第3講 世の中知らないことばかりです



 将国は自治区を超えたところに、帝国と肩を並べる形で勢力を誇る大国である。帝国が質実剛健を体現しているとすれば、将国は帝国と同じく軍事国家ながらきらびやかな宝石や刺繍と言った文化の華開く場所でもあった。

 将国の領土に入った一行がまず目にするのは、多彩な布を用いて低い円柱型に組まれたテントの一群だ。入口のあたりは使い勝手が良くめくれるようになっており、その部分には特徴的な刺繍が施されている。

 入口の近くには馬がつながれていることが多い。


「将国は騎馬民族を祖とします。定まった家を持たず、移動式住居のパオを持ち、馬で移動するのが彼らの生活方式です。今では移動生活をする人のほとんどは商人ですが、この国では小さな子供でも馬を操ると言いますから、定住を選んだ人であっても、騎馬民族と言って差し支えないでしょう。我が公国内の商人たちももともとは山越えを得意とする将国の出であることが多いので、キャラバンを組み、テントを張って生活する人が多いのです」


 キールは馬車から盛大に身を乗り出してあちこちを見ている。

 アーウィンの説明をどの程度聞いているのかと思っていたが、意外としっかりと耳は向けていたようで、体制はそのままにアーウィンにいくつも質問を投げかけていた。


「ああ、鷲の紋章がありますね。あそこが支部ですよ」


「支部?」


 馬車の中に戻ってきたキールは、風でぼさぼさになった髪を乱暴に撫でつけた。


「ええ。将国軍の支部です。飛行型であれ、陸行型であれ、竜がらみの依頼は全て将国軍を通さなくてはなりません。そこで、ディンバー様のお顔が必要と言うわけですよ」


 そう言っている間にも、馬車は迷いなく石造りの門をくぐって将国軍の支部へと入って行った。


「……いい加減、諦めろよ」


「あきらめてはいるよ。直前まで素でいたっていいだろ」


 ディンバーはいつに無くきっちりとした服装に身を包み、良家の子息らしく髪を後ろに撫でつけている。キールやアーウィンもまた正装とは言えないが、旅の格好にしては十分すぎるほどに立派な服を纏っていた。


「直前までって、ふつうは門をくぐる位からは顔を作るもんじゃねぇの」


「……まぁ」


 ディンバーが何かを言い返そうとした時、控えめに馬車の扉がノックされた。ディンバーが頷くのを確認してからアーウィンが扉を開ける。

 アーウィンが真っ先に、そしてキールがアーウィンに促されるように馬車から下りる。視線で立ち位置を指示され、キールが馬車の入口脇に立つとするりと長身が馬車から下りてきた。


(……笑わないでくださいよ。良いですね。こらえるんです)


 小さな声でアーウィンがキールの耳元でそう言う。

 吹き出しそうになっていた息をすんでのところで飲み込むと、キールは何とか金髪の長身から視線を引きはがした。

 ディンバーはにこやかに笑みを浮かべると、優美な足取りでステップを降り、手慣れた様子で持っていたステッキの先を一度床に着いた。


「いやぁ。久しぶりに来ましたが、やはり素敵な国ですね」


確かに魅力的な国ではある。その部分についてディンバーにも嘘はないだろう。しかし、声色やしゃべり方、動作等は全く別人のように違っていた。

 背筋はピンと伸び、わずかに肩を引いた形で経つディンバーは、公国内の貴族として紹介される教科書の絵のようだ。どう見られるのかを分かったうえで少しだけ唇に乗せる笑みの形が堂に入っている。


(特殊スキルですから。あれでも王族……しかも現在は結構な上位貴族ですから)


(……は、はい)


(筋肉の付き具合まで公爵家ではあれこれ計算して、少しでもディンバー様の見た目がよく見えるよう仕立てにも気を配っています)


(……そこまで?)


