第三章・赤王

第八話・共にあるために


 ──リウィアスがレセナートの想いに応えて早五日。

 そのかん、レセナートは変わらずに忙しい時間の合間を縫ってはリウィアスの許へと足を運び、リウィアスはと言うと何時にも増して忙しい日々を送っていた。


 レセナートの求婚に応えた翌日には、息子から、結婚の承諾を得たとの報告を受けた国王夫妻から召喚を受け。

 赴いた城では祝賀会用のドレスをこしらえるためと、着いた早々、侍女に測りを身体に巻き付けられた。

 他にも作法やダンスの講義が用意されていたらしいが、リウィアスは『代理者』の職に就く身。護人であるアゼルクが留守にしている今、長期森を離れる事態は避けなければならない。

 幸い、テーブルマナーもダンスも一通り習得済みで。──リウィアスにこれを教えたのは、トゥルフだった。

 トゥルフは聖職者となるために家督かとくを弟に譲りはしたが、元は侯爵家の長男。跡取りとして幼い頃よりそれらを叩き込まれたため、貴族としての立ち振る舞いは心得ている。

 そしてそれを、知っておいて損はない、とリウィアスにも教え込んでいた。

 加えてレセナートが、足りないところは自分が教える、と進言したために講義を何とかまぬがれたリウィアスは、名残惜しく引き止める国王夫妻に詫びを言って、森へと戻り。


 その他は、翌月に行われる祝賀会に合わせて活発に活動する商人達の警護などで日の大半が潰れ、リウィアスの一日の中で自由になる時間は合計しても僅か五時間程度。

 その限られた時間で雑用を熟して、教会に顔を出し、レセナートと逢瀬おうせを重ね、睡眠を取る。


 そんな日々を過ごしていたリウィアスが早朝の護衛の仕事を終えて家の中を手際良く掃除していると、瑠璃色の美しい鳥が手紙を運んで来た。──この鳥は、曾てアゼルクの伝言をリウィアスに運んだ鳥の子に当たる。


 終わりが見えていた掃除の手を止め、リウィアスは窓辺に近付く。

「ルディ、ありがとう」

 微笑み、その鳥のおとがいに触れると、ルディと呼ばれた瑠璃色の鳥は嬉しそうに、チチッと鳴き、再び空へと羽ばたいて行った。


 ──『外』と森の境目には、護人と『外』の人間が遣り取りを行うために使う幹の一部が空洞となった樹が立っている。

 それは郵便受けのようなもので、主に封書で護衛依頼や日時の指定などを行うのだが、それを運ぶのが『外』と護人とを繋ぐ役割を担う森に棲む鳥だった。

 ルディと呼ばれたその鳥もそのうちの一羽で、親子揃ってリウィアスに良く懐き、他にも隠密行動を良く行った。


 リウィアスは瑠璃色の鳥がくわえて運んで来た封筒の封を切りなかふみを机の上に広げた。そして指先で文字を滑らかになぞって行く。

『終了。明日、帰る。』

 文面を確認すると、ふ、と頬を緩ませた。

 この簡潔な手紙はアゼルクからの物。

「……明日は、お師匠様の好物を作らないと」

 何も『死の森』の番人だけが護人の仕事ではない。

 他にも担う重要任務のために、長らく王都セレイスレイドを離れていたアゼルクの帰還。

 それは『代理者』が存在する今だからこそ出来る仕事。でなければ『死の護人』が『死の森』を長期離れる事など出来ない。

(アルザに材料を買って来てもらおうかな)

