30 捜査

「嘘だろ......」

 俺は長谷川の死にショックを受けていた。だがそれは愛する人が亡くなったからとかそういう意味ではない。俺は長谷川の死を防げたかもしれないことにショックを受けていた。

 昨日レイの話から犯人はまだ殺人をする可能性があると分かった。俺はそれを知り、みんなに知らせに行こうとしたが、彼女に止められた。犯人から身を守るため、誰も部屋には入れないと約束した。そんな中部屋に伺ったところで誰も入れないし、近付いてきた俺が犯人と疑われる、と。

 彼女の言うことも一理あり、俺はただみんなが朝まで無事でいてくれることを願うしか出来なかった。

 あの時みんなに知らせに行っていれば......。

 犯人の行いを阻止できたかもしれない。長谷川が殺されることはなかったかもしれない。そう考えると自分は誤っていたのではないかと思ってしまう。

 これでは、俺が殺したようなものじゃないか......。

 守れたかもしれない命を見逃してしまった。そう思うと足の力が抜け身体が後退し始め倒れた。

「きゃ!」

 しかし、俺は倒れることはなかった。後ろにいた鈴木にぶつかり、変わりに彼女が床に倒れてしまった。派手にお尻から倒れ、ドスンという大きな音を立てた。

「あ......」

「いったたた」

「ご、ごめん!」

 俺は慌てて鈴木に駆け寄る。

「大丈夫?」

「あ、はい。平気です」

「ケガない?」

「大丈夫です」

「ホントに、ごめん」

「いえ、ホントに大したことありませんから」

 俺は鈴木に手を差し伸べ、彼女の手を握り立たせようとした。

 バキッ。

 ん? 何の音だ?

 鈴木のお尻の下から聞こえたような気がした。

「あ......」

 鈴木は何かに気付いたのか、ズボンのお尻ポケットに手を入れた。そこから出てきたのは赤い眼鏡で、片方のレンズが割れていた。どうやら倒れた拍子に壊れたようだ。

「あっ、ご、ごめん!」

 俺は再び謝る。

「い、いえ。いいですよ。ここに入れてた私が悪いですから」

「いや、俺がぶつからなければ壊れることはなかったじゃん!」

「いいんですよ。そろそろ買い換えようと思ってたところですから。気にしないでください」

「でも......」

 鈴木は自分で立ち上がり、眼鏡をポケットに戻した。

 何やっているのだろうか。

 俺は自己嫌悪に陥ってしまった。長谷川を守れず、鈴木にまで迷惑をかけてしまう自分に。

「鵜飼さん、長谷川さんの死因はその頭のせい?」

 落ち込んでいる俺の横で我関せずというように黒峰が鵜飼に訊ねた。

「ええ。どうやらこれで頭を殴られたようです」

 鵜飼が持ち上げたのはトロフィーのような物だった。だが賞とかで貰う華奢なものではなく、ズッシリと重厚感のある物で見覚えがあると思ったが、三階の展示室にあった展示品の一つであると俺は気付いた。その先端には赤い血がベッタリと付いていた。

「服が乱れています。抵抗したのでしょうが、この様子だと背中に股がり何度も叩きつけたのだと思われます」

 鵜飼の指摘通り、長谷川の頭は所々ボコボコに陥没し、遠目からでもはっきりと視認出来た。

「酷い......」

 鈴木が口に手をやりながら目を反らす。

「でも、いきなりそんなことできるんですか?」

 間宮の疑問に鵜飼は答えた。

「後ろから不意に一回殴ったと思います。ここに浅い傷があります」

 鵜飼は頭の右後ろを指し示す。たしかに他の部分とは違い比較的小さな傷のように見えた。

 すると部屋の奥でレイが姿を現し、彼女も長谷川の遺体を観察している。しゃがんで至近距離で傷を見たり、平気な顔をしてあちこち調べている。

 こっちは陥没した頭を見て吐きそうになるのを抑えるのに必死なのに、レイは間近まで顔を寄せたり、表情に一切の嫌悪感が出ていなかった。

 しばらくレイの様子を見ていると、何かを見つけたのか俺に手招きする。

 入ってこいと? この死体に近付けと?

