第七話・偽らない心


「……これから森に行くんだろう?」

 教会の庭園で、レセナートは触れ合う程近くに立つリウィアスに訊ねた。

「ええ」

「俺も行くから」

 頷いたリウィアスを確認したレセナートは当然の事のように告げる。

 リウィアスはまばたいた。

「……仕事は?」

 国王程ではないが、皇太子であるレセナートは常に多忙を極めている。

 外交、会談、国王の代理。そういった重要な仕事を担っているのだ。

 しかし、レセナートは笑みを浮かべた。

「俺じゃなければならない仕事は昨日と今日の午前中で終わらせたから、夕方までは休みだ。ちゃんと父上の許可もある」

 今は正午前。つまりは三、四時間程は共に時間を過ごせるという事。

 リウィアスはその事実を嬉しく思うと同時に、彼の健康を案じた。

 レセナートは何て事はないように告げるが、それは尋常ではない量の仕事を短時間で熟し、且つ失敗の一つも犯さなかった事を示している。

 ──何時もそうだ。

 レセナートはリウィアスに会うために無理をする。

 それを知っているリウィアスはレセナートの身体が心配だった。

 そんなリウィアスの心情を読み取ったレセナートは、安心させるように笑みを浮かべた。

「……無理はしていない。無謀な事を繰り返していたなら、もうとっくに倒れているさ。それに、譬え疲れていたとしてもリウィアスに会うだけで簡単に癒されてしまうから、──そんな顔をしないで」

 レセナートはリウィアスの頬にそっとその手で触れた。

 リウィアスは意識せずにその手に頬擦りをする。

「……はい。……でも、本当に無理はしないでね?」

 念を押すリウィアスにレセナートは嬉しそうに頬を緩ませた。

「ん。大丈夫。リウィアスを悲しませる事は絶対にしないから」

 そう告げたレセナートは、不意に空いている方の手を下に引かれた。

 視線を下向けると、そこには満面の笑みを浮かべるライラの姿が。

「お兄ちゃん、一緒に遊ぼう?」

 皇太子といえど幼いライラにとっては、大好きなリウィアスと親しい『お兄ちゃん』である。

 レセナートは優しい笑みを浮かべた。

「ん?直ぐに出るけどそれでも良いなら少しだけ遊ぶか?」

 慣れた様子でレセナートはライラに手を引かれて庭園の中央へと移動して行く。


 レセナートはリウィアスと出逢ってから一般家庭の子供との交流が増えた。というのも、リウィアスは子供にも好かれているため、街で行動すれば、仕事でない限り傍へ寄って来る。共にいれば自ずと接する機会も増えるわけで。

 彼が自国の皇太子である事は皆知っている。それは子供でさえも。けれどもリウィアスに対する態度を見て、親しみを感じるらしく、結果レセナートは子供達の良き『お兄さん』となった。



「……リウィアス。もうそろそろ、自分の気持ちに正直になっても良いんじゃないかな……?」

 再び花壇の淵に腰を下ろし、ライラの相手を務めるレセナートに温かな表情を向けていたリウィアスに、同様に彼を眺めていたトゥルフが口を開く。

 呟くようなその言葉に、リウィアスは思わずといったように顔を向けた。

「……正直……に……?」

 不安を抱えたようなそんなリウィアスに顔を向けたトゥルフはしっかりと頷き、そして愛する娘を真っ直ぐな瞳で見据えた。

「殿下は当然の事、陛下、王妃様もリウィアスが殿下の妻となる事を心から望んでおられる。……それに、譬えリウィアスの目が子供に遺伝したとしても、それを受け入れ乗り越えてきたリウィアス自身がいるのだから心配する必要はないと思うよ」

