妃 候補〈2〉
衣装合わせのために宵の宮内の一室へ案内され、リシュは部屋の扉が開いたのと同時に息を呑み、しばらく絶句した。
そこは普段使っていた衣装部屋よりも広い空間。
そしてクローゼットなどはなく、たくさんのドレスが部屋の隅から隅まで掛け下げられ並んでいた。
まるで部屋が一つのクローゼットのように。
そして掛けるところが足りないとばかりに床の上に敷物が広げられ、その上にまでたくさんのドレスがぎっしりと並べられてある。
煌びやかで鮮やかで眩しい色が溢れ、部屋の中を満たしていた。
まるで目眩が起こるほどだ。
けれどリシュはそれがどんなに豪華な光景でも、憂鬱になるだけだった。
♢♢♢
「おはようございます、姫さま。今朝はあまり顔色がよくありませんが。いかがされましたか」
並べられた衣装にも負けないほどの艶やかな雰囲気を纏ったスウシェが、リシュに訊いた。
「大丈夫です。食欲があまりなかっただけで」
「そうですか……。では始めましょう。王室御用達の店からたくさんのドレスを用意しましたわ。本当は時間があれば布から選んで、仕立てたかったのですが、そこまでの時間はなくて。既成のもので合わない場合は寸法を少し直すという形をとらせていただきますね」
「はい」
「ではまず数ですが、三十着はご用意する予定です」
「は?」
リシュは耳を疑った。
「たった一日の宴にどうしてそんな数が必要なんですか⁉」
「あら、宴は一夜ではありませんわよ、姫さま。王宮での祝賀会は三日間の予定ですから。一日十着としても足りないくらいですわ」
(三日間……。そんなことおじさま言ってた⁉)
「ですから、丸一日同じドレスを着ているわけにはいきませんのよ。明日はもう前夜祭。それ以前に明日の昼食以降から、姫さまは陛下とご一緒に幾つかの茶会へ顔を出してもらうことが決まりましたの」
「な、なんですかそれ」
「まあ、そのお話は後ほど詳しくご説明しますけど。とにかく、明日からはもう王家の姫として動くことが多くなることは確かです。茶会以外にもご挨拶に赴いたり、昼食会や晩餐会、その都度なるべく新しいお衣装に着替えてもらいますし、汚れたときのための予備も用意しておかなければなりませんもの」
「……わかりました」
ここで自分が何を言っても聞き入れてもらえないことなど、リシュにはわかっていた。
ただ……
「あの、わたしドレスとか衣装のことは正直よく判らないので。リィムの意見を参考にして選ぼうかと思っています」
「ええ、よろしいですわ。でもわたくしにもお手伝いさせてくださいません?」
「でも宰相様にそんな……」
「あら、そんなこと全然気にしなくても! わたくし、こういうの大好きですの」
「大好き……」
「ええ。女の子に似合う服を選んで、女の子を着飾ることが好きなんです」
うふふ、とスウシェは笑った。
「そうですか……」
「ではまず姫さまのご希望のお色など聞いておきましょうか。何色のドレスになさいます?」
色……。
「赤……以外なら、なんでも……」
「赤はお嫌いですか?」
「いえ……」
本当は
それほど嫌いではなかったのに。
じゃあなぜ……
なぜ自分の感情はあのとき
あんなに激しく昂ぶってしまったのだろう。
「母様がこちらで赤い服を好んで着ていたというのは本当ですか?」
「ええ。お好きな色なのかと思ってましたけど、違うのかしら」
そんな話は聞いたことがなかった。
リサナは昔、黄緑や若草色が好きだと言っていたのだ。
それなのに。
リシュはあのとき、赤い色の服にこだわるロキルトが……
なぜか許せなかった。
「赤以外でしたら……青色系はどうですか? 青は陛下が好きな色ですよ」
「……え。ロキは青が好きなんですか? あっ、すみません! 陛下のこと、名前で……」
慌てるリシュにスウシェは柔らかく笑って言った。
「ロキルト陛下の好きな色は青ですよ」
「赤ではないのですか?」
「いいえ。あなたの、その髪のように深い蒼色が特にお好きかと。姫さまの髪はリサナ様よりも少し濃いのかしら……。それなのに光が当たると銀の光沢が浮かんで……リサナ様より美しいと思いますわ」
「あの……ありがとうございます……」
こんなに髪を褒められたのは初めてだった。
「それなのに、あのお方は……素直じゃないというか、素直過ぎて誤解を招いたというか……。陛下と喧嘩なさったのですってね、リィムから聞きました。あなたがあまりにも憔悴しているようだと、リィムが心配してわたくしに相談を。あの子を責めたりしないでくださいね、姫さま」
