第十話・制約


 アルザ、ルイスと共に朝食を摂ったリウィアスは、然程時間を置かずして護人の家を後にした。

 愛馬の背に跨り、森を駆ける。

 森の出口までは通常、馬を全力で疾走させても一時間以上。が、リウィアスの愛馬である青毛の馬ならば、駆けて僅か二十分弱で着く。加えて疲れを知らない、底なしの体力を持ち。


 出口付近に来ると速度を落とし、リウィアスは羽織る外套のフードを目深に被った。

 ──『死の護人』は『外』の人間にその顔を見せる事を良しとしない。止むを得ない場合を除き、その素顔を隠す。

 それは代理者であるリウィアスも同じ事。

 馬の背から降りたリウィアスは樹に寄り掛かり、目を閉じた。

 さわさわと風が揺らす葉の音と、森で生きるものが奏でる様々な音が、常に鋭く研ぎ澄まされた五感を心地良く刺激する。


 ──暫くしてゆっくりと瞼を上げると、『外』と森の境界に立った。

 遠方に、三台ある馬車のうち、特に一台を馬で囲むようにして進む一団が現れる。

 森へと確実に歩を進めていたその一団はリウィアスから少し離れたところで停止し、なかから一騎抜け出てリウィアスの前で歩みを止めた。馬に跨るは、軍服に身を包んだ四十代半ばの男。

 男は馬上から、フードで顔を隠したリウィアスを探るように睨み付けた。

「──フルヴァンリア国の方々ですね」

 フルヴァンリア国。セイマティネス王国の西に位置する隣国で、同盟関係にある小さな国である。

 リウィアスが確認のために声を掛けると、目の前にいる一団が騒めいた。

 膝下まである外套と顔を覆うフードによって性別を判断出来なかったらしい。発せられた声で女と知った彼らに動揺が走る。

「──お前が『死の護人』か?」

 人を見下したような声音に、しかしリウィアスは表情一つ、心さえ動かさずに淡々と答える。

「当代『死の護人』は、現在別任務のため護衛には当たれず、『代理者』であるわたくしが今回の護衛を務めさせて頂きます」

 告げると、馬上の男は盛大に顔を顰めた。

「……お前が護衛を務めるだと……?」

「はい」

「陛下の護衛がお前のような女に務まるはずがない。早々に『死の護人』を呼べ」

 護衛が女である事に不満を感じた者は、この男だけではない。フルヴァンリアの騎士の多くが男に同意を示す。

 しかし、リウィアスは気分を害した様子もなく、平静をたもったまま口を開く。

「ご不満ならば、お引き取り頂くより他はございません」

「なっ……!!」

 リウィアスの言葉に、騎士達は怒りを見せた。

「無礼者っ!我らを愚弄ぐろうするつもりか……!!」

 怒りに任せ、馬上の男が腰に帯いた剣の柄に手を掛けた。──瞬間。

「っっ……!!」

 リウィアスが一気に殺気を放った。しかしそれは、リウィアスにとっては微々たるもの。

 けれども剣を抜こうとした男は放たれた殺気に呑まれ、その体勢で硬直した。

 男達は身をすくませ、息を呑む。

 リウィアスは殺気を放出させたまま、静かに言葉を発する。

「──『何人なんぴとといえども『死の森』では『死の護人』ならびに『代理者』の支配下に入る。従えぬ者、『死の森』に関わる事全てを禁ずる』」

 その言葉に、はっとした様子を見せた男達。

 リウィアスが告げた言葉は、『死の森』に関する『制約』の一部。

 この『制約』は、セイマティネス王国初代国王が王都と『死の森』を護るために制定したものだ。無論、森を通る人間を護るためのものでもある。

 この『制約』に同意出来なければ、『死の森』に立ち入る事は出来ない。

 この事実は、大陸に暮らしていれば誰もが知る事。勿論、王国の民ではないこの男達も例外ではなく。

 にも拘らず、リウィアスには従えぬと告げたのだ。

「誰であろうとも『制約』に従えない方を通すわけには参りません」

 指示を無視して勝手に行動されては、護ろうにも護れない。

 それに護人の最優先事項は王都の砦でもある『死の森』を護る事。

 従えぬ者を森に入れるわけには行かない。


「──そのくらいで良いだろう」


 張り詰めた空気のなか、厳かな声が通る。

 驚き振り向くフルヴァンリアの者達を余所よそに、殺気を収めたリウィアスは静かに声のした方へと顔を向けた。

 それはフルヴァンリアの背後。

 佇むのは、フルヴァンリアよりも若干人数の多い一団で、彼らはフルヴァンリアの騎士同様、種類は異なるが軍服に身を包んでいる。ただし、それを着る者の格が違う。言うなれば『月とすっぽん』。──いや、それさえ失礼か。

