落陽の庭で




 宵の宮へ戻り、リシュが部屋に着いてから間もなく、ロキルトが庭園の東屋で待っているという知らせが届いた。



 あそこには毒布に包まれ埋められ、更にその上から毒水までかけられて隠された金色の鍵がある。




 あの鍵についてもまだ何一つ判ってない。



 なにもあの場所を選ばなくても。



 部屋を指定すればよかったかな……。



 そう思う反面、外でも中でもどちらにしても本当はあまり気が進まないのが本音だった。





 ロキルトの前で泣いてしまったことが、なんだかとても嫌だったから。




 気まずいけど、仕方ない。





 同行しましょうか? と尋ねるリィムに一人で行くからと告げ、リシュはのろのろと立ち上がり庭園に向かった。





 東屋へ近付くにつれぼんやりと見えていたその人影が、はっきりと形を成してゆく。




 何かを考えている様子の横顔。



 髪色は暗めの赤紫。



 精神状態は落ち着いているようだ。



 落ち着かないのはわたしの方かも。



 距離が縮まるたびに心臓がうるさく響く。



 やがて、リシュに気付いたロキルトがこちらを向いて立ち上がった。



 ロキルトはしばらくリシュを見つめていたが視線を外すと腕を組み、再び椅子に座り直した。




 ♦♦♦




 リシュは東屋の中へ入るべきかどうか迷っているように見えた。



 (ここまで来ておいて)



 そんな様子のリシュに苛立ちながらロキルトは言った。



「入れ。こっちへ来い。何の用だ」



 リシュは軽くお辞儀をして東屋へ入り、丸テーブルを挟んでロキルトの向かいで立ち止まり、そして言った。




「スウシェ様のお茶会に招かれて、そこでオリアル様に会いました」




「それが何だ」



 ロキルトはリシュの顔を見ることなく訊いた。



「オリアル様から、毒の香りがしたの」



「……お茶に毒でも盛られたか」




「そんなことはなかったけど。……たぶん、隠し持っていたんだと思う。彼女、毒にも触れてるわ。指先に色が視えた」



「そうか」



「……そうか って、驚かないんですか陛下は……」




 陛下、と。



 こいつの……



 リシュの口からそう呼ばれると



 俺はなぜ



 こうもイラつくんだろう。



 リサナとよく似た顔で……



 その口元で



 そして同じ声で。



 本当は名前を呼んでほしいと思っている自分がいる。



 今朝、まさか泣くとは思わなくて。



 正直、焦ったけど……。



「おまえを試したのかもな、リシュ」



「試す?」



「毒視姫の力が本物か否か、あいつらは噂しか聞いてない。リシュの反応を見るために母君に持たされたとも考えられる。あのババアのやりそうなことだ」



「バ、ばばあ!?」



「だがおまえは鉄扉面で返したんだろ」



「てっ、鉄扉面……」




 リシュの表情が少しずつ曇り、不機嫌になる様をロキルトは興味深く見ていた。




 彼女の笑った顔を、まだ一度も見てない。



 だから鉄扉面と言ったのだ。



 本当のことだと思うのに、なぜ怒るのだろう。



「オリアル姉君もなかなか表情の読めない人だが、リシュもわりと負けてねぇよな」



「なによ、その言い方」



「ほら、そういう仏頂面も。明日から気をつけろよ、一日中笑みを絶やさないようにしてもらわないとな」



「どうしてなの? なぜわたしが明日からあなたの隣で愛想笑いしてなきゃなんないのよ!それに妃候補だなんて。撤回してください」



「晩餐に招かれたんだってな」



 ロキルトはリシュの質問を無視して訊いた。



「そうよ。陛下とぜひご一緒にって」



(……めんどくせえ誘いにのりやがって)



「俺はあの母君が苦手でね」



「……そういえば、わたしを王宮へ連れて来るように言い出したのって、ロゼリア様なの?」



「誰に聞いた」



「おじ様」



(ラスバート。あの野郎っ、余計な事言いやがって!)