 早くしろというようにレイの手招きが強くなる。正直断りたいが、長谷川が殺された一因は俺にもあるかもしれず、そして犯人を見つけられるかもしれない。罪滅ぼしのつもりで俺は長谷川に近付くことを決意した。

「鵜飼さん、俺も調べていいですか?」

 鵜飼が驚いた顔をする。

「平気なのですか? 一般の方には耐えられないと思いますが」

「いや、正直今吐きそうです。でも、犯人の手掛かりが残ってるかもしれませんから俺も調べてみたいんです。長谷川さんや火村さん、水澤さんの無念を晴らしてやりたいんです」

 嘘ではなかった。たった一日二日、それもちょっとしか言葉を交わさなかったが、俺と会話したことはたしかなのだ。水澤は話も会ったこともないが、殺されて無念に違いない。そんな彼等の敵を取る形で犯人を見つけたいと思った。

「分かりました。どうぞ」

 そう言って鵜飼は場所を開けてくれた。

 俺は部屋に入り、遺体となった長谷川に近付いた。近付くと傷がより鮮明になり、髪の毛以外の何かが見えたりした。あれは何だ?とも思ったが、知ったら余計に気持ちが悪くなりそうなので知らなくて正解だったと気付く。深く考えずに俺はレイがいる場所、投げ出された右腕のところに辿り着いた。

 俺が傍に来るとレイはしゃがみ、右手を指差した。右手を調べろということか。

 俺はレイに従い、右手をまず観察する。右手は開いた状態ではなく、拳を少し緩めたような形をしていた。

 何かがあるのか?

 そう思って右手に触れ、ゆっくり開いた。しかし、そこには何もなかった。

 あんなに急がせていたのに空振りに終わった。するとレイがまた何かを見つけたのか指差した。今度はなんだ?

 レイはまた右手を差していた。そこは今見ただろ、と思ったがレイは自分の手のひらを指差していた。

 手のひら?

 俺はもう一度右手を開き、調べてみた。何もなさそうだが、よく見ると一ヶ所に何かで切ったようなとても小さな傷があった。

 まさかこの傷のことか?

 レイをチラッと見ると頷いていた。しかし、こんな傷がなんだと言うのだろうか。どうせ何かの拍子で切った傷だろう。関係ないのではないか?

 そう思うがレイはかなり気になるのか、じー、っと傷を見つめていた。

「森繁さん、何か見つけましたか?」

 鵜飼に声をかけられ、一応確認してもらった。

「この傷なんですけど」

「ん~、これは何か鋭利なもので切ったような感じの傷ですな」

「何か関係ありそうですかね」

「新しい傷ですから最近出来たのは間違いないと思います。まあ、犯人に抵抗するときに出来た傷だと思います」

 俺もそんな気がしたので次に移る。今度は鵜飼の手を借り、身体を仰向けにする。

 水澤、火村と同様、長谷川も光の籠っていないない死者の目をしていた。昨日のあの笑っていた顔がもう見れないと思うと少し悲しくなった。

 ああ! 落ち込むのは後だ!

 自分を鼓舞し、俺は観察を始めた。

 そこそこの露出のあるネグリジェで胸元が大きく開き、そこには一つの傷跡があった。

「鵜飼さん、これ」

「これも鋭利なもので出来た傷ですな。ただ、これはもう傷が塞がっていますから事件とは関係ないですね」

「ですよね」

 その後も調べてみるがめぼしいものは見つからなかった。

「何か分かったの?」

 黒峰が俺に聞いてきた。

「いえ、さっぱりです」

 あんなでかい事言っといて結局進展なし。恥ずかしさよりも申し訳なさの方が勝っていた。

「でも、何で彼女は鍵を開けたのかしら?」

 黒峰が疑問を口にした。

「そうです、そこです。襲われたのはこの部屋で間違いないですが、昨日あれだけ開けないように忠告してなぜ長谷川さんはドアを開けたのか」

 鵜飼も黒峰と同じ疑問を告げた。

「誰か来たとしても開けませんよね?」

「開けざるを得ないことが起きたのでしょうか?」

「でもそれって何?」

「そ、そこまでは......」

 みんな自分の疑問をぶつけ合っている。全員の疑問について考えてみるが、全く分からない。レイなら何か気付くのではないかと見ると、彼女はまだ右手を観察していた。どんだけ気になるんだよ、お前。

 変な奴を通り越してもはや呆れてしまった。

「ここにいても仕方ありません。外に出ましょう」

 鵜飼のその一言で俺達は部屋を出た。部屋を出てもなお、レイは自分の右手を見てずっと考えていた。

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