 久々のアゼルクとの再会に思いをせていたリウィアスは、ふと窓の外に顔を向けた。

「あ……」

 それに気付いたリウィアスは、先程よりも頬を緩ませる。

 手紙を読むために傍らに立て掛けていたほうきを片付けたリウィアスは、玄関扉を開けて外に出た。

 ──近付く愛しい気配に、胸が高鳴る。


 程なくして遠目に姿を現した人物。

 毛並みの良い馬に跨った彼は、その視界にリウィアスを捉えた瞬間、顔を綻ばせた。直ぐに馬の脚を速める。

「──リウィアス」

 熱く甘い声に、焦がれるように手を伸ばせば、馬から降りたレセナートが直様駆け寄り、リウィアスのその肢体を力強く抱き締めた。

「レセナート──……」

 リウィアスはその手をレセナートの背に廻した。

 優し温もりに目を閉じ、レセナートの肩に頬を擦り寄せると、大きく少し冷たい手が愛しげに髪を撫でる。心地良くその感触を味わっていると、その手は頬、あごへとすべり。

 リウィアスは瞼を上げた。

「リウィアス……」

 名を呼ぶレセナートの顎を捉える手の親指が、リウィアスのふっくらとした艶のある下唇をそっとなぞった。

 ──それは、口付けの合図。

 リウィアスが黙って再び瞼を下ろすと、レセナートの唇がリウィアスのそれに落ちて来る。

 初めは優しく、徐々に深くなる口付けに、リウィアスはレセナートの背に廻している手で服を握り締めた。

 レセナートは片手でリウィアスの腰を支え、顎に添えていた手は後頭部に廻した。

「……んっ……」


 暫くして唇が離れると、リウィアスは、くったりとレセナートの肩に寄り掛かった。

 そんなリウィアスの頬を愛しげに撫でるレセナートは、熱い瞳でリウィアスを見つめる。

「会いたかった、すごく……」

 熱の籠ったその声に、リウィアスは嬉しそうに目を細めた。

「私も、貴方にとても会いたかった」

 昨日も会っているのにね? と、少し困った表情で告げるリウィアスの額に、レセナートは唇を寄せた。

「俺は、一瞬でも離れていたくない」

 言葉を受けて、リウィアスはほんのりと頬を赤く染めた。

 その反応を嬉しそうにレセナートは見遣る。


「……もうそろそろ、よろしいですか?」


 レセナートの背後から、控え目に声が掛かる。

 そこに立っていたのは、軍服に身を包んだ一人の男。

 その男の存在には初めから気付いていたものの、レセナートとの遣り取りに夢中になっていたためにすっかり意識から外していたリウィアスは僅かに焦った様子を見せた。

「ごめんなさい、ラルト殿。……こんにちは」

 レセナートに腰を支えられたまま会釈をするリウィアスに、ラルトと呼ばれた男は微笑む。

「ご機嫌麗しく、リウィアス殿」

 涼やかな目許を笑みで細めるこの男は、二十七という若さながら皇太子付き第二師団で団長を務める、レセナートの信頼も厚い側近である。

 リウィアスとも親交があり、普段から冷静に物事を判断するラルトは百近くいる団員を纏める立場にいるため厳しくもあるが、親しみやすい性格をしている。


 何時もレセナートの外出時には傍近くに支えるラルトは、リウィアスと合流すると護衛の任をリウィアスに渡し、城へと戻る。

 二人の甘い空気を遮ってまで声を掛ける事は滅多にない。

 今回そうしたという事は──。

 察したリウィアスは口を開いた。

「お師匠様の事ですね?」

「流石はリウィアス殿。ええ。アゼルク殿の帰還は何時いつ頃になりますか?」

 頷くラルトがアゼルクの帰還を気にする理由は、来月行われる祝賀会にある。

 催されるのは次代国王の節目ともなる二十回目の誕辰の日を祝うもの。そしてその警備最高責任者が『死の護人』であるアゼルクなのだ。

 祝賀会まで一ヶ月を切った今、細かく警備案を練る必要があり、そのためにはまずアゼルクの帰還予定を確認しておかなければならない。

 そして万が一アゼルクが間に合わなければ、代理者であるリウィアスがそれを担う事になるのだが。

「時刻は定かではありませんが、明日帰還される予定です」

 リウィアスの返答に、ラルトはほっと息を吐いた。

「何時連絡が来たんだ? 昨日会った時には何も言っていなかったが……」

 記憶を辿りながらレセナートが首を傾げると、リウィアスは軽く見上げて微笑んだ。

