第26話

「くそぅ!」

 彼は逃げ回ることしか出来ない自分のもどかしさに吐き捨てた。

 自分の目の前では幼馴染みが自我無くし、苦しんでいるというのに、その攻撃を止めることも出来ず、どうしようもない悔しさだけが彼の中に渦巻く。

「千花! しっかりしろ!」

 必死に呼び掛けるが、本人は冷酷な無表情を浮かべたまま。

 ――もう千花は完璧に洗脳されてしまったのだろうか。

 しかし頭を振って一瞬でその考えを打ち消す。絶対にまだ抗っているはずだ。

 思考をやめた直後にその千花から鋭い一撃が繰り出される。右腕の毒の影響で弓が使えず防御がとれない成基はすかさず反応してそれを躱す。

 せめて弓が使えたらもう少し楽だったのに……。

 そんな思考を続けることも許さず千花が接近し、剣を振りかざす。

「くっ」

 成基は僅かに表情を歪め何とかぎりぎりでそれを躱すが、先程よりも速いスピードにバランスを崩してしまう。

 千花は、それを見逃さなかった。

 弱いながらも小学三年生からの六年間剣道を続けて、様になった上段の構えからとどめを刺すべく一瞬で距離を詰めた。

 普段の大人しい彼女からは考えられない強さ。セルヴァーの力のおかげだと言ってもそれだけではこれだけの力は得られない。

 やはり千花に施された洗脳が影響しているのだろう。

 もうこれは回避不能だ。

 苦しむ千花を助けることも出来ず、こうして死んでいくのか……。

 無駄な抵抗をすることなく覚悟を決めゆっくりと瞼を下ろした。

 一秒、二秒と時が流れるのが遅く感じる。

 三秒、四秒。

 そこでようやく何も起こっていないということに気付き、ゆっくりと目を開けた。そこへ飛び込んできた光景を目に、成基は絶句した。

 目の前にいる千花に突き刺さる一本の剣。そこから飛び散る赤い液体。

 突然のことに頭が真っ白になった。信じたくない。信じてはいけない。

「成基……くん……」

 しかし、そう発した弱々しい声音は、疑う余地もなくいつもの大人しい、成基のよく知っている幼馴染みのものだった。

「千花……」

「もうこれで……成基くんを……殺めずに済む……」

 今になってようやく我を取り戻した千花が涙を浮かべて笑顔を見せてくる。

「そんなこと……」

「ごめん……ね……。わたしが……もっと……しっかり……してれば…………」

「違うっ!」

 叫ぶとすぐに千花に刺さった剣を抜き捨て、ほっと彼女を抱き締める。

 気づけば成基の視界は滲んでいた。恐らく顔も誰にも見せれないようなことになっているのだろう。

「俺が……千花を巻き込まなければ……こんなことにはならなかったのに……!」

 成基が涙を溢すと、弱いながらもしっかりした、それでいて柔らかな優しい温もりを頬に感じた。

 それが千花の手であることはすぐに理解出来た。

「それは違うよ……」

 弱々しい声が鼓膜に触れて成基は少し嗚咽を堪える。

「私が気になって……私が首を突っ込んだだけ。成基くんは……ちゃんと私を巻き込まないように……してくれてたじゃない。だから……私の……自業……自得……ね……」

 成基は千花に掛ける言葉が見当たらなかった。どうすればいいのか分からなかった。

 千花の呼吸が小さくなっていく。目も半開きになり、もうもたないことぐらい、簡単に察した。

 しかしまだ千花は言葉を紡ぐ。

「だから……私の分まで……生きて。絶対にだよ………。……今まで…………ありがとう……。……こんな……幼馴染みで……ごめ……ん……ね……」

 そして幼馴染みの少女は満足そうな表情を浮かべたまま目を閉じた。

「千花ぁぁぁぁーーーーーー!」

 成基は千花の胸に顔をうずくめ、恥じらうことなく、自分の出せる最大の声で叫んだ。

 その瞬間にこれまで千花と出会ってから十年間の思い出がフラッシュバックした。


 千花との出会いは十年間の五歳の時。その日、成基はいつもの公園の砂場で山を作り、トンネルを掘って遊んでいた。すると、初めて見る気弱そうな女の子が、一人で公園に入ってきた。

 おどおどを周りの目を気にするように歩くと、公園の隅にあるブランコにちょこんと座った。

 しかし、ブランコを漕ぐ様子はない。

 少し気になった成基は女の子に歩み寄って話しかけた。

「ねぇ、どうしたの?」

 女の子は最初、気弱そうな面から、声をかけられたことに驚いていたが、相手が同じ年ぐらいの男の子だと認知して、少しした後口を開いた。

「私は遊ぶ友達がいないの」

 いたって真剣に言った女の子だが、成基はあっさりと答える。

「だったら、僕がともだちになってあげる!」

 女の子がきょとんとしたのも束の間、満面の笑みを浮かべて頷いた。

「僕はせいき! こみやせいき!」

「私は、ゆめざきちか」

「あそぼ! ちかちゃん!」

 これが二人の出会い。

 それから二人は毎日のように遊んだ。ブランコを漕いだり、砂場で山を作ったりして。

 小学校に入ってからも二人の関係は変わることはなかった。そこに新しい友達も増え、充実した日々を過ごしていた。


 そんな楽しい記憶、喧嘩して千花を泣かせてしまった幼い頃の記憶、つい最近一緒に勉強したり、ご飯を食べた記憶。そのどれもが鮮明に成基の頭の中に残っている。

 なのに……。

「……くそっ! 巻き込まないって決めたのに……! 千花……俺はどうしたらいいんだ……。お前がいなくなったら、俺は本当に独りになるじゃないか……」

 自分の声が街の建物から跳ね返ったのを聞くと、静かに身体を少し離す。

 止めどなく流れる涙を成基は拭おうとはしない。この涙を拭いてしまうと千花を遠くに感じる気がしたからだ。

『泣