 一団はフルヴァンリアの面々がリウィアスに対してさげすみの言動を取ってる頃に静かにやって来ていた。

「アスヴィナの方々ですね」

「如何にも。待たせたか?」

 厳かな声はアスヴィナの四台あるうち騎士が特に護る一台の馬車のなかから聞こえた。

 声の主は馬車の小窓を開けて顔を見せる。途端、フルヴァンリアの面々が一斉に頭を下げた。

「これはウェルデン国王陛下!!ご機嫌麗しく」

 真実を見極めるような鋭い瞳を持つ美しい金の髪の男は、頭を下げた彼らに一瞥いちべつを投げただけで、直ぐにリウィアスに視線を寄越した。

 周囲を圧倒させる程の覇気を見に纏ったこの男こそ、セイマティネス王国と同盟を結ぶ大陸一の国土と勢力を誇るアスヴィナ王国の国主ウェルデン・キールレニオス・クロムウェルである。そのよわい五十一。

 しかし、人に畏怖の念を与える視線を真正面から受けても、リウィアスの表情は一つも変わらない。

 その様に、ウェルデンは人知れず口角を上げた。

「──そなたが『代理者』だな?」

「はい」

「そなたの事はコルゼス国王から聞いている」

 淡々とした様子のリウィアスが、そこで初めて表情を変えた。

「……陛下から?」

 ウェルデンはくすりと笑った。

「ああ。信頼に足る人物である、と。そなたは『死の護人』よりも剣の腕が立つそうな」

 その言葉を受けて、フルヴァンリアの者達が再び騒めいた。

 リウィアスは困ったように眉尻を下げる。

 その表情こそフードに覆われて知れないが、気配でそれを察したウェルデンは、くつくつと笑う。

 リウィアスは一つ息を吐くと、口を開いた。

「──確かに剣の腕は今では私の方が勝るかもしれませんが、その場での状況判断など、私はまだまだ師には敵いません」

「『死の護人』がそなたの師か」

「ええ。尊敬してやまない私の師です」

 きっぱりと言い切ったリウィアスに、ウェルデンは目を細めた。

 しかし優しい色を浮かべていたその目を一転、厳しものに変えると、フルヴァンリアの一団へと視線を移す。

「……さて、そなたらはどうする?」

 自分達は彼女に護衛を頼むがお前達は帰るか?と言外げんがいに訊ねるウェルデンに、それまで静観を決め込んでいた馬車の中の人物が声を発した。

 馬車の小窓を開けた白髪の混じった灰色の髪の男はウェルデンに会釈をすると、自国の騎士に指示を出す。

「『代理者』の護衛で行く」

 この男がフルヴァンリア国国王デイビット二世。

 自国の王の言葉を受けて、騎士達は気まずげに頷いた。

 無理もないだろう。先程まで自分達が散々見下しけなしていた相手に護衛を依頼するのだから。

 しかも、大陸一の大国を治めるウェルデンが認めたのは明らか。フルヴァンリアの者のほとんどが複雑な表情を浮かべていた。

 それに眉を顰めたウェルデンに気付き、彼らは慌てて表情を改める。

 一つ息を吐いたウェルデンは、リウィアスに視線を向けた。

 どうする?と言葉ではなく目で訊くウェルデンに、それを気配で察したリウィアスは静かに微笑んだ。

「『死の森』にて私の指示に従い、我らが国王陛下にあだを成す事がなければそれで」

 それさえ誓えるのならば幾ら罵詈ばり雑言ぞうごんを浴びせてもらっても構わないと告げるリウィアスに、フルヴァンリアの者達はもう何も言わなかった。


 一同はリウィアスの護衛の下、『死の森』へと足を踏み入れた。



 ・*・*・*・*・*・



 森では先にフルヴァンリア、後にアスヴィナと列を成し、馬車にはフルヴァンリア国王デイビットと王妃シュリー。アスヴィナ国王ウェルデン、皇太子ラルファ、王女フレイラ。その他には二国の侍女らがそれぞれ乗り、リウィアスはその横を愛馬に跨り進んだ。