「レセナート達が来る直前にお師匠様から文が届いたの」

 嬉しそうに告げるリウィアスに、レセナートは、そうか、と目を細めた。

「……では、私は陛下にこの事をお伝えしておきます」

 ラルトの言葉にリウィアスは頷いた。

「お願いします」

 二人に見送られて、ラルトは城への帰路に就いた。






 ラルトと別れ、森を訪れた二人。

 少しの間、誰にも邪魔される事なく時間を共有する。

「──当日が待ち遠しいな……」

 背後から抱き締める形でリウィアスの身をその身体で包み込み、樹に寄り掛かるようにして地面に腰を下ろしていたレセナートは、ぽつりと呟いた。

 リウィアスは、そんなレセナートに顔を向ける。

「どうしたの?」

「いや、早く祝賀会でリウィアスを紹介したくて……」

 言いながらリウィアスの手を持ち上げると、その甲に唇を寄せた。

「早くリウィアスを俺の婚約者として知らしめたいんだ。リウィアスは俺のものだって──……」

 レセナートの言葉に、リウィアスの頬が赤く染まる。

 その反応に、レセナートは目を細めた。けれど、直ぐに表情を改める。

 レセナートの纏う空気が真剣なものに変わり、リウィアスはただ黙って彼の言葉を待った。

「──ただ、『皇太子の婚約者』になれば、周りからいわれない批判を受けるだろう。……特にリウィアスは、後ろ盾がないから」


 セイマティネス王国王家には、庶民から妃を迎えた事実が歴史上多々ある。

 しかし、王家の血を薄くする事を良しとしない者は少なくない。

 そのため、その都度批判をかわすために王家の血を引く何れかの貴族と養子縁組を結んだ。


 話の流れを察したリウィアスは瞳を揺らした。

 その事に気付き、苦しげに顔を歪ませながらもレセナートは告げる。

「──王弟シャルダン公爵と養子縁組を結んでもらいたい」

「っ……」

 その言葉を受けてリウィアスの瞳が大きく揺らいだ。

 瞬間、レセナートは強くリウィアスの身体を抱き締める。

「ごめん……。でも俺には、リウィアスを手放す事は出来ない。リウィアスを諦める事は出来ないんだ……」

 苦しげな声音に、リウィアスはその腕の中でかぶりを振った。

「……いいの。お父様ともレセナートに気持ちを打ち明けた日に話をしたから」

 ──そう、レセナートへの想いを認めたあの日の深夜、リウィアスはトゥルフとこれからの事について話をしていた。

 そこで、何れかの貴族と養子縁組を結ぶ事になるであろう事も話題にのぼっていた。

『──いいかい、リウィアス。戸籍上の親子関係がなくなったとしても、リウィアスが私の大切な娘である事には変わりはない。私達は、譬えこの世を去ったとしても親子である事には変わりはないんだよ。だから、殿下から養子縁組の話を頂いた時には、それを受けなさい。そして殿下と幸せになりなさい。それが私に対する一番の親孝行になるのだから──』

 そう言って微笑んだトゥルフ。

 だからこそ、リウィアスはその話を受ける。

「養子縁組の話、受けます」

「リウィアス──……」

「……お父様と戸籍上の関係がなくなってしまう事はとても悲しいけれど、それで現実の関係が途絶えるというわけではないから、大丈夫」

 告げるリウィアスに、レセナートは切なげな声を出す。

「ごめんな……」

 それを受けて、リウィアスは顔を上げた。

 そして、悲しげな表情のレセナートの頬に手を伸ばす。

「謝らないで? 真実、私を欲しいと望んでくれるのなら、共に生きるために課せられる事柄に謝らないで欲しいの」

 その言葉に、レセナートは目を見開く。

「私はレセナートと……、貴方と共に生きたい。これからの一生を、レセナートと共に生きて行きたいの」

 向けられる想い。

 レセナートは、泣きそうな表情で笑った。

「……──リウィアス、ありがとう──」

 リウィアスの頬に口付け、そっと囁く。


「──愛してる。誰よりも」

「……──私も、愛してる」


 応じるリウィアスを愛しげに見つめながらその唇を親指の腹で優しくなぞると、ゆっくりと自分の唇を落とした。



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