断罪の処決 1



「ファイス! それはやめておけ。イスズとセンリの子だ」


 凛とした少女の声が、涙花の泉、そしてサハヤの耳にも響いた。


 立ち尽くすサハヤは、とうとう過去の悪夢に呑み込まれてしまったのかと自嘲する。そこに、真正面から少年の声が突き刺さる。


「ですが姉上。彼は見ていただけで、なにもしようとしなかった」


 少年の顔からは、深い後悔と哀しみの色が見て取れた。少年の右手には剣が握られ、その切っ先はサハヤの胸に触れる寸前で動きを止めている。


 泉を見渡せば、月紅草は無残にも踏み荒らされ、咲かせた花の輝きまでもが失われていた。そこに埋もれて眠るのは、血の絆で結ばれていたはずの家族——。


 眼前に広がる、目を背けたくなる光景が誰の手によってもたらされたのか。このときにはもう、サハヤも理解していた。叔父のトウゴが死の制裁をも示唆し、ユフとリクマにその判断を任せていたのだと。そこには、トウゴが父に対して抱いていた劣等感も複雑に絡んでいたのかもしれない。


 日ごろトウゴが零していた不満に加え、見せていた魄魔捕縛への執着。それらを考え合わせれば、自分が無関係とはいえない立場にある現実も認めるしかなかった。


 なのに。裏切りという言葉と、魄魔の姉弟を背に庇い立つ父母の揺るぎない姿がサハヤを迷わせた。その迷いが、父母の死という取り返しのつかない事態を招いた一因であることも自覚している。


 裏切りの意味を知ったのは、父母の死後、まもなくしてからだった。皮肉にも、トウゴから直接聞かされることとなる。サハヤを自陣に取り込むため、トウゴ自ら、己が犯した不正を白状したのだ。そして、その不正に気づき、当主会に告発しようとした父の行いを、トウゴは裏切りと表現した。


 そんなトウゴに、サハヤはこの惨劇が起きるまで、全幅の信頼を寄せていた。捕縛した魄魔は使族のために利用するという言葉と、時が来たらすべてを話すという口約束だけで、言われるがままに動いてしまうほどにだ。

 結果、真の目的を知り得る位置に立ちながらも、見ない振りを続け、傲慢にも魔力の真名を読み、さらには魄魔をトウゴに服従させるという形で、サハヤは不正に加担してしまった。


 当時の自分が軽挙に走らず、己の行いをより深く考え、不正にも踏み込んで対処できていれば——。いまさら変えようのない過去だが、サハヤは後悔し続けてきた。


 唯一救いと感じるのは、このときの自分が護るべき者を見失わずにいられたことだ。

 サハヤは顔を上げ、父と母が庇い抜いた姉弟に目を向ける。


 彼らを、信じてみようと。


「あなたたちに、頼みがあります」


 そしてサハヤは、罪を重ねる選択をした。







 悪夢は繰り返し、過去を再現し続ける。


 惨劇の現場を誰の目にも触れさせたくない、という想いもあったが。なにより、虚偽の証言をより盤石にする、つまりは証拠隠滅のため。自らの使精、火精である白縫しらぬいに頼み、サハヤは父母たちの遺体を焼き浄めてもらった。


 そしてそれは、命じられた仕事を終えた白縫が消えたあとのこと。剣を受け取ろうとしない吹麗を、サハヤは説得していた。


「父たちが皆、命を落としたというのに。私だけ無傷では話が通らないでしょう」

「ですがっ! 私には……できませんっ」


 いつもはたおやかな風精が取り乱し、泣きそうな顔で訴えてくる。

 酷なことをしている自覚はあった。そのうえでサハヤは、使精の真名を強く呼ぶのだ。


「吹麗、従ってください。足一本でサユとあの姉弟を護れるのなら、少しも惜しくありません」





   *****





「……私はまだ、夢の続きでも見ているのでしょうか」


 目覚めたばかりのサハヤは、首だけを動かし横を向く。


 頭を預けている枕のさきに見つけたのは、サユだった。椅子に浅く腰かけたまま、寝台に俯せになり眠っているようだ。組んだ両腕に顔をうずめているので表情は見えなかったが、規則的に聞こえてくる穏やかな寝息に、心から和む。