「責めるなんて。リィムはいつも気遣ってくれる優しい子です」
「リシュ姫さま……」
リシュの言葉に、後ろに控えていたリィムは頬を染めて俯いた。
「とにかく、悪いのは陛下ですから、姫さまは気になさらないことです。姫さまにリサナ様の服を着せようとなさるなんて。リィムから聞いてわたくし、おもわず陛下を殴ってやろうかと思いましたわ」
(な、殴る⁉)
さらりと恐ろしいことを言うスウシェに、リシュは驚いた。
「まあ、陛下もひどく反省しているご様子でしたけど」
「あの、ロキ……いえ、陛下は……」
何か言っていたか尋ねようかと思ったけれど。
聞く勇気がなかった。
黙り込んでしまったリシュに、スウシェはいたずらめいた眼差しを向け、そして言った。
「陛下のことは放っておいてよいですわ。しばらく口をきいてあげないのも良い手かと。黙ったまま反省させておきましょう。
しっかりと……あの方のご自分の気持ちをあなたに……姫さまに伝えることができるまで。……とにかく、姫さまを泣かせるなんて許しませんわ!」
「あの……でもわたし、なぜ泣いてしまったのか、自分でもよくわからないんです」
リサナが着ていた赤色の服。
着てみたかった?
着たくなかった?
それはきっとどちらでもなくて。
それよりも彼が……
ロキルトが自分にそれを強制したことが……
なんだか辛かった。
この気持ちは……何か意味のあるものなのだろうか。
この気持ちは……?
「解らなければ、しばらく封印しておきましょう」
スウシェが ふふ と笑って言った。
「いつか判ってしまうときが……来る日まで……」
♢♢♢
それからしばらく、リシュはまるで自分が着せ替え人形になってしまったような錯覚を覚えた。
「姫さま、寒くありませんか?」
長時間、下着姿のままでいるリシュをリィムが気遣う。
「いいえ、暑いくらいよ」
脱いだり着たりを繰り返しているせいか、蒸し暑く感じた。
中には試着なしで鏡の前で色合わせ的な確認で終わる衣装もあったが、試着するしないのその差が一体何なのか、リシュにはさっぱり判らない。
スウシェとリィムの他に三人の小間使いが二人の指示に従って忙しなく動き、ドレスをリシュのもとへ運ぶ。
「これはあまり似合いませんね」
「そうねぇ、もっと薄い色でもいいかしら」
「はい、淡い色合いも姫さまにはお似合いになるかと」
「じゃあ、あちらのドレスも持ってきてもらいましょう」
(一体、あと何回着替えるのだろう……)
おもわず溜め息がでる。
「申し訳ありませんが、姫さま。あと五着ほど試着していただいてから、少し休憩しましょうね」
スウシェがにっこり微笑んだ。
♢♢♢♢♢
「奥の間にお茶のご用意が整いました」
スウシェの言ったとおり、五着の試着を終えた頃、一人のメイドが報せに来た。
奥の間。
溢れるドレスで見えなかったけれど、この部屋の奥にはまだ部屋があるらしいと判り、リシュは呆れた。
「では少し休憩いたしましょう」
「姫さま、これを」
リィムが柔らかなガウンを羽織らせてくれた。
二人の後をのろのろと奥の間に進む。
やがて行き着いた場所は、とても良い香りに満ちていた。
甘いお菓子の匂いだ。
朝食を残したせいか、お腹がキュるりと鳴って慌てた。
席について、しばらくまったりと過ごしてはいたが、リシュはスウシェに聞きたいことがあったのを思い出した。
「あの……なぜ急に明日の午後からわたし、陛下と行動しなければならないのですか?」
「ああ、そのお話ね。それは……」
スウシェは口元へ運んでいたティーカップをゆっくり下ろすと、リシュを見つめて言った。
「今朝、陛下が珍しく議会の席にお出でになられて、驚きましたわ。陛下ったら皆の前で公言されて」
「……何をですか?」
「あなたのことを。……宵の宮へあなたを置いたことを公表したんです、陛下自ら。本当は豊穣祭当日まで秘密にしておく予定でしたが。でもまあ二日早くてもたいして問題はありませんけど。一体どうしたのやら……。姫さま、この意味判ってます?」
スウシェは、首を僅かに傾げるリシュに、いたずらめいた眼差しを向けて笑い、言葉を続けた。
「西から……自分の妃候補としてあなたを呼び寄せたと、陛下は仰ったんですよ」
(───は⁉)
「も~、陛下ったらわたくしの確認も無しにいきなり言ってしまうんですもの。後であの場をおちつかせるの、とっても大変だったんですのよ。陛下ったら、なんだか姫さまと喧嘩した後だったせいか、そりゃもうご機嫌がいつもより悪くて!
