第27話

 どれだけ泣いていたのだろう。長かったのかもしれないし、あるいは短かったかもしれない。目は真っ赤に腫れ上がり、もう涙は涸れ、声も出なくなった。

 皮肉なものだ、と成基は自嘲する。あれだけ千花の死を悲しみ、殺した翔治や明香を憎み、巻き込んだ自分を恨んだのに、涙が出なくなれば少し落ち着いてしまう。まるで千花の死がなかったかのように。

  遠くからは金属と金属のぶつかり合う音が小さく聞こえてくる。この静けさが千花の死を悼んでいるように感じられる。

 そう思うと、再び胸が熱くなった。

 これまでも一人だった。何の苦もなく、それが普通だと、当たり前だと思っていた。でも、それは心の許せる幼馴染みがいたから。

 しかし今、その幼馴染みまでいなくなってしまった。もう本当に独りになってしまった。

「俺はどうすれば……」

 だんだんと、成基の腕の中で幸せそうな顔で瞑目する千花の身体が冷たくなってきている。

 また溢れ出す涙が頬を伝ってぽたぽたと千花の顔に滴る。

 不意に、成基の肩に誰かの手が置かれた。

 反射的にしわくちゃの顔を上げる。

「美紗……」

 心配そうに成基を見つめるその美沙の精霊のような美しく、整った優美な容姿が天使のように見えた。

「大丈夫?」

「千花を巻き込まないって決めたのに……誓ったのに俺、巻き込んで、結局千花はいなくなった……。俺が殺したのと同じなんだ!」

 成基は自分の気持ちのやり場が分からず声を荒げた。美紗が悪い訳じゃない。それは分かってる。でも、今になって込み上げてくる理不尽さをどうすることも出来なかった。だからつい、美沙にぶつけてしまう。

「こんなの受け入れられるか! 急に敵になって、急に殺されて……おかしいだろ! 何で千花なんだ……。何で千花なんだよ!」

「…………」

 返す言葉が見つからず、心配そうな眼差しを向けたまま美紗は少しの間黙っていた。それはそうだろう。誰かを失う気持ちがそう安易に理解できるはずもない。それを美紗も経験しているからこそ、どんな励ましにもならないと知っている。

 だから、美紗は予想外な行動をとった。言葉ではなく、文字通り行動で。

「え?」

 いきなり胸に抱き締められた成基は思わず間抜けな声を洩らした。

 だが不思議とそれが落ち着いた。これまでの憤りが嘘のように静まっていく。

「成基は悪くない。それなら成基を巻き込んでしまった私にも責任はある」

 まるで子供をあやすように、優しく肩を震わす成基の背中を撫でる。年前に母を亡くしている少年にはその母のような温もりが懐かしかった。

「少し、こうさせていてくれないか?」

 美紗はそれに答えることもなかったが、嫌がって引き離すこともしなかった。




 しばらく美紗の胸で泣いて、完全にではないものの、少しだけ気持ちの整理が出来たところで自分から身体を離した。

「俺、完全に独りになったよ……。どうしたらいいのかわからない」

 今意識すると、美紗は香水の甘い、女の子らしい匂いがしていた。そこでようやく我に返り、自分のしていたことに恥じらいを感じた。

「あの、ごめん」

 山を染める紅葉のように顔を真っ赤に染めて目を泳がせ、たじろぎながら謝った。

 そこではっとして思い出す。

「千花はどうなったんだ……?」

 成基はこの少しの間に千花の遺体がなくなったことに気づいて訊く。

 しかし、美紗は答えづらそう一度口ごもる。

「えっと、その……セルヴァーがこの世を去ったとき、遺体は消滅するの。そして、セルヴァー以外の人は、その人が元からこの世に存在しなかったことになるの」

「それってどういう……」

「だから、私達以外は千花さんの記憶がなくなるの」

 成基は言葉を無くした。あれだけ孤独を嫌っていたさみしがりの千花が誰にも覚えられていないなんてあまりにもひどすぎる。

 ところが、成基はそこで矛盾があることに気づく。

「それなら俺の父さんは? ちゃんと俺は遺体を見たんだ」

「それは不明なの。なぜ遺体が残ったのか、未だに理由がわからない。何かの要因によって例外は起こるらしいのだけれどそれは判明されていないわ」

 それを聞いて少し落ち着いた。落ち着けるような話ではなかったが、父さんも最後まで自分を見てくれていたと思うと嬉しかった。

 でも……。

「俺はこれからどうすればいいんだ……」

 成基の様子を見て、先程のような深刻さが無くなっていることから少し落ち着いたのだと納得して僅かに頬を緩める。しかしすぐに目の前の少女は真面目な顔つきで言う。

「私達は光のセルヴァーよ。だからこれからもその使命のために戦かえばいい。千花さんのためにも、私達が巻き込んでしまった人のためにも」

 それはそうなのかもしれない。だが正直今の成基に戦う気力はない。だから成基にとって少し重くのしかかり、少し顔を伏せる。

 美紗はすぐに続ける。

「それに……あなたは私に言ったわ。美紗は独りじゃない。俺が今ここにいる、って。その言葉をそのままあなたに返すわ。あなたは独りじゃない。ちゃんと私がいる。だからあなたは独りじゃない。今も、これからもずっと」