 さとすような言葉に、珍しくリウィアスの瞳が揺れた。

 ──それが意味するのは、迷い。

 真剣に悩み、苦しんできた証拠である。

 トゥルフはリウィアスの手を己の手で包み込んだ。

「苦しければ殿下を頼れば良い。共に苦しみ、悲しみを分け合って行けば良い。……それとも、殿下は頼りにならないかい?」

「っ、……」

 リウィアスは切なげにかぶりを振った。

 トゥルフの目が何処までも優しい色で染められる。

「それならば大丈夫だ。どんなに苦しくても、辛くても、殿下と二人でなら乗り越えられる。そう信じる事から始めなさい」

「……はい」

 小さいけれど、しかし確りと頷いたリウィアスに、トゥルフは安心したように微笑んだ。


「……リウィアス?どうかしたのか?」

 少し離れたところでライラと駆け回っていたレセナートがリウィアスの様子の変化に目敏めざとく気付いて駆け戻って来る。

 顔を覗き込むようにして身を屈めたレセナートにリウィアスはかぶりを振った。

「大丈夫よ。ありがとうレセナート」

 微笑むリウィアスにレセナートは心配げな表情を浮かべながらも頷く。

「……無理はするなよ?」

「……うん」

 そんなレセナートに、リウィアスは珍しくはにかむように頷いた。

 思わぬそれに微かに頬を赤らめたレセナートの傍らで、直ぐに平静に戻ったリウィアスが立ち上がる。

「──お父様、そろそろ行きますね」

「……うん。気を付けてお行き」

 トゥルフも立ち上がってリウィアスを送る言葉を発する。

「もう、行っちゃうの?」

 レセナートの後を追って駆けて来たライラが寂しそうに口を尖らせた。

「うん。ごめんね?」

 リウィアスが頷くとライラは哀しげに眉尻を下げたものの、先程アルザに言われたからか直ぐに笑顔に戻った。

「ううん、また来てくれるでしょう? その時遊んでくれるでしょう?」

「うん。また必ず来るから、その時にたくさん遊ぼうね」

 微笑んでリウィアスが言うと、ライラは元気一杯に頷いた。

「うん!!」

 優しい笑みを浮かべるリウィアスにアルザが口を開く。

「……気を付けて行けよ」

 ぶっきらぼうだが、それでも心ある言葉にリウィアスは嬉しげに笑んで頷く。

「うん。ありがとう、アルザ」

「またね、リウィアス」

「うん。何時でも呼んで、何時でも家に来て良いからね?」

 ルイスの見送りの言葉にも応え、リウィアスはフィーネに顔を向けた。

「またね、フィーネ」

「うん。またね、リウィアス。気を付けてね?」

「うん」

 皆と挨拶を交わしたリウィアスはレセナートと共に教会を後にし、馬に跨って森へと移動した。



 ・*・*・*・*・*・



 新緑しんりょくで覆われた『死の森』にある湖畔こはんで、リウィアスとレセナートは寄り添うように腰を下ろしていた。

 二人の周囲は穏やかに時が過ぎて行く。


 昼には森の樹に実る果実を幾つかぎ、それを食事とした。

 リウィアスは料理が出来ないわけではないが、しかし、森に入る際はいつ食事につけるか分からないため、その時に森で採取した食べ物を食事として口にする。それが決まりのようなものだった。

 必然と、共に食事を摂るレセナートも森で採取したものを口にする。それを次期国王であるレセナートは嫌がる事なく、寧ろ楽しげにその時間を過ごしていた。


 立場上、特に外出先では毒見役を欠かせないレセナートだが、リウィアスが共にある時はそれがない。

 理由は、リウィアスが国王コルゼスの絶対の信頼を得ているから。そして、当初猛反対していた国王、皇太子それぞれの側近をリウィアスが説得したからだ。

『──殿下は必ずわたくしがお護り致します。それに毒を混入させようとする者の自由を許す程、『死の森』が甘いとお思いですか?』

 側近である大臣達を前に堂々とたたずみ、ぞくりとする程の妖艶な笑みを浮かべたリウィアス。その時、その場にいた誰もがその身を震わせた。──当時十五だった少女に。

『それともわたくしでは毒の混入に気付けぬと、あなどっておられる?』

 鋭い眼光と僅かな殺気に側近達は青褪あおざめ、幾度もかぶりを振った。

『──ご安心を。決して殿下を傷付けさせはしません』

 はっきりと言い切ったリウィアスの強い言葉と表情に、それまで断固として反対していた側近達は頷いたのだ。


 以来、場所は限られてはいるものの、自然に実る物を自分の手で捥いで食し、直前まで火に掛けられていた物を直ぐに食す。そんな普通の事が許されるようになった。

 些細な事だが、それはレセナートにとって安らげる時間。そしてリウィアスがわざわざ城に赴いてまで反対する側近を説得したのは、自由が制限されるレセナートのため。それを知っているレセナートは更にリウィアスを愛しく想ったのだった。