老臣たちとのやり取りも売り言葉に買い言葉みたいな。乱闘寸前のような雰囲気で。まあ、ラスバート様がなんとか治めてくださいましたけど。昨晩、陛下が宵の宮へ「お渡り」したことも公表されましたから、臣下たちは皆それなりに納得したようですけどね」
「えぇ⁉ そんなっ、あの! お、お渡りと言われてもッ……ち、違うんです!」
「あら、だって今朝は同じお部屋の寝台でご一緒だったのでしょう? リィムから証言を得てますのよ、陛下と戯れていらしたこと。リィムはあなた付きの侍女ですもの、彼女が確かに目撃したのだということであればそれは……」
「いえっ、あれは!」
た、戯れていたのではなくて!
確かに……
あのときロキルトと一緒のところをリィムに見られたけど!
「でもあれは違うんです! 最初は別々の部屋で寝ていたのにっ……」
それが……
目覚めたらなぜか……
「と、とにかく! わたしとロキとの間には何もありませんから!───そ、そういう……関係では……」
こんなときに……
なぜか彼に触れられた感触が甦って……
リシュは頬が熱くなるのを感じた。
「姫さま、たとえ何もなかったとしても、陛下の口から公表されたことですから、姫さまには我慢してもらわないと」
(我慢ですって⁉)
「そんな! わたし無理ですっ。それにわたしでは身分が……わたし、血の繋がりはないですけど、一応あの人の姉ですよ。位置的におかしいでしょ、妃候補なんて」
「いいえ、血の繋がりが無いからこそですわ、姫さま。もしもあなたが前王の実子であれば、こんなことは無理、受け入れられません。でもあなたは前王と血の繋がりはないのです、ラシュエン国の姫と呼ばれてはいても……。
今回の件で、煩く騒ぐ者がいたとしても……いざとなればラスバート様があなたをオクトルジュ公爵家の養女として迎え、陛下へ嫁がせてもよいとか……そんなことも仰っていましたし」
「おじさまがそんなことを?」
(……ひどいわ、おじさま!)
「とにかく明日から……いえ、今日から姫さまの位置付けは陛下の一番の寵姫というところでしょうか」
───わ……笑って言わないで!
「そんな勝手に……」
「まだ正式に決まったわけではありませんわ、姫さま」
「決めてもらっても困ります!わたしは西の街へ帰りたいのに」
でも……。
そういえば。
スウシェ様は……何をどこまで知っているのだろう。
わたしがこの王宮へ連れて来られた本当の意味を。
「わたしは妃候補になるために……ここへ来たんじゃありません」
聞いてみようか……。
あの怪文書のこと。
……ダメ
おじさまに確認してからでないと……。
「さあ、休憩は終わりにしましょう。ようやく半分は決まりましたもの。あと少しですわ、姫さま。
落ち着いたデザインと淡い色のものばかりを選びましたから、残り半分は、もっと大胆なデザインのものにしてみましょうかねぇ」
「そうですね! そうしましょう!」
返す言葉も出せずに固まるリシュのかわりにリィムが答え、休憩時間は終わりを告げた。
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