「八年前も、あなたは毎日こうして、私のそばについていてくれましたね」


 しばらく眺めていると、サユが重そうに頭を起こす。瞳がゆっくりと開かれ、二、三度、瞬きを繰り返した。


「……兄さま?」


 視線が交わるのを待ち、サハヤが笑みを浮かべたところ。椅子を撥ね倒す勢いで、サユが立ち上がった。サハヤの顔を見つめる瞳には、徐々にだが安堵の色が広がっていく。


「よかった……。七日も眠ったままだったのですよ。具合の悪いところはありませんか?」

「大丈夫です。私は、生きているのですね」

「シテンがいたのですから、そう簡単には死ねませんよ。あっ、兄さま! だからといって急に動かないでください!」


 上体を起こそうとしただけなのだが、サユに止められてしまう。


「シテンの仕事ならば問題ないはずです。そうでしょう? サユ」

「……はい」


 サユは不服そうにしながらも、サハヤに手を貸し、凭れやすいよう枕を整え始めた。そこでふと、サユの手が止まる。


「兄さま。トウゴ叔父さまの腕の傷ですが、浅かったので安心してください」


 笑みを浮かべたサユに、サハヤは驚く。


「あなたは……。叔父を赦したのですか?」


 サハヤが問うと、サユは困惑の表情を見せた。


「叔父さまの行いは、けして赦されるものではありません。事件に巻き込まれた者のなかには財を失った者も多い。直接的な死者は出ていないと聞きましたが……。護るべき者に、背負う必要のない苦しみを、私たちが課してしまったのは事実です」


 私たち。と、自然に言い表したサユに、自分が選択した方法は間違っていたのかもしれないと、サハヤは痛感させられる。


 左足を捨てた経緯をサユが知れば、さらに苦しめてしまうだろう。それは結局、サユを護るためと理由づけしながらも、サユにまで罪を背負わせる行為だったということ。だが、たとえ万人に責められようと、八年前に選び歩んできた道を、後悔だけはすまいと誓っていた。

 自己満足だと非難されても仕方がない。しかし実際、それだけの価値はあったのだと、サユの成長を見れば、勝手だが報われたとも思える。


 そんな想いをサハヤは抱いていたのだが。サユは、サハヤのまえで話を続けていいものか迷っているように見えた。ほどなくサユの表情がやるせなさに沈む。


「ですが兄さま。叔父さまはおじさまなりに、使族を護ろうとなさっていたのでしょう? それに私は、叔父さまの優しさが、すべて嘘だったとは思えないのです。いまはまだ、向き合えなくとも……。いつか、きっと——」


 強く握られたサユの拳は、かすかに震えていた。


 サユも解っているのだろう。事件の偽装だけではない。直接手にかけたわけではないが、トウゴが父母の命を奪うよう指示した事実は動かない。そう簡単に赦せるはずがないのだ。サハヤ自身がそうだったように。


 それでもサユは叔父を赦そうとしている。本当にあなたは、精霊のように、ひとたび信頼した相手にはとことん甘く、愚かしいとしか言いようがない。けれど、だからこそ愛おしく、そのまま変わらずにいて欲しいとサハヤは願ってきた。


 慰めの言葉を探し、サユの手を取ろうとしたサハヤだったが、寸前で思いとどまる。


「サユ、座ってください。あなたに話しておきたいことがあります」

「話ならあとで聞きますから、いまは少しでも楽にしていてください。食欲があるようでしたら、水だけでなく、すぐに重湯おもゆも用意させますし」

「私の体調なら心配無用です。もう充分に回復しています。話が終わったら、食事もしっかり頂きます」


 サハヤがそう言うと、サユは疑わしげな目を向けてきたが、横になれと無理強いされることはなかった。


「具合が悪くなったら、無理せず、すぐに教えてくださいね」


 母にますます似てきたな。と、実直な瞳にそう感じつつ、サユが椅子に腰かけたのを確認して、サハヤは話し始めた。


 今後、サユの支えとなるであろう真実を。





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