 愛の告白ともとれるその言葉で、成基ははっとして顔をあげた。もう自分には大切な仲間がいると。それは自分で言った言葉であり、一番大切なことであり、そして成基が忘れていたことだ。

「俺はあの時、どうしてこんな恥ずかしいセリフを言ったんだろうな」

 右手の人差し指で紅く火照った頬を掻き、はにかみながら言う。

 そんな成基の態度に美紗は微笑んでみせた。

 彼女が笑顔を見せたのは久しぶりだった。でも実際に正面から見たのは初めて。それはもう、まさに天使そのものだ。

 美紗のこの笑顔が見たかった。彼女が転校してきた頃、翔治に見せたこの笑顔が成基の頭の中に残り続けていた。

 そんな追いかけてきた美紗の姿に成基は少し見とれていた。

 こうしてじっくり彼女を見るととても魅力的な美少女だ。これまでどうして自分がほとんど意識していなかったのかが不思議なくらいに。

 美紗とのそんなやり取りの中、無意識のうちに成基の中のいざこざは取れてていた。それと同時に新しい感情も生まれていた。

 ――もうこれ以上、大切な人を、美紗を絶対に失いたくない。

「何があっても、私が成基を守るわ」

「俺も、美紗を死なせたりはしない」

 お互いに決意に満ちた表情で断言した。

 刹那、奇妙な生温い風と共に紫色の不気味な光が夜の街全体を照らし出した。

「何だ!?」

 突然の変化に二人は背中を這うような嫌な予感がして光の発生源の方を向く。そこは現在戦闘が行われている場所で、光は最後方にいる明香からだ。

 成基と美紗は顔を合わせると、同時に頷いて仲間の元に駆けつけた。


「何があったんだ!?」

 駆けつけた時にはもう仲間は全員集まっていた。敵は敵で明香を守るように将也と侑摩が壁を作っている。これから明香が何かをするのは間違いない。

 成基達の合流に気づいた翔治は、何か言いたげに成基を横目で見て、闇のセルヴァーを向き直してから口を開く。

「分からない。俺達も止めようとしたが無理だった」

 よくよく明香を見れば、先程風と感じたものは全て明香に集まっていた。一部だけではない。街の至るところから吸い寄せられるように吹いている。

 いや、これは風ではない。風が吹いているのではなく……。

「気だ。気が街から吸い寄せられている」

「なんだって!?」

 是夢は辺りを見回した。

 街中ににある植木の葉がかさかさと音を立てる。空も紫色に映る雲が覆い始めた。

 これが用意された舞台だと言わんばかりに街の灯りも一つとして灯っていない。そこに明香から発せられる闇のオーラが恐怖さえも与えてくる。

 その中心にいる明香は集まってくる気を蓄え、いきなり剣を天に向かって突き上げた。すると、剣に反応するように、いきなり紫色の雲が割れ、その間から雷光が剣に向かって落ちた。