(そこまで、です。そうでもしないと行動だけでマイナス評価がぶっちぎりなんですよ)


「ああ……」


 思わず納得のため息をついたキールに、将国の軍人らしき男が数人、キールを見た。


「……す、すみません。み、皆さんの、その、お召し物が大変美しかったので、つい」


 キールは慌てて頭を下げた。美しい赤いマントには、皆細かな模様が入っており、光に反射して美しい光沢になっている。


「すみません。キールは将国に来るのは初めてなんですよ。もう、国境を越えてからは素晴らしい光景に目を輝かせていて。あちこちきょろきょろしても多めに見てやってください」


 ディンバーがおおらかにそう言うと、将国の軍人たちもまんざらでもなさそうに笑みを浮かべて、視線を緩めた。こういうところは、さすがに馴れていると言うべきなのだろうか。

 キールが小さく感心していると、将国の軍人が一人近づいてきた。茶色の髪をした小柄な青年だ。


「珍しいですか。将国の軍人は皆、祈り糸と呼ばれる刺繍の入ったマントと服を身につけるんですよ」


 そう言って人懐こい笑みを浮かべると、マントを広げて見せる。

 将国の軍人たちはみな色は同じだが、違う刺繍の入ったマントを身につけている。


「大抵は入隊するときに、若しくは昇進した時に家族から送られるのです。色は所属によって変わるのですが、刺繍は糸の色さえ同じであれば自由にすることが許されているので」


「……祈り、糸……ですか」


「そうです。病気にならないように、怪我をしないように、死なないようにと言う祈りを込めて刺繍をするので。地域によっては祈り針とも言います」


「……へぇ……」


 確かにすばらしく凝った柄の刺繍が施されている。これをするとなると気が遠くなるほどの時間と労力が必要だろう。「祈り」と言われるのもなんとなく頷けた。


「いろいろ見ていってください。小さなコースター等をお守りに買われる方も多いんですよ。道中の安全を祈って刺繍をしていますから。ちなみに私が得意なのは、此処の紋章でもある鷲です」


「だ、男性も……やるんですか」


「驚かれることが多いのですが……刺繍はもともと男性の仕事です。今は女性の手の物も多く、さすがに美しい仕上がりなので重宝されていますけどね」


 そう言って青年は両手を広げて見せた。指の先端には独特なたこができている。これが刺繍の際にできるたこなのだと言う。確かに、分厚いマント生地に刺繍をするのは力仕事なのだろう。

 キールはむくつけき男たちの刺繍姿を想像して、小さく首を振った。




 青年はロエンと名乗り、ここから先の案内を買って出た。石造りの廊下には色とりどりの刺繍を施したタペストリーがかかっており、その一つ一つが宗教画のようにストーリー性を持っているようだった。


「ディンバー様はドラゴンに乗られたことがおありとか」


「ああ、いや、いいえ。……野生のサラマンド、でしたっけ。アレに乗ったことはありますが……」


「サラマンドと竜を区別していただけるだけ、僕たちはうれしいですけどね。うちのしきたりで、竜を利用される方には、一定の講習……というか、ご理解をいただかなくてはなりません」


「……講習、ですか」


 ディンバーが首をかしげたところを見ると、いつもはそのようなことは無いようだ。


「ディンバー様が乗ったのは帝国内から公国に向かって飛ぶ竜騎士の飛行ですね。あれはサラマンドに乗りますので、特にそう言ったことは行っていないのですが、将国内の赤鷲の支部にはドラゴンがいます。サラマンドではなくドラゴンです」


 そう言ってロエンはタペストリーの一部を指差した

 そこにはサラマンドと呼ばれる小さな竜のようなものの隣に、人と、サラマンドよりも一回り大きな竜が描かれている。

 その隣には、人が火にのみこまれているような絵も見える。

 思わずキールが身震いすると、ロエンが小さく笑った。


「……火だるまになっているわけではないんですよ。ちょうど変化するときにそう見えるだけで」


「変化……?」


 ええ、とロエンは満足げに頷いた。


「乗り場に着くまでにはご説明できますから」


 そう言って歩くロエンに三人は付いていく。


「将国では生まれながらに皮膚の一部に痣がある子供が生まれます。この子どもたちは竜騎士の素質をもった子供として一定の教育を受けながら育つのですが、ある年齢……ちょうど第二次性徴を迎えるころになると痣が広がったり、その部分がひび割れたりするのです」