 常に神経を張り巡らせながらもレセナートとのひと時を楽しんでいたリウィアスの周りに、森の獣達が集まる。

 それは小さいものから大きいものまで。

 しかし、二人はそれらを警戒する事はない。

 この獣達はリウィアスを慕って集まって来たのであって、決して二人を害そうとしているわけではないからだ。

 獣達は何をするでもなく、ただリウィアスの気配を近くで感じられるだけで満足するようで、二人の邪魔をしない距離で寝そべっている。


 心地良い、優しい風が二人を撫でた。


「……なあ、リウィアス」

 昼食を終え、互いにもたれ掛かるようにして時を過ごしていると、レセナートがリウィアスの手の甲を優しい手付きで撫でながら口を開いた。

 レセナートの肩に頭を預けていたリウィアスは顔を上げる。

「なあに?」

「うん、……──来月の二十四日に城で各国から賓客ひんきゃくを招いて俺の二十歳の祝賀会を催すんだが……」

「うん」

 言葉を切ったレセナートにリウィアスは相槌あいづちを打つ。


 皇太子の誕辰たんしんの日。それも二十歳というめでたいその日に向けて、王都も活性化する。比例して代理者としての任も増え、半月程前から森での護衛依頼も増加傾向にあった。


 何処か緊張した面持ちのレセナートは真っ直ぐにリウィアスを見据えて、意を決したように言葉を発する。

「──その時、俺の隣にいてほしい」

「! ……レセナート」

 その意味を知るリウィアスは瞳を揺らした。

 セイマティネス王国では十五で成人となり、加えて王族では未婚の場合二十歳になると婚約するのがならわしとなっている。そして宴の席で隣に相手を連れてそれを示すのが常。

 つまり、二十歳の祝いの席で隣に並ぶ事は婚約者として公表する事と同じで。

「……リウィアスが俺と共に一生を生きる事を選んでくれるまで、俺は何時までも待てる。周りに婚姻や子を催促されるならその時は王族から養子を取る。その事は父上もご承知だ。だから、無理にとは言わない」

 レセナートは何時もリウィアスに逃げ場を残す。

 確かに、子を成せなかった王、または皇太子で同じ王族から養子を取った前例は幾つかある。しかしそれは婚姻を結んでいた上での事。独身をつらぬいた王、皇太子など前代未聞。

