第28話

 軽く咳き込み、自分の意識をはっきりさせて美紗は重い身体を持ち上げた。

 周囲と上空を見回すも同じくやられた仲間の姿はない。 無事であることは確かだろう。

 明香の攻撃はとても重たかった。鉄球とまではいかなくとも充分の攻撃力を持っていた。それに、美紗に当たってから黒い塊は消えたことから物理的なものではなく、科学的な何かだと判断がつく。

 ならそれをどうやって防ぐ?

 連射が可能なら避けたところでまた次が放たれるだけだ。

「…………!」

 思考を巡らせているうちに、上空から乾いた金属音が鼓膜に触れ、美紗を物思いから呼び戻した。

 まだ上には成基がいる。しかも今彼は弓を引くことが出来ない。それに、明香は神と一体化しているため攻撃力は底知れない。そんな明香からの一方的な攻撃を防ぎ続けるのはあまりにも厳しすぎる。

 一刻も早く成基を助けるべく全身に力を入れた。

「大丈夫。まだ動ける」

 自分に言い聞かせると美紗は地を蹴った。

 また再び明香が成基に斬りかかろうとしている。その間美紗には間に合うか、という焦りは一切無かった。

 間一髪ながらも、自信通り間に合わせると明香の紫色に輝く剣を打ち返す。

 背後からは成基の荒い息遣いが聞こえてくる。

これ以上これをこの場に置いておくのは危険だ。

「下がって。後は私がどうにかする」

 美紗は振り返らずに言ったが、明らかに成基が不安そうなのは感じ取れた。それは自分でも分かっている。普段なら少しぐらい無茶するかもしれない。

 でも、今はどうしても失いたくない人がいる。だから自分も無理をするつもりはない。だから、

「大丈夫。私は必ず戻ってくる。せっかく見つけた私の居場所を、また無くしたくはないから」

 しばらく成基は動かなかったが、やがて、少し不満そうだが身を翻して降下を始めた。

 それを最後まで横目で見届けた美紗は少し息を吐く。

 成基にはああ言ったものの、正直なところ明香を倒す方法なんてわからない。剣先から放たれる黒弾の対処法すらも何もない。

 美紗はそっと剣を握る右の掌を見た。

 ――それでもやるしかない。私が成基を守るって、そう誓ったから!

 その手を強く握り締め、瞳を閉じて集中する。そしてぱっと目を開き、一気に飛び出した。

 明香も手加減することなく最初から黒弾を幾つも連射して応戦する。それを美紗は止まるどころか、逆に加速してそれを避けて距離を詰めていく。

 ――これならいける!

「――!」

 全て躱されたのを見て明香の表情が強張った。もう無駄だと判断し、黒塊を放つを止めて、美紗を剣で迎え打つ。

「もうあなたの攻撃は効かない」

 鍔迫り合いまで持っていった美紗が宣告する。

「これで勝った気になる、な!!」

 最後の一字を強く言い切ると共に明香は剣を押し返し、離れた僅かな間から剣先を美紗に向け黒弾を零距離で打ち出す。

 当然それを躱せる分けもなく、美紗は小さく呻き声を上げて後方に飛ばされた。


 朦朧としかける意識の中で美紗は限界まで歯を食い縛り、何とか食いとどまった。だがすぐに、明香から痛打を受けたダメージから、全身に力が入らず、膝が折れてしまう。

 無理して立ち上がるのを諦め、その姿勢のまま少し休憩がてらに美紗は独りごちる。

 黒弾は攻略出来たものの、あの姿になった明香が常識はずれの力を持っていることを忘れていた。

 接近すれば明香の強化された力によって圧され、遠くから様子を伺えば黒弾の餌食となる。

 方法を模索していると、接近する明香の強力なオーラが美紗の意識を物思いから現実に呼び覚ました。

「くっ……。これ以上攻撃を受けるわけにはいかない……。なら、やるしか……」

 身体中に力を込めて手で膝を押す。先程と同じようにやはり力は入らなかったが、今回はそこで諦めず、気力で何とか立ち上がることに成功した。

 不意に、剣を握る美紗の手に滴が弾けた。上を向くと気づかぬうちに黒い雲が空を覆っている。次第に滴の量は増えていき、激しさを増す。

 ふらふらしながらも美紗は前方に意識を戻す。するとゆっくりと確実に近づく姿が見える。美紗の瞳に映ったその紫色のシルエットが彼女には死神のように思えた。

 死神は、美紗の姿を捉えると黒弾を三度討つ。

 遠距離からの射撃で少し余裕があったために、それを上昇して回避する。それで安心したのも束の間、美紗の動きが読まれていたかのようにに、彼女の眼前には次弾が迫っていた。

