第二十四話・周知




「何処に行く?」

 ガイルの言葉に、ちらりと視線を投げたギセドは口許だけを笑ませる。

「ちょっとその辺りに」

「まだ、別部隊は森にすら到着していないんだ。祝宴までは余計な行動は慎め」

「分かってますよ」

 肩を竦め、主人を相手にしているようには思えない態度でひらひらと手を振ったギセドは部屋を後にした。



 ・*・*・*・*・*・



「……姉上、これ美味しいですね!!」

 食事を口に運びながら、斜め向かいに座るシモンがにこにことリウィアスに話し掛ける。

「ええ。本当、美味しいわね」

 穏やかにそれに応じるリウィアスの隣にはレセナートが。向かい側、シモンと同列にはシャルダン公爵夫妻。全ての席を見渡せる位置に国王夫妻がそれぞれ腰を下ろして食台を囲んでいた。

 そこは形良く整えられた樹々や草花を楽しめる庭園を望む事が出来るテラス。

 時折レセナートがリウィアスの耳許に口を寄せて何かを囁き、それにリウィアスがくすくすと笑みを溢す。



 ──二人きりの部屋で交わした口付けは止まる事を知らず、たまにリウィアスの髪や額、瞼や頬に落ちる、熱く、優しい口付けは、時間を告げに来たアシュリーが扉を叩くまで続いた。

 長椅子に押し倒されたような体勢であったために結われた髪は少し乱れ、レセナートとの触れ合いで頬は上気し、紅の落ちた唇は口付けの名残で赤く色付き。

 それまで何をしていたかなど一目瞭然な状況に、軽く身形を整えながらも羞恥のため更に頬を赤く染めたリウィアスは自身が立てなくなっている事実に気付いて一層居たたまれなくなり、レセナートの胸に顔を埋めた。

 レセナートはそんなリウィアスを愛しげに抱き締める。

 二人の仲睦まじさに若いエリンは頬を染め、ドリューとアシュリー、そしてその後ろに続くラルトと表情に乏しいルーカスは嬉しげに目を細めた。

 結局、長椅子に腰掛けたままの状態で乱れた髪と化粧を直してもらい、暫くして立てるようになったリウィアスはレセナートに腰を支えられながら、会食の場所となるテラスへと移動。

 二人きりにした際にどういった状況になるかある程度予想していたのか、余裕を持って時間を告げに来てくれたアシュリーのお陰で、会食の時間には十分に間に合う事が出来た。


 ──あの時、レセナートが事を進めようとすればリウィアスは受け入れただろう。想いを告げ、迷いを断ち切った彼女がレセナートを拒むはずがないのだから。

 それを行う時間もあった。

 けれどレセナートはそうしなかった。

 それはひとえにリウィアスのため。

 もし今、身体を重ねて子を生せば、男であるレセナートはまだしも、女であるリウィアスは酷い中傷を受ける事になる。

 己の身体を使って皇太子であるレセナートを籠絡ろうらくし、子を生して妃の座を手に入れたと言われる事は確実。

 それが事実でなかろうとも。

 万が一そうなれば、リウィアスは肩身の狭い思いをしながら一生を城で過ごさねばならなくなる。

 そんな事態を招く事をレセナートがするはずがなかった。



「──越したばかりで訊くのは何ですが、こちらでの生活には慣れそうですか?」

「ええ。皆様、親切にして下さいますから。ありがとうございます

 気遣わしげなアルフェルトに、リウィアスは微笑んで頷いた。

 今回の会食は、リウィアスとアルフェルトらの親睦を深めるのと同時に、『親子』である事を広く知らしめる事が目的。

 婚約はまだ伏せられているが、レセナートと腕を絡め歩いた事で皇太子に特別な存在があるという事が周知の事実となった。

 ──その女が何処の誰か。

 裏では既に探る動きが出ている。

 どの治世でも、権力を得ようとする者はなくならない。己の力量では叶わずとも、皇太子の妻に己の娘や姉妹を据える事が出来れば夢ではないそれのために、妃の座を狙う者は少なくはない。