「……え、もしかして」


 ディンバーはわずかに青ざめているが、キールは話の続きが聞きたくて身を乗り出した。


「変化自体は同じもの、つまり「大人になったための変化」とされているのですが、痣が広がる場合には、外見の変化はなく、ひび割れた場合には竜に変化します。その際、全身に火を纏うことからあのような絵が生まれるのです」


「変身……」


「火」


 ディンバーやキールのつぶやきにロエンは笑みを深くする。


「変化の前には、大抵相性がよく、変化をしない個体……パートナーのようなものができるのですが、この二人は神経の一部を共有すると言われており、竜化するものが死亡すると、人体のほうも死亡することになります。成長時の衝撃に耐え、竜化できるようになった者は自分の意思で竜体と人体とを選んで変化することができます。しかし、長時間竜体でいると、感覚が人とは違うために人体に戻れなくなってしまう危険があるのです。そこで、長時間の変化が必要な戦闘時などは人体のドラグーンと組んで任務に当たるのです」


「ドラグーンっていうのは」


「乗る人も、竜もドラグーンです」


 アーウィンがはさんだ質問にロエンは満足げに答えた。


「キール。すみません、私が間違っていたみたいです」


「……ふつう、間違うだろ。人が、ドラゴンになるって……つか、マジ?」


「盛大に担がれてる可能性も捨てきれない。ロエンさんお茶目、みたいな」


 ディンバーも小声で参戦する。


「担いでないですよ。ほら、そろそろ乗り場なので……ウィーカ!」


 廊下が途切れ、ひときわ広い部分に出た。天井はなく、丸く広い空間に赤髪の丈夫が立っている。

 ウィーカと呼ばれた男は、小さく頭を下げた。


「ドラグーンのウィーカです」


 ウィーカは将国軍人らしく、小さく一度剣を持ち上げた礼をした。


(ウィーカさんがドラゴンになるのか?)


 キールの小さなつぶやきに、ディンバーは一瞬迷ってから首を振った。


(多分、違うな。竜になるのは……)


「僕ですよ」


 またも小さな声を聞かれていたのか、ロエンがにこやかに答えた。


「やはり。貴方が竜体なのですね」


「……結構みなさん驚かれるんですけどね。ウィーカの方が変化しそうでしょう? どうして僕の方だと?」


 ロエンは楽しげにそう言いながらマントを脱ぐ。


「……カンのようなものなのですが……、サラマンドとの違いの話に「僕たち」と言ったり、竜になった時に「人とは感覚が違う」と言ったり……そのあたりが、竜に変わる者特有の感覚なのかな、と。それにロエンさん、耳が良いじゃないですか……そのあたりをもろもろ、で」


「実は目とか鼻も良いですよ。と言うより、良くなりました」


 満足げに笑いながら、ロエンは次々に軍服を脱いでいった。慣れた様子でウィーカがそれを受け取って近くの箱に放り込んでいく。あらかた脱ぎ終わって簡素なシャツとズボン姿になると、ウィーカは箱を閉じる。


「ロエンが変化します。線の外側まで下がってください」


 ウィーカは外見を裏切らない低音でそう言うと、自分もラインの外側に下がった。三人もそれにならって下がる。

 ロエンは広場の中心に描かれた紋章の上に立った。すると、一気にロエンの身体から火が噴き出した。炎がロエンの身体にまとわりつき、目を開けていられないほどの熱気にキールが思わず顔かばって両手を上げた。やがて熱風がやみ、恐る恐る目を開ければ、そこには美しい琥珀色の竜が出現している。


「こうなると、ロエンは皆さんと直接の会話はできません。皆さんの声を聞きとれないばかりか、ロエンの声は咆哮にしか聞こえないでしょう。ロエンと私は思念による会話ができるので、何かあれば私に申しつけてください」


 言いながらウィーカは手際よく鞍や鐙を取りつけていく。


「あ、酔い止めが必要なら今のうちに。上空での……は、結構な惨事になりますから」


 淡々と言うウィーカに三人は首を上下に動かすことしかできなかった。



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ディンバー公子の初恋 ディンバー公子街へ行く ナツメ @natsumeakira

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