第九話・侵入者


 日付が変わって数時間。

 最早もはや、早朝と呼べる時間。

 護人の家の自室で漸く寝台に横になり、短い眠りの入り口に立った時、


 ──ざわっ。


 森の僅かな異変を察知した。

 瞬間、覚醒したリウィアスは、素早く身体を起こすと、常に枕元に置いている剣を手早く腰に帯き、玄関近くに掛けてあった外套を掴んで家を飛び出した。

 すると、指笛で呼び出す前に愛馬が駆け寄って来る。

 外套を羽織り、その背に飛び乗ったリウィアスは『死の森』へと急いだ。


 異変は、『死の森』を統べる七王の中でも最も凶暴と言われる獣の縄張りで起きている。

 王都と外とを繋ぐ唯一のみちが通る場所も、その王の縄張りだ。


 尋常ではない速さで駆ける馬の背で、リウィアスは全神経を研ぎ澄ます。

 ──この騒めきの感じは侵入者か、と推測したリウィアスはある事に気が付いた。

(……怒気が、少ない?)

 通常、侵入者があったならば獣達は殺気立つ。

 特に王は。

 だが現在、獣の殺気は通常の場合と然程さほど変わりはないが、肝心の王の殺気が皆無に等しい。

 それを疑問に感じつつ、騒めきの中心部に近付くにつれて──気付く。

(……血の匂い)

 風に運ばれるそれを嗅ぎ取り、眉をひそめた。

 血の匂いはするものの、しかし獣が攻撃したにしては匂いは決して強くはない。

 それに、微かだが『生きている人間』の気配がする。


 程なくして騒めきの中心部に到着したリウィアスは、軽やかに馬の背から降りると、僅かに眉間を寄せた。

 獣が円を組むようにして集まったその中心に、若い男が血を流して倒れている。

 しかし、獣からはその男の血の匂いはしない。

 つまり、男の怪我に森の獣は無関係という事で。

 近付く存在に気が付いた獣達は左右に一歩ずつずれて道を開け、その間を通って男の傍まで寄ったリウィアスは地面に片膝を付くと腕を伸ばした。

(……きずかたなきず。結構深い、かしら)

 服をまくり、血の匂いの強さと範囲で判断する。至る所に疵を負っているが、中でも酷いのはひだり太腿ふとももにある疵。

 ──本来ならば、侵入者は問答無用で排除しなければならない。

 だが、この男は死なせてはならないと、直感が告げていた。

 それに従い、リウィアスは近くの湧き水を汲んで疵口を洗い、外套を脱ぐと自身が身に着けていた上衣を躊躇う事なく裂いた。

 それを更に細長く裂き、包帯代わりにして手早く止血して行く。

 その時、男が小さくうめいた。

「……へ、いか」

 男がかすれた声で言葉を紡ぐ。

 その言葉を聞いた瞬間、自分の判断が正しかったとの確信を得た。

 止血が済むと、リウィアスはほっと息と吐く。

 医者に見せる必要はあるが、毒さえ使われていなければ取りえずはつだろう。

 そんなリウィアスの一連の動きを、獣達は静かに見守っていた。

 顔を上げたリウィアスは外套を羽織り直し、森の一角に顔を向ける。


「──デイヴォ」


 唐突に呼び掛けるリウィアス。

 直後森の樹々が騒めく。

 そして、強い風など吹いていないにも拘らず樹々が一層大きく枝を揺らしたかと思うと、身のたけ二丈にじょうはあるであろう全てを見透かすような鋭い目をした、狼に似た純白の毛に覆われた獣が姿を現した。

 全身が震えるようなその圧倒的なまでの覇者の気に、リウィアスの周囲にいた獣は皆身を伏して絶対の服従を示す。


 この獣こそ『死の森』を治める七王のうちの一頭で、最も凶暴と言われる『赤王せきおう』デイヴォ。

 『赤王』とは、人間の血でその全身を真紅に染めるところから付いた通称。

 そして、デイヴォというのは、リウィアスが『赤王』に与えた名だ。


 リウィアスは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ありがとう、デイヴォ。貴方がみんなを止めてくれていたのでしょう?助かったわ」