 普段は人間が立ち入る事を許されないその場所を連なって進んでいると、獣達が路ではない場所を並んで共に歩き出す。

 そしてそこは流石に騎士。姿をさらさずとも獣の気配を察知し、周囲を警戒するように視線を巡らせた。

 しかし、リウィアスは動く素振りを見せない。

 近くを進んでいた馬車の中からウェルデンが小窓を開けてリウィアスに視線を向けると、その視線だけで察したリウィアスは馬車の傍へと寄った。

「ご安心下さい。私の指示に従って頂ければ、襲っては来ませんので」

 訊ねられる前に答えるリウィアスは、穏やかな笑みを浮かべた。

 フードで顔の大半が隠されてはいるが、晒された口角が上がった事でそうと分かる。

 リウィアスが言うならば大丈夫だろう、と根拠もなしに思いながら、ウェルデンは別の言葉を紡ぐ。

「幾度もここを通るが、ここまで殺気を感じた事はなかったのだが」

 その疑問にリウィアスは笑みを深くした。

「仲間意識が強いので」

「仲間……?」

「ええ」

 リウィアスはそれ以上答えない。

 訊いても無駄だと判断したウェルデンは追求する事はなかった。

 リウィアスは感謝を表すように小さく頭を下げる。


 獣が殺気を放っているのは、人を警戒している事もあるが、原因の大半は先程森の出入り口付近での遣り取りにある。

 フルヴァンリアのリウィアスへの言動を、獣らは見聞きしていた。

 森に棲まうもの達は知能が高く、人語を解するものが多い。譬え言葉を解せなくとも雰囲気や表情で察する。

 獣達にとって、リウィアスは『仲間』。その仲間を愚弄したフルヴァンリアへ怒りを向けているのだ。


 本来、『死の森』に棲まう獣は人には決して懐かない。それが譬え『死の護人』であっても。

 『死の護人』は古の盟約を交わした相手。ただ協力関係にあるだけで、『仲間』ではない。

 それが、何故かリウィアスは『仲間』として認識されている。

 ──懐くはずのない獣達が、リウィアスにだけは心を開き、甘える。

 『代理者』として見る目は厳しい事に変わりはないが、しかしリウィアス個人を見る時『死の森』の獣は優しい。

 けれど、それを知られる事は避けなければならない。

 万が一にも、森を破壊、獣達を害するためにリウィアスが利用されるわけには行かないのだ。

 だからこそ『外』の人間には特に詳しくは話せない。


 リウィアスは顔をフルヴァンリアの方へと向けた。

 獣達はフルヴァンリアへ殺気を向けてはいるが、別に襲うつもりはない。だから放っておいても構わないのだが──。

 リウィアスは苦笑した。

「どうした?」

 気付いたウェルデンが訝しげに口を開いた。

「襲うつもりはないので身の危険はないのですが、フルヴァンリアの方々の馬が限界のようで……」

 殺気を向けられているのはフルヴァンリアのだけだが、彼らの乗っている馬は彼らに対する殺気の被害を受けている。

 アスヴィナの馬達でさえ怯えを見せているのに、もろに殺気を浴びる羽目になったフルヴァンリアの馬はその比ではない。

 殺気を収めてやらねば、恐怖のあまり倒れかねない。

 リウィアスは樹々の方へと顔を向け、指を口許に運ぶとそれを咥えた。


 ピィ────ッ……。

 高く美しい音が辺りに響く。


 突然の行動に見返る面々には反応を示さず、樹々の方に顔を向けていたリウィアスは、ふ、っと笑みを溢した。

 一連の行動にまばたいていたウェルデンはある事に気付き、森を見遣る。

「殺気が収まった、か?」

 完全にとまではいかないが、先程と比べると雲泥の差。

 同乗しているウェルデンと似た雰囲気を持つラルファもまた同じように森を見回した。──ただ、同じく同乗しているフレイラだけは、きょとんと目を丸くしていたが。

 騎士達もまた獣の殺気が収まった事を知って、周囲を見回す。

 恐怖に身を竦ませていた馬達は、幾らかほっとした様子を見せた。

 それを確認したリウィアスは目を細める。殺気を抑えさせたのは、決して人のためではない。馬のためだ。

 穏やかな表情を浮かべるリウィアスとは対照的に、腕に覚えのある者達の表情は驚愕に満ちていた。

 獣を制したのがリウィアスである事は言わずとも知れる。

 それも、指笛一つで。

 最早リウィアスを侮る者は、この場には誰も存在しなかった。──フルヴァンリアの人間でさえも。

 その時、少し強い風が吹いた。

「っ!?」

 瞬間、馬車の中でラルファが息を呑む。

 ウェルデンでさえも、驚きを示した。

 ──それは一瞬。

 風がリウィアスのフードを少しばかり捲り上げた事で、傍近くにいたウェルデンとラルファは目撃した。


 アスヴィナでさえ目にした事もない程の美貌に、優しい笑みを湛えたリウィアスの顔を。


 ただ、丁度リウィアスからは陰となる位置に座していたフレイラは、驚く父と兄を不思議そうに見つめた。

 フードは直ぐに元に戻り、再びリウィアスの顔を覆い隠す。

 しかし尚、外される事のない二人の視線。




 リウィアスはにっこりと笑み、立てた人差し指を自身の唇に押し当てた。




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