「あれはおまえに興味を……そして俺に悪意を抱いてる女だ」



「悪意?」



「ロゼリアは色を纏っている。俺だけに視える悪意の色をな。でもわからない、おれはあのババアに恨まれるようなことはしていない」



「……ほんとに?」



 リシュが向ける疑いの眼差しに、ロキルトは叫んだ。



「なんだよその目!」



「あなたが視える悪意の色って、あなただけに対する悪意なの?」



「ああ……そうだ、がしかし……ロゼリアに関しては確信が持てない」



 そんなこともあって、考えると余計にイライラするのだが。



 ロキルトはもう一度、リシュを見つめた。



 ♦♦♦



 今朝、泣きながら大嫌いと 言われたけど……。



 今 こうして見つめても、こいつはあの色を纏ってない……。



 俺に対する悪意の色……



 紫 は



 リシュから



 まだ視えない。




 これは、



 それほど



 怒ってないという




 証拠なんだろうか……



 怒りと悪意は



 繋がっているものだと



 俺は思うのだけれど……。



 ♢♢♢



 ロキルトの視線が、射るような瞳がリシュに向いていた。



 感情の読めない瞳。



 ……いや違う。感情など持ち合わせていないような冷たい眼差し。




 暖かなものを一切 忘れてしまったような……



 そんな目。



 この子が無邪気に笑うこと、あるのかな。



 リサナは



 きっと



 そんな彼の



 笑顔とか



 見たことはあったはず……よね。




 純粋な笑顔とかを……。



 それは一体どんな状況下で?




 リシュはなぜかとても気になった。




 ……けれど。



 逸らすことのないロキルトの視線に、なんだか心が折れそうだ。




 そしてあの鍵の隠された場所から漂う毒の香りにも落ち着かない。



 リシュは必死に言葉を探した。




「晩餐はどうするの」



「おまえを一人で行かせるわけにはいかないだろ」



「陛下の都合が悪いなら断ればいいじゃない。べつにわたし一人でも大丈夫だもの」



「おまえさぁ、」



 目の前に視えているロキルトの髪色が僅かに淡い赤紫へと変わったように思えて、リシュは反射的に身構えた。



「……なによ」



「やっぱ怒ってんのか、今朝のこと。でも何故だ? 俺は自分が思うことを言ったりやったりしただけで。それでリシュがなぜ泣くのか、よくわからない。何故なのか答えろ」



 こ、答えろって……。



「わたし……」



 わたしだってよくわからない。



 ああ……でも。




 わたしが思うことをここで、一つでも答えなければ。



 うまく言えなくても。




 答えなければ。




 この子に伝わらない。



 距離が縮まらない。



 そんな気がした。



 思ったままに行動する、わがままで子供のような彼に。


 わたしもそのままの気持ちを言った方がいいのだろうか……。


 ……よくわからないけど。



 逡巡しながらもリシュは言ってみた。



「ロキ、わたしは……」



 リサナじゃない。




「わたしをあなたの中のリサナと同じに思わないで」



 わたしのこと、同じように見ないで。



「親子だから似ていて当たり前だけど」



 わたしはあなたを笑わせたり……



 そんなことができたリサナとは違う。



「わたしのこと、同じように見ないで。一緒にしないでほしい」




 たとえ同じ血が流れていても。



 同じ力を 持っていても。




 わたしはリサナではないし、



 リサナにはなれない……。




 あなたが 恋しいと想ってるリサナには───。





「……わかった」




 ロキルトは小さく答えた。




 ♦♦♦




 おまえは違う。




 わかってる、そんなこと。




 それでも 求めてしまうのは……




 俺の心が




 まだ弱いから……なのだろうか。






「晩餐の席ではあまり喋るなよ、リシュ。俺が答えるから」




「でもロゼリア様はきっといろいろ訊いてくるわ。あの怪文書のことや毒薬のことも」




「そうだとしても、おまえだってまだ返答できないだろ、誰が犯人かなんて。だから余計なことは言うな」




「言いようがないわ。余計なことも何も……」




「だから黙ってろってことだ!」



「……わかったわよ」



(なによ、そんなにイライラしなくてもいいじゃない)




 思わず髪色を視てしまうリシュだった。



 けれど心配するほど淡い色には変化してなかった。



(……心配 ⁉ わたしが 彼を?)




「なんだよっ、いちいち俺の髪色視るなよな! そろそろ行くぞ、晩餐にッ」




「え、でもわたし着替えた方が いいんじゃ……」




 リシュの服装はお茶会のときのままだった。



「べつに。その格好でもいいだろ」



「そうなの?」



「意外とそういう色も似合うんだな」



「え……」



 小さな声だったが、確かに聞こえた。



「着替えなくてもいい。このまま行くぞ、東の離宮へ」




 立ち上がり、ロキルトはリシュの前を歩き出した。




 その背はまだ、たくましいとは言えないけれど。



 決して小さくはなかった。




 真っ直ぐ前を向き歩くその姿勢は、いつも堂々としたものだ。




 けれど、その背に背負っているものの大きさをリシュは想う。




「国」という荷物は、とてつもなく巨大で。




 そしてとても……




 残酷なものに思える。





 ロキルトの髪色が薄明るく変化しながら夕刻の光と重なり、溶け合ってゆく。




 その風景は




 ……とても綺麗で美しいのに。





 リシュはなぜか





 せつなくなった。








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