 にこにこと笑むリウィアスに、デイヴォは歩み寄るとその鋭い牙が付いた口許を近付けた。

 それに一切怯む事なく、リウィアスは間近にあるデイヴォの鼻に手を伸ばす。

 デイヴォはリウィアスが触れてもそれを拒む事はない。寧ろ嬉しそうにその鋭い目を細めた。


 ──『死の森』で最も凶暴な王と言われるデイヴォは、確かに人間に対して残酷である。

 が、どの王よりもさとく、どの王よりもリウィアスを認めていた。


「……彼を医師に診てもらわなければならないから、もう行くわ。また、会いに来るからね」

 少し撫でてから告げるリウィアスは、デイヴォの口許近くの柔らかい毛に顔をうずめた。

 そして名残り惜しむように顔を離すと、愛馬を呼び、傍らに横たわっている男の身体を担ごうと手を伸ばす。

 が、リウィアスが触れる直前、男の身体が宙に浮いた。

 ──デイヴォが男を口に咥えたのだ。

 流石に驚きを見せるリウィアスを尻目に、デイヴォは器用にリウィアスの愛馬である青毛の馬の背を跨らせるようにして男を

 デイヴォの行動の理由が分かり、リウィアスは頬を緩ませる。

「ありがとう、デイヴォ」

 幾ら剣術に長けていようともリウィアスは女。

 華奢な身体で自分よりも頭一つ分は高いであろう男を担いで馬の背に乗せる行為は困難を極めると判断したデイヴォが、代わりを務めたのだ。

 男の身体に新たな疵を付ける事もなく。

 デイヴォは何て事はない顔で、ただ優しくリウィアスを見守る。

 気持ちをありがたく受け取ったリウィアスは男の身体が落ちないようにと馬に括り付け、自身も愛馬の背に跨るとデイヴォ達に別れを告げた──。



 ・*・*・*・*・*・



 護人の家の前まで戻り、何とか男を馬の背から降ろしたリウィアス。

 自身の寝台に寝かせ、容体を確認すると、直様医師を呼びに馬を走らせた。


「……はーい、……ん?嬢ちゃん、どうかしたのか?」

「早くにごめんなさい、先生。怪我人がいて見て頂きたいのだけれど……、家まで来て頂けますか?」

「はいよー。ちょっと待ってな?直ぐ荷物持って来っから」

 寝ていたらしい壮年そうねんの男性医師に詫びを入れつつ護人の家まで往診を依頼すると、リウィアスがトゥルフと共に王都に移り住んだ時からの付き合いである医師は、嫌な顔一つせずにこころよく引き受けた。

 そして、一度診察道具を取りに戻った医師と共に、リウィアスは男の許へと急ぎ向かった。


 ──診察と手当が終わると、医師は手を洗いながらリウィアスに微笑みかける。

「……相変わらず、嬢ちゃんの手当は的確だな。お陰で大事には至ってない」

「良かった」

 信頼する医師に言われ、リウィアスは安堵の息を吐いた。

「熱が出るだろうから、解熱剤と痛み止め、化膿止めを置いておくから。……まあ、全部嬢ちゃんが調合した物だけどな」

 そう言って医師は笑う。


 『死の森』には稀少な薬草が多種生息し、リウィアスはそれで薬を調合する事を得意としている。また、リウィアスが調合した薬はとても薬効が高かった。

 ただ、一度に採取出来る薬草の量は植物の生態系を護るために限られている。日々、場所を変えながら少しずつ集めていても決して大した量にはならない。故に作れる量も知れていて。