 そこに突然現れた女。

 身分が低ければ蹴落とす腹積りの者らに、令嬢である事をわざわざ教えてやるための会食だ。

 それがたとえ婚姻のために結んだえにしであっても、事実ならば、それより下位の者らには簡単に手は出せない。

 現にリウィアスを探るために送り込まれたであろう間者の視線を、庭園から感じ取れる。

 わざと探りやすい場を選んでいるため無理もないが、視線に気付いていないのはフィローラとシモンのみ。

 その気配がリウィアスがアルフェルトをと呼んだ事で、幾つか遠去かる。

 雇い主へ報告に行くのだろう。

 けれどまだ視線と気配を数感じて。

 その中にある気配が加わり、リウィアスは感覚を鋭くした。

 気付いたはリウィアスのみ。

 目を細めたリウィアスは、しかしそれ以上動く事はなかった。

「あ、あの姉上。この後、ご予定はありますか?」

 シモンが首を傾げる。

 感覚を鋭くしたまま、けれどそれをおくびに出す事もなくリウィアスは柔らかい表情を浮かべた。

「いいえ。特にはないわ」

「じゃあ、姉上のお部屋にお邪魔してもよろしいですか?もっと、もっと姉上と仲良くなりたくて!」

 勢い込むシモンに、リウィアスは内心眉尻を下げた。

 リウィアスの部屋は人の出入りが厳しく制限される塔の中にある。


 その昔、暴君に苦しめられていた時代、国の女達のために己を犠牲にした乙女として崇められているセイマティネス初代王妃の生家が建っていた場所にある塔。

 その地下には機密文書や隠し通路を含む城内の詳細な地図が保管され。城内にある書庫にも厳重に保管されたそれらはあるが、塔内にある物はより詳細に記されている。

 そのため歴史を使って立ち入りを制限してある。

 真実を知らずとも事実は知っているシモンは、リウィアスが与えられたのだからその判断で入れる、と考えたようだが、しかしそんなはずもなく。

 顔も視線もシモンに固定したまま意識だけをコルゼスに向けると、シモンの発言が耳に届いていたコルゼスがほんの僅かに頷いた。

 それは食事に視線を落とすように自然を装って。

 それを受けてリウィアスは頷いた。

「分かったわ。では、この後ゆっくり話でもしましょう」

「!はいっ!」

 ぱあっ、と表情を明るくしたシモンが喜色を露わに勢い良く頷く。

「それには私も同席するから」

 隣で時々リウィアスと顔を見合わせながら穏やかに食事を口に運んでいたレセナートが口をはさんだ。

「え!?……殿下はお忙しいのでは……」

 リウィアスと二人でゆっくりと過ごしたかったらしいシモンは、レセナートの宣言に明らかに動揺した。

 それを視界に捉えながらも、大した事ではないように更なる事実を告げる。

「いや。他国からの招待客のほとんどは既に到着し、顔合わせも済んでいる。それに婚約者であるリウィアスと行動を共にするのは当然の事だし、リウィアスがあの部屋で暮らす間は私の部屋もそこだからな。自分の部屋に帰るのに、許可はいらないだろう?」

 リウィアスが四六時中共にいても怪しまれないのは婚約者であるレセナートのみ。

 警護のためにも今日から部屋を共にする事が決まっていた。

「!!」

 衝撃を受けるシモンに、今度はリウィアスが口を開く。

「殿下も一緒に。ね?」

 レセナートの発言は八割以上が嫉妬によるものだが、リウィアスとしても出来る限り離れるつもりはない。

 首を傾けるリウィアスの素晴らしい笑顔の下の圧に、シモンは呆気なく屈した。

「……はい」



 食事が全て終わり、少しの談笑ののち、リウィアスとレセナートはシモンを連れてその場を後にした。

 部屋へと帰る道すがら、リウィアスは強く視線を感じて。

「……──あ」

 小さく声を上げて、空を見上げた。

 それがあまりにも自然で。

 釣られて、腕を絡ませ隣を歩くレセナートも、リウィアスに話し掛けていたシモンも、その後ろに続いていたラルトとルーカスさえもその視線を追う。

 ──進む回廊に面する庭の上空。

 太陽の光を浴びてその羽を黄金色に輝かせる一羽の鳥の姿があった。

 その鳥は旋回するように空を飛び、そして緩やかに下降したかと思えば庭の一本の樹の枝に留まる。

 リウィアスは珍しそうに、そして興味深そうに目を輝かせると、レセナートと組んだ腕をするりと解き、たっ、と駆け出した。

 嬉しそうに微笑み、あどけなくその鳥を見つめる様は、それを目にした人々を惹き寄せる程に魅力的で。

 けれど、本来のリウィアスを知る者ならば強い違和感を覚える所作。


 リウィアスがその鳥の傍まで寄った事で自然と留まる樹に視線が集まる。

 近くにいた騎士や侍女のそれも。


 程なくして鳥が羽ばたき飛び立つと、至極残念そうな表情となったリウィアスはレセナートの許へと駆け戻り、再びその腕に自身の腕を絡ませた。

 微笑み迎えたレセナートは、リウィアスが樹に近付いた時、それに気付いた。

 ラルトとルーカスも同じく。

「姉上、珍しい鳥でしたね!僕、初めて見ました!!」

 全く気付かないシモンが、興奮気味に話す。リウィアスは笑みを返した。

「私の友達なの」

 内緒よ?という風に小さく告げる。

 ──先程の鳥は、『死の森』に棲まうもの。

 瑠璃色の鳥ルディ同様リウィアスに良く懐き、その意思を良く読み取って、その意思に沿うように行動を取る。

 人間嫌い故に普段は人の目に留まる場所には降りて来ないが、リウィアスの意図を汲み取って、彼女が声を上げたのを合図にある樹に留まった。

 ──その樹の陰には、気配を消したギセドが身を潜めていた。

 会食場でリウィアスが感じ取った視線の一つはギセドのもの。その後、ずっとリウィアスの後を付けていた。

 このまま行けば塔がある。

 だが塔の敷地内は厳重な警備が布かれており。

 敷地の外までならばまだ良いが、内に入られるのは面倒だった。

 それに内に入るつもりならば見張りの兵と接触する可能性が高い。

 ──犠牲を出すわけにはいかない。

 そこでリウィアスは自分が動く事でギセドの潜む樹に人の視線を集めたのだ。

 その事によって、自分達が意識を向けた先にギセドが潜んでいる、と幾人かの兵にわざと気付かせた。

 同時に、自身の存在に気付かれたとギセドにも知らせ。

 幾ら気配を断つ事に長けていても、強く意識を向けられれば腕の立つ人間になら悟られる。それに一瞬とはいえ、リウィアスに完全に意識を持って行かれて気配を断つ事が疎かになった。

 自分自身の失態だと、ギセドに思わせた。

 ロバリア側の準備が整っていない今、セイマティネス側に悟られるのは得策ではない。

 ギセド自身は構わずとも、それでも雇われの身である以上、勝手な行動は出来ない。

 今引いたならば、『少し探った』程度で済む。



 リウィアスの思惑通り、再び歩み始めた後を、ギセドが付いて来る事はなかった。



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