 あまりの眩しさに全員が顔を腕で覆う。

 光が一瞬で収まると腕をおろし、目が再び暗さに慣れたとき、全員がその場で凍りついた。

 髪はこれまで以上に暗い菫色になり、剣も深紫に不気味に輝いている。

 もう紫色の雲もなく、気の集まりも収まった。だが、それ以上に強大な存在感と威圧感を放つ、最も期限な敵が目の前にいる。

 その明香はゆっくりと瞼を持ち上げ、藍色になった眼を晒す。

「アハハハハハ、アハハハハハハハハハハ!」

 いきなり始めた高笑いが光のセルヴァー六人に恐怖を感じさせた。自信に満ち溢れた佇まいと、それを裏付ける何かが今の明香を象っている。

「もうこれでお前らの勝ち目はない。神を降ろした明香さんは……がばっ」

 誇らしげに言っていた将也の言葉が途中で途切れた。腹から突き出た深紫色の剣によって。

「なっ…………!」

 これには成基も目を見開いた。この一瞬で起こった展開に頭がついていかない。

 それは明香の仲間である侑摩や、いきなり刺された将也さえも同じような様子だ。

「明香さん……なんで……」

「アタイは神の力を手に入れた! もうこれでお前達は用済みだ」

「そんな……」

「今までよくやってくれた。じゃあな、将也」

 明香はあくまでも真顔で、無慈悲に淡々と一方敵に通告すると剣を抜いた。

 将也からは大量の鮮血が流れ出し、ぐったりとして落ちていく。そして完全に力尽きたように光が霧散した。

 それを見届けることなく次は侑摩のところへと向かう。

「明香姉……こんなの……嘘だよね……?」

 侑摩に答えることなく明香は冷酷な眼差しを向けたまま剣を引いた。

 そこでようやく光のセルヴァーが動いた。

 そして突き出す。

 明香の剣は間一髪のところで美紗の剣に止められ、動けない侑摩は成基が少し後方の安全な場所へと移動させた。

 遅れて四人も到着する。

「遂に本性を現したか。お前を倒してこの戦いを終わらせる!」

 翔治が明香を指差し言い放つ。

「貴様らに出来るか? 神と一体化した今のアタイを倒すことが」

「一体化……だと?」

 実際そんなことはあり得るはずがない。神は出てこれないはず。神同士が戦ったときに力を失っているはずなのだから。 それに、人間が神を司るなんて現実不可能。セルヴァーの主従関係が覆ることなどあってはならない。

 美紗が鍔迫り合いを止めて仲間のところへ下がると、明香は喉をならして答える。

「そうさ。お前らが考えたように普通ならどうやってもあり得ない。だがそれが《|希望の一撃

《レゾリューション・ブロウ》》の能力なら?」

 予想外の答えに翔治は言葉を失った。

 《希望の一撃》は一人に一種類だけ与えられた必殺技。無論、使えるようになるのは簡単なことではない。

 一撃ブロウという名でも一撃必殺のものとは限らない。そう考えると何かの条件によっては論理的には可能になる。

「で、でも、あなたは一度私に《希望の一撃》を使っている。あのときはこんなのじゃなかった!」

 美紗も過去の記憶を引っ張り出して言う。前に彼女が明香にやられそうになった時に使われた《希望の一撃》は剣が赤く染まり、攻撃力を上げたものだった。しかし今は別の現象が起こっている。一人につき一種類という仕組みと矛盾が生じているのだ。

 明香はそういえばそんなこともあったような、という風に答える。

「ああ、あれか。あれは十分に気を集めてなかったからな。あれぐらいの威力しか出なかったさ。それに、これには膨大時間が必要だった。気を集めるための時間が」

 紫色の別の姿へと変貌を遂げた敵の話に息を飲む。

「この道具は役に立ったよ。よく時間を稼いでくれた。アタイは神の力を手に入れたんだ。もう道具に用はない。ハハハハハ、ハハハハハハハハハ!」

 狂いきった笑いをあげる明香に成基は歯を食い縛り、両手を爪が肉を抉りそうなぐらい強く握り締めた。少し横を向けば、慕っていた明香に裏切られ、ショックを隠しきれない侑摩の姿もある。しかもその前で堂々と道具扱いをした。こんなこと、許されていいはずがない。

「ふざけるな……」

「あぁ?」

 急に憎らしい笑い声が止んだ。

 成基はそれに対抗すべく一歩前に出る。

「ふざけるなっつってんだろ! 人を道具扱いしやがって、堂々と仲間を裏切って、やりたい放題やってんじゃねぇよ!」

 彼の憤然とする様子に仲間が全員振り向き、近くにいた侑摩も顔を上げた。

「それなら何で千花は死んだんだ。満足そうに死んでいった千花はどうなるんだよ!」

「千花? ……ああ。最後のアレか。アレは全然使えなかったな。もう少し役に立ってくれると思ったがな」

 この言葉で成基はふっ切れた。

 こいつは絶対許さない。千花を利用し、仲間を利用し、道具としか考えないで、平然と仲間を殺すやつは、生きる資格なんてない!

「お前だけは、絶対に許さない!」

「ああ」

 翔治の声がしたと思い、横をむくと、彼はいつの間に成基の隣にいた。翔治だけではない。修平に芽生、是夢、そして美紗も。

「今のお前に何が出来ると言うんだ」

「俺も明香は許せないからな」

「か、勘違いしないでよね! あたしがあいつを嫌いだからやるんだから」

「僕もあいつのせいで巻き込まれたからな。その恨み晴らさせてもらう」

 そして美紗だけは言葉など不要だと言う様子で頷く。

「これで絶対に勝つ!」

 翔治が仲間を鼓舞し、成基以外がそれに応えて空を蹴った。

 しかしまさにその刹那、明香の表情が少し動いたのを成基は見逃さなかった。

「ダメだ! 止まれ!」

 考えるよりも先に叫んでいた。だかもう遅い。

 明香は剣を前に出すと、剣先から魔法でも使っているかのように黒い塊を生成するとそれを連続で五人に放った。

 美紗だけは何とかそれを避けたが他の仲間は打ち落とされてしまう。

「みんな!」

「人の心配をしている場合か!」

 明香の声にはっとすると、再び放たれた団塊はもう目の前まで迫っていた。

「きゃああぁぁぁぁ!」

 今度こそ避けることが出来ず、命中した。

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