 リウィアスはその調合した薬の三分の一は手許に、他はこの医師に無償で渡していた。


 昔から、質が良く薬効の高いものは城に納めるのが慣わし。

 それは王家の者を護るために。国を背負う者を護るために。

 しかし、リウィアスはそれをしていない。

 理由は、薬効が高いからこそ、なるべく多くの人に使われるように。

 信頼するこの医師以外に渡していないのは、大量生産の出来ない薬が高値で取引される事を防ぐためだ。

 この事実は当事者であるリウィアスと医師、そして国王夫妻、レセナート、トゥルフ、アゼルクの七人しか知らない。


「んじゃ、そろそろ帰るわ」

「診療費は?」

「んー?薬は嬢ちゃんが調合した物だからいらねーぞ」

「駄目ですよ。薬はともかく、出張費と診療代は払わせて頂きます」

 そう言ったリウィアスは、男が眠っている自室にある引き出しから静かに財布を取り出し、中から金貨を一枚と銀貨を数枚取り出した。

 それを紙で包み、医師の許へと戻る。

「──はい、出張費と診療代です」

「……あー、良いのに。──ありがとうな。つーか、明らかに多いぞ……」

 リウィアスが笑顔で差し出したそれを渋々受け取った医師は、困惑の表情を浮かべる。

「たまには良いでしょう?」

 ──何時もタダ同然で診療をしているのだから。

 有無を言わせない表情のリウィアスに、医師は諦めたように息を吐く。

「お送りします」

「歩いて帰れるから」

「駄目です」


 ──半ば無理やり医師を送り届けたリウィアスは、護人の家に戻ると直ぐ荷物文を二通書いた。これもまたトゥルフに教えてもらい、人一倍の努力をって身に付けた特技。


 書き終えたリウィアスは、瑠璃色の鳥ルディを呼び、手紙を託した。

 一通は第二師団団長ラルトへ。もう一通は教会にいるアルザに。

 現在、漸く空が白み始めた時刻だが、ラルトは既に起きて職務に就いている時間。ここ三、四年程木刀をもちいて剣術の訓練に励んでいるアルザは、起きてその訓練を行っている時間だった。


 ラルトに宛てた文には『死の森』で保護した男に関する事を、アルザに宛てた文には、自分が仕事に赴いている間の怪我人の看病を頼みたい旨を記した。


 ──優しいアルザの事だ。

 嫌な顔一つせずに来てくれるだろう、と思い、男の容体を再度確認した後、昨日のうちにアルザが届けてくれていた食材を使って、今日帰還予定のアゼルクの好物と、アルザが来てくれた時のために食事を拵えた。

 そして食事が出来上がった頃、二つの気配が近付いて来るのを察知する。

 手を止めたリウィアスは、外へと出た。

 農業地の方から歩いて来る二つの影はリウィアスに気付くと、駆け出した。


「──おはよう、アルザ、ルイス。来てくれてありがとう」

 笑顔で出迎えると、二人共に頬を緩めた。──アルザはそれを必死に抑えようとしているが。

「……おはよ」

「おはよう、リウィアス。俺も来ちゃった」

 朝早くから顔を合わせるのは久々。余程リウィアスに会えて嬉しいらしく、アルザの口許は緩み、ルイスはにこにこと笑んでいる。

 リウィアスも二人同様、頬が緩みっぱなしだ。

「来てくれて嬉しいわ。──さあ、入って。朝食はまだでしょう?」

 二人を家の中へと促したリウィアスは、出来たばかりの朝食を食卓に並べた。

「──先に食べていて。私は彼の様子を見て来るから」

「……俺も、行く」

「俺も」

 二人に先に食事を摂るよう勧めたものの、共に行くと言う彼らの意思を尊重するようにリウィアスは頷いた。

「……こっちよ。眠っているから、静かにね?」

 自室まで先導するリウィアスに続いた二人は、寝台に横たわる男の姿に微かに眉を顰めた。

「……大丈夫なのか?」

 アルザが眉間に皺を寄せ、口を開く。

 アルザが『大丈夫か?』と問うのは男の怪我の具合ではない。

 男自身が安全かそうでないかを訊ねているのだ。

 リウィアスは頷くと、寝台脇にある小卓の上に置いていたを手に取り、それを二人の視界に入れた。

「!それ……」

 リウィアスが手にしているそれを見た二人は瞠目する。

「──ええ。彼は、セイマティネス王国の騎士よ」

 リウィアスの手にある物。それは、セイマティネス王国王家に絶対の忠誠を誓った騎士のみが持つ事を許される徽章きしょう

 これに気付いたのは、男が医師の治療を受けていた時。

 通常は衣服の襟元に着けられる物だが、男の場合、上衣の内側、更に目立たぬ位置に着けられていた。

 この徽章の存在は広くは知られていない。持てる者も、少ない。が、アルザとルイスは国王の信頼も厚いトゥルフと生活を共にしている上、代理者であるリウィアスととても近しい間柄であるために、その徽章を持つ人間との接触があり、実際に目にした事もあった。