 回避しようにも身体が動かない。反射的に目を瞑ることも出来ず、漠然と死を覚悟した。

 だが、突然目の前に迫っていた黒塊が消えた。そしてすぐに何かが明香に近づく。明香はそれを避けようとしたが、黒弾の方に意識が向いていたために反応が遅れ、彼女の脇腹から鮮血が飛ぶ。

「翔治!」

 美紗を救い、明香に傷を負わせてそこにいたのは銀髪の少年だった。

「俺達もいるよ」

 声と共に現れたのは金髪の少しチャラそうな少年、修平だ。それだけではない。

 その後ろから芽生と是夢も来ていた。

「ごめん美紗。お待たせ」

「ちょっと寝てしまったが……もう目は覚めた」

 ――私は独りなんかじゃない。

 自分の周りにいる心強い仲間を見て、改めて美紗は思う。

 黒く分厚い雲で覆われた空からは雨がさらにひどく降り注ぎ、全員の身体を濡らす。しかし、その冷たさはもはや感じなかった。今は、この世界で一番許せない敵を倒すことに集中しきっている。

 翔治が明香に傷を負わせたシーンを思い出し、美紗は閃いた。

 ――翔治のお陰で分かったことがある。明香の弱点を。

「でもどうやって明香を倒すんだ?」

 丁度その時是夢が美紗の考えていたことを訊いた。

「明香は多分、黒弾を出している間は動けない。逆に動いている間は黒塊を出せない」

「つまり、全員でバラバラに動いて明香の気を散らせばいいんだね?」

 修平の確認に無言で頷く。

「そんなの簡単じゃない。こっちは五人もいるんだから」

 芽生も余裕の表情で言う。

 そこへ、明香が黒弾を撃ち込んでくる。

 誰も何も言わずに散開すると、早速決まったばかりの作戦を決行した。

 だが実際には思ったほど甘くはなかった。いくらどちらかのことしか出来ないとしても黒弾は連射数に限りはない。その攻撃を掻い潜って近づけなければ明香に勝つことは不可能。

 絶え間なく撃ち出される黒弾を華麗に舞って躱し、少しずつ距離を詰めていく。まだ半分もいかないが、確実に近づけていることは実感出来た。

 この戦闘が始まってもう一時間以上経つ。その間休みなく動き続け、さらに明香の攻撃も受けて、さすがに美紗も体力が限界に近い。でも気を抜けば撃ち落とされ、明香を倒せない。

「もう! これじゃキリがない……?」

 急に、美紗に向かってくる黒弾の数が減った。しかし、発射される数に変化はない。

 不思議に思い、多く発射される方向を振り向くと、そこでは仲間四人が疲れを感じさせない動きで懸命に避けていた。

 その意味を美紗はすぐに察した。

「ありがとう。みんな……」

 小さく呟くと意を決して飛び立つ。

 数の減った黒弾を躱しながら近づくのは容易なことだった。少し下に潜り込み、明香の死角に入って美紗から注意を逸らす。

 そして加速し、心臓目がけて剣を突き出す。

 もう今からなら避けられない。これでようやくこの一年間の戦いに終止符が打てる。

 これでもう、戦わなくて済む。

 これ以上、たくさんの人が犠牲になることはない。

 やっと自分に素直に生きて行ける。

 本当に大切な人を失わなくていい。

 そう、勝利を確信した。

 しかし、見えない何かによって剣が阻まれ、硬い手応えが手に伝わった。

 かと思うと、その弾かれた勢いそのままに後方へ飛ばされた。そして視認出来ない障壁に叩きつけられる。

 一部始終を見ていた仲間達は驚愕しているが、当人の美紗ですら何が起こったのか理解出来ない。

「残念だったな。せっかくアタイを追い詰めたのに。これで貴様らは勝てないさ!」

 明香に反論しようとしたがさすがにもう身体が言うことを聞きそうにない。がっくりと脱力し思いふける。

 だが、美紗は一度これを見たことがあったことを思い出した。約三週間前、成基が侑摩を射抜こうとしたとき、矢は見えない何かに弾かれ、その後すぐに明香が加勢に来た。もしそれが今回のものと同じだとすると、明香は無敵同然だ。

 遠距離攻撃の出来る黒弾。近距離で圧倒的な強さを誇る力。鉄壁の防御力を持つ障壁。この三つを全て攻略しなければ勝ち目はない。しかし、今新たに発覚した障壁の攻略法を探るほど美紗に体力は残っていない。

 ――相手がチート級なら同じような能力、飛び道具で対応するしか……。

 美紗は荒い呼吸をしながら成基がいるはずの下方をゆっくりと見据えた。

 しかしすぐに首を振ってその考えを打ち消す。成基の弓は一度、明香の障壁によって防がれている。それに、成基の状況を配慮すればそれは酷だ。

「いったいどうすれば……」

 美紗の中で希望は少しずつ絶望へと変わりつつあった。

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