 それを実行しようとすればかなりの反感を買うであろう事は目に見えている。

 だが、レセナートはそれを躊躇う事なく実行するだろう。──譬え、その地位を失う事になっても。

 リウィアスはそう確信していた。

 ただ一途にリウィアスを想う。それが四年間共に過ごして見て来たレセナートの姿だからだ。


 リウィアスは少し躊躇いがちに、空いている方の手をレセナートの頬に伸ばした。

 そっと指先が触れる。

 そして、微かに震える唇を開いた。

「……私が隣にいても、本当に良いの?」

 リウィアスの形の良い唇から紡がれた緊張をはらんだ言葉に、その意味を理解したレセナートの目が驚きで見開かれた。

 そして、自分の頬に触れるリウィアスの手を自分のそれで確かめるようにぎゅっと握った。

「……リウィアスにしか隣にいて欲しくない。リウィアス以外なら、いらない。俺が愛しているのは、リウィアスだけだ」

 四年間、ただひたすらに真っ直ぐ想ってくれるレセナートの言葉に、リウィアスは切なく苦しげに顔を歪ませた。

 その表情がレセナートを不安にさせる。

 けれども、次にリウィアスから発せられた言葉はその不安を一瞬で消し飛ばした。

「……レセナートの隣にいたい。──どうか、貴方の隣にいさせて……?」

「っ!!」

 それはレセナートの求婚を受ける言葉だった。

 レセナートは息を呑んだ。

 出逢ってから四年間、会う度に必死に想いを伝え続けた。けれどレセナートの立場、自身の障害を考えたリウィアスから返される返事は断りのものばかり。

 リウィアスの心がレセナートを求めるようになってからも返って来る返事は何時も同じ。

 ──譬え苦しげに顔を歪ませていたとしても。

 それが今、リウィアスの口から返されたのは承諾の言葉。

 レセナートは空耳ではないかと思った。

 だから──。

「……本当に……?」

 震える声でレセナートは確認する。

 リウィアスは頷いた。──確りと。

「……レセナートの隣にいたいの」

 願う響きの宿るその言葉を耳にした瞬間、レセナートは愛しい女の細く柔らかく、そして鍛えられた身体をその腕の中に閉じ込めた。

 レセナートの背中にリウィアスの腕が控え目にまわされる。

 それを確認すると、レセナートの抱き締める腕に更に力がこもった。

 リウィアスは頬を赤らめつつ、それでも居心地良さそうにレセナートの腕の中で瞼を下ろした。

「──ありがとう、リウィアス」

 その言葉に、リウィアスはレセナートの腕の中でかぶりを振る。

「……お礼はこちらの方。──ありがとう、私をずっと想っていてくれて。──愛しています」

「っっ!!」

 レセナートは、ばっと勢い良く身体を離した。

 リウィアスは突然の事にまばたく。そんな彼女をレセナートは驚きの表情で見つめた。

「……今、なん、て……?」

 その言葉で、彼が何に驚いているのかが分かったリウィアスは頬を染め、しかし真っ直ぐに同じ言葉を贈った。

「──レセナート、貴方を愛しています」

 聞いた言葉が気のせいではなかったと確認したレセナートは、僅かに震える指先でリウィアスの頬に触れた。

「……撤回、出来ないからな……?」

「撤回なんてしない。私は貴方を愛しています。──心から」

 はっきりと告げるリウィアスの身体を、レセナートは再び強く抱き締めた。

「愛している。……愛している、リウィアス。……ずっと傍にいて。俺の傍に」

 思いが溢れるように紡がれるその言葉に、リウィアスはレセナートの背に腕を廻して、ぎゅっと強く抱き着いた。

「私も、愛してる。ずっと、……ずっと貴方の傍にいさせてね」

 応えるように今一度強くリウィアスの身体を抱き締めたレセナートは、そっと身を離すとリウィアスの頬に手を添えた。

 そして、僅かに顔を傾けながらその距離を縮めて行く。


 リウィアスの瞼がゆっくりと下され──、二人の唇が触れ合った。


 それは二人にとって初めての口付け。

 今までは手や頬などにする事はあっても、唇に口付けるなど互いに心が惹かれ合ってからもした事はなかった。

 それは二人のけじめ。

 幾ら想い合っていても恋人ではない関係であったため、そこは線引きをしていた二人。

 だから、初めての口付け。


 反応を確認するようにただ触れているだけの口付けを落とすレセナートに、リウィアスはその背に廻した手に、きゅっと力を籠めた。

 まるで、大丈夫だと告げるように。レセナートを安心させるように。

 力を籠めた瞬間、ぴくりと反応したレセナートは、恐る恐るといったようにぎこちなく動き出す。

 下唇をむように口付けだしたレセナートに、唇が甘く痺れ、身体の内側から熱くなるのを感じながらリウィアスはそれに応えた。

 その反応に安心したのか、先程までのぎこちなさは何処へ行ったのか、レセナートは口付けをどんどん熱く深くして行く。


 五感全てをレセナートに持って行かれるような、そんな感覚におちいりながら口付けを受けていたリウィアスの頭の中に、トゥルフの言葉がよみがえった。


『どんなに苦しくても、辛くても、殿下と二人でなら乗り越えられる。そう信じる事から始めなさい』


 ──今、こうしてリウィアスが自分の気持ちを告げる事が出来たのも、トゥルフに『正直になれ』と背中を押されたからだ。

 そうでなければ、きっと今日も痛む心を無視して首を横に振っていただろう。

 レセナートの立場を考えると、自分の障害が気にならないと言えば嘘になる。

 けれど、トゥルフが言ったようにレセナートと二人でなら乗り越えられる。──きっと、大丈夫。


 頬に添えられていた手は何時しか後頭部へと廻り、舌を絡めとられる深い口付けに全身の力が抜けて行くの感じたリウィアスは、仕事に支障をきたすのではと危惧しながら、しかしそれでもレセナートの想いを己の全てで受け止めた。


 しばらくして唇が離されると、ぐったりとレセナートに凭れ掛かったリウィアスだが、幸せそうなレセナートに笑みがこぼれた。

 二人は額を合わせて、くすくすと笑みを交わす。






 そんな二人を、人々を脅かす存在である『死の森』の住民達は穏やかに見守っていた。






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