色の瞳が、一瞬哀しげに揺れたように見えて……




 何か言葉をかけてあげなくてはと、



 リシュはそんな衝動にかられた。



「ね、ロキ……大丈夫だから。ほんの少しだけでも毒を確かめさせて」



「おまえなぁっ」



「ロキ、わたしに毒は効かないんだよ。でも確かめて平然としてるのも変だから、体調が悪くなったフリでもするわ。そしたら向こうだって慌てて晩餐どころじゃなくなるだろうし」




 ロキルトはしばらくの間、リシュの顔を見つめていたが。




「………ホントに……少しだけだぞ……」




 僅かに視線を彷徨わせながら、ロキルトは静かに息を吐き、そして言った。




「いいか絶対に! 少しにしとけよ!」



「わかってる」



 リシュは小さく頷きながら、ロキルトの髪に視線を向けた。




 ……あ、



 髪色が元に戻りはじめた……。





「おまえに何かあったら……俺は本当に………」




 え……?




 ロキルトの髪色に気を取られて聞き逃すところだった彼の言葉を、リシュは心の中でもう一度思い返した。




 オマエニ ナニカ アッタラ……





 もしかして、心配してくれてるの?




 一瞬思ったリシュだったが、なぜか物凄く不機嫌な表情になっているロキルトを見ると、思い違いかという気もして。




 ぼんやりと視線を向けていたリシュの前で、ロキルトはプイと顔を逸らして立ち上がった。


───そのとき、部屋の扉をノックする音が響き、衛兵が侍女リィムの来訪を告げた。








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