第二十五話・思惑




「……ここが姉上のお部屋ですか!」

 部屋に着くなり、シモンは目を輝かせて内部を見回した。

 レセナートと寄り添いながら部屋に足を踏み入れたリウィアスは、そんなシモンの様子に苦笑する。その背後にはルーカスが続き、ラルトは後を任せて別任務のため場を離れる。

「そうだけれど、ほとんどが陛下やレセナートが用意してくれたものだから、私物はあまりないわよ?」

 室内にある落ち着いた印象の家具や服、装飾品に至るまで、王家が用意した物。

 越すに当たってリウィアスが持って来た物と言えば、仕事用の服が数着に、大切な人からの文。トゥルフやアルザ達からちょっとした時に贈られた物。それも万年筆や小物のため鏡台や机の引き出しに収まっている。

 後は、今はルーカスの腰にある愛剣くらいで、他に目に付く場所に私物はない。

「それでも姉上がこれから生活されるお部屋ですから!」

 そこに入れた事実が嬉しいのだと、笑顔で告げる。

 それを可愛く思ったのはリウィアスだけで。

「私の部屋でもあるぞ」

 レセナートの訂正が入る。

 それにシモンは頬を膨らませた。

「……ふふっ」

 二人の様子に、思わずリウィアスは吹き出した。

 背後に控えたルーカスも、普段は決して見られないレセナートの大人気のなさに内心苦笑し。

 二人は気恥ずかしさから、目を逸らした。


 長椅子に並んで腰を下ろしたレセナートとリウィアスの向かい側に腰掛けたシモンは、先程からアシュリーが用意してくれた焼き菓子を行儀良く頬張っている。

「姉上、これからも時々こちらに伺ってもよろしいですか?」

 期待の籠った問い掛けに、リウィアスは右隣のレセナートを顔を向けずに窺う。

 リウィアスの腰を引き寄せながら、レセナートは口を開いた。

「それは構わないが来るなら先に必ず連絡を。それと決して一人で来るな。最低でも二人は護衛として連れて歩け」

 元々公爵家の嫡男としての立場上、狙われ易いシモンだが、そこに皇太子の婚約者の弟という要素が加わった事で更にその危険度が上がった。

 またロバリアがいる今、一人になる事は決して好ましい事ではなく、何かあった際に狙われる可能性が高いため、レセナートは釘を刺した。

「はい。分かりました」

 詳しく語られずとも自分の立場を十分に理解しているシモンは、しっかりと頷いた。

 それは今までの年相応の顔ではなく、シャルダン公爵家の跡取りとしての顔で。

 その変わりようにリウィアスは頼もしさを感じて、頬を緩めた。

 けれどそれも僅かな時間。直ぐに年相応のシモンに戻り、無邪気にリウィアスを質問攻めにして。

 食べ物の好き嫌いは何か、好きな文学は何か、趣味は何か、など。まるで見合いのようなそれ。

 けれど──。

「姉上の苦手な色とか好きな色は何ですか?」

 リウィアスは困惑し、彼女が全盲だと知るルーカスやアシュリーは固まった。

 シモンと前回会ったのは、養子縁組を結んだ時。それ以降、文での遣り取りは行っていたが実際に会うのは今日が二度目で、機会がなく、盲目である事は言っておらず。

 けれどもアルフェルトとミレイアは知っている事実。シモンには告げているものと思っていたのだが、この様子では知らないらしい。

「──リウィアスに嫌いな色はない」

 盲目である事を告げるため口を開こうとした時、レセナートが言葉を発した。

「ないのですか?」

 シモンが目を瞬かせる。──一つくらい嫌いな色があっても良さようなのに、と。

 レセナートが今、盲目である事を告げなかったのはシモンのため。

 今告げれば、シモンはその質問を投げ掛けた事を後悔し、この場の空気は悪くなるだろう。

 それに今告げて、落ち込むシモンに何を言ってもきっと役には立たないだろうから。

 折角望んでいた『姉』との楽しい時間を過ごしているのだ。それを態々壊す事はない。

 シモンを気遣う言葉だが、しかしその中に含まれる別の何かを感じ、リウィアスは瞼を下ろした。

 『リウィアスに嫌いな色はない』とレセナートは言った。

 リウィアスに色は分からない。その目に広がるのは、ただただ闇ばかり。光すら届かない。

 けれど。そんな事は有り得ないけれど、ほんの少し、想像してみた。

 もし。──もしも色を見る事が叶ったならば、と。

 想像して、自然と口許が緩んだ。


 ──きっとどんな色でさえ愛しく思うだろう。


 レセナートはリウィアスがそう感じるであろう事を予想して『嫌いな色はない』という言葉を選んだのだ。

 瞼を上げたリウィアスは、レセナートを見上げてふわりと笑んだ。

「──ええ。嫌いな色なんてない。全ての色が好きよ」

 シモンにではなく、レセナートに応えたリウィアス。

 その意味を知るのはレセナートだけ。

 不思議そうなシモンが見つめるなか、レセナートはリウィアスの瞼に唇を落とした。



 その日の夜。

「──今日から一緒ね」

 リウィアスは嬉しそうにレセナートの胸に擦り寄った。自然、レセナートの腕はリウィアスの肩に廻る。

 部屋には寄り添うように長椅子に腰掛けた二人のみ。