 ──そのうちの一人がラルトである。

 徽章を目にした事で幾らか警戒心が薄れたらしい二人に背を向け、それを小卓の上に戻したリウィアスは男の額に手を伸ばす。

 触れたそこは、熱を伴っていた。

(熱が出てきたわね……)

 しかし薬を飲まそうにも意識のない男は呑み下す事は出来ない。

 リウィアスは冷たい水に浸し絞った布を、男の額に優しい手付きで乗せた。

 そして、時折苦しそうに顔をしかめる男の耳許にに口を寄せ、そっと囁く。


「──もう大丈夫。ここはセレイスレイド。暫くしたら貴方の仲間が来る。それまでは安心して眠りなさい」


 優しい口調で、優しい声音でそう告げると、眠る男の表情は和らいだ。



 ・*・*・*・*・*・



「……如何なさいますか、殿下」

 リウィアスから文を受け取ったラルトは、執務室にて既に仕事に取り掛かっていたレセナートの許へと赴き、報告を行った。

 本来ならば今現在が起床時間であるが、リウィアスと会う時間を作るためにレセナートはこうして朝早くから仕事に取り掛かる。

 ラルトから文を受け取り報告を受けたレセナートは、鋭く目を細めた。そこにリウィアスに向ける甘さは一切ない。

 今ここにいるのは王位継承権第一位皇太子レセナートである。

「──徽章……」

 リウィアスからの報告によれば、森で保護した男は徽章を持つという。

 少し思考を巡らせたレセナートは、ふと思い当たった様子で口を開く。

「確か、第五師団のウォルターと最後に連絡が取れたのは二日前だったな?」

 その言葉に、はっとしたラルトは険しい表情で頷く。

 セイマティネス王国第五師団は、表向き城や王都の警備を行っているが、実際の所

 、裏で諜報活動を行う部隊だ。

 そんな第五師団に所属するウォルターという男。彼は現在諜報活動のために国を離れており、最後に報告が届いたのが二日前。

 諜報活動は敵の懐に潜り込んで行うため、他の任務よりも格段に危険を伴う。

 故に、出来得る限り細かく報告を行うのが決まりだった。──少しでも多くの情報を味方に伝えるために。

 それが二日前に報告を寄越したきり、連絡がない。

 別に珍しいという事柄でもないが、しかし今回ウォルターが潜り込んだ場所が場所だった。

「──ウォルターの可能性が高いな」

「そのようですね。……負傷したという事は、あちらに何らかの嫌疑を掛けられたという事が考えられますが、しかし彼は優秀です。あちらに何らかの情報を漏らした可能性は低いでしょう」

 レセナートは文をじっと見つめた。

 男は意識がないため早くても昼頃に来て欲しい、とも記してあり。

「……仮定の話をしても仕方がない。昼には俺も行こう」

 ラルトが微かに眉を顰めた。

「本日アスヴィナ王国国王御一行が到着されますが……」

 アスヴィナ王国はセイマティネス王国の隣国であり、大陸三大国の一つ。第一の勢力を誇る大国である。

 そしてセイマティネス王国と同盟を結んでいる国でもある。

 そのアスヴィナ王国国王一行が、残り一ヶ月を切った祝賀会のために訪れるのだ。

 その主役であり、皇太子であるレセナートが出迎えないわけには行かない。

「到着されるのは午前中だっただろう。大丈夫だ。父上の許可は頂くし、間に合わせる」

 そこまで言われたならば、ラルトは頷くしかない。


「──承知致しました」


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