「ああ。これからずっと、一緒だ」

 今夜から二人は同じ寝室で、同じ寝台の上で共に眠る。

 レセナートの温もりを感じながら瞼を下ろし、リウィアスはその背に腕を廻した。

「……貴方の事は私が護るから」

 告げられた言葉に、レセナートは苦笑した。

「それは男の台詞せりふじゃないか?」

「そう?でも私が貴方の剣であり盾だから」

 瞼を上げたリウィアスは今現在王城に滞在する者の事を頭に思い描き、少し鋭く目を細めた。

「 彼らの好きにはさせないわ」

 その表情は代理者の顔だった。



 ・*・*・*・*・*・



 敵城へ乗り込んだ翌日。

 ギセドは状況を探りながら、庭園をふらふらと散策していた。

 敵の懐にあるにも拘らず、緊迫した様子は微塵もない。

(……してぇな)

 この一ヶ月以上、ガイルに制限され暴れたりない。ロバリアにいた時はそこにいた者らでが、セイマティネスに入ってからはそういった行動を一切取れなかった。

 無性にそこらにある物を斬りたくなる。

(……ん?)

 騎士ではない、人の気配を感じて、ギセドはそちらへと歩みを進めた。

「──」

 視界に捉えた人物に、ギセドは柄にもなく息を詰める。

「良い匂い……」

 そこにいたのは、昨日初めて目にしたセイマティネス皇太子の婚約者。

 リウィアスという名の女は、そこに咲き誇る花に囲まれ、嬉しそうに顔を綻ばせる。

 香りを身に取り込むように息を吸い込み、傍に立つ護衛の男に笑みを向けた。

「ねえ、ルーカス。もう少し、奥に行っても良い?」

「はい。リウィアス様の望むままに」

 忠誠を誓っている様子のルーカスは、冷たい印象を与えがちなその顔に微かに穏やかな笑みを浮かべた。

 が、何かに気付いたように直ぐに表情を引き締め、リウィアスを背後に隠すように立つ。

 ルーカスの視線はギセドを捉えていた。

 気付かれたのならば出て行かざるを得ない。

 ギセドがその姿を現すと、警戒心を顕にするルーカスとは対照的にリウィアスは表情に笑みを湛える。

「……貴方は確か、──サウード卿、でしたね?」

 何処か親しみが籠められたその表情に、ギセドは軽く眉を上げる。

「ええ。覚えておいででしたか」

「勿論」

 頷くリウィアスがルーカスの腕に触れると、渋々といったようにその身体を退けた。

 ギセドはリウィアスを観察する。

 自分はアスヴィナを逐われた身。その原因の一端となった事件も耳にしているだろう護衛が警戒するのも無理はない。が、目の前の女からはそれが一切感じられない。

 仮にも皇太子の婚約者。詳しくは知らされなくとも、多少は情報を耳に入れられているはず。

 なのにどうして。

「……姫は私が恐ろしくはないので?」

「サウード卿をですか?……ああ、あれ、ですか」

 その言葉でリウィアスが過去の一件を知っていると分かった。

「ですが、今悔い改めているのならば恐れる必要はないでしょう?」

 違うのか、と首を傾げるリウィアスに、ギセドは目を細めた。

(──やはり、ただの女じゃないな。一国を担う者が選んだだけの事はある)

「姫は、どうしてこちらに?」

「散歩です。まだ城での暮らしには慣れなくて……」

 眉尻を下げるリウィアスに、仕入れた情報を思い出す。

 確か彼女は一般の出。婚姻のために公爵家の娘にはなりはしたが、今まで縁のなかった貴族の生活に、戸惑う事も多いだろう。

「知っている方も少なくて、顔見知りの方にお会いすると嬉しくなってしまって」

(ああ、だから……)

 先程の表情に納得した。

「まだ散策を続けられるのでしたら、お供しても宜しいですか?」

 ギセドの申し出にリウィアスはまばたき、ルーカスは顔を顰める。

「──ええ。是非」

 リウィアスはふわりと笑んだ。

 そこには警戒など微塵も感じない。

 ぞくり、とギセドは震えた。

 この顔を恐怖に染め、震えるその身体を存分に穢したならばどれ程満たされるだろうか。

(……欲しいな)

 今直ぐにでも陵辱してやりたい。だが、まだだ、と思った。

 もっともっと信頼させて、裏切ってやれば与える傷はより大きくなる。そこで更に絶望に落とせば、逃げようなどと考える気も失せる。

 ──一生、可愛がってやる。

 前日の謁見の間での出来事を思い起こせば、雇い主であるガイルもリウィアスを気に入ったと分かるが、しかし譲るつもりはない。

(婚約者の目の前でってやるのも愉しそうだな)

 ギセドの中で、黒い欲望や考えが湧き出る。

 やはり祝賀会当日まで待つのが良さそうだ。

 その瞬間を想像したギセドの口許に、笑みが浮かんだ。




「──こちらは七人」

「こっちは四人」

「……これまでのを合わせると二十八人か」

 鍛え抜かれた男達は顔を見合わせる。

「まだいるはずだ。見落とすな!」

「「は」」




 ──それぞれがそれぞれの場所で動く中、とうとう祝賀会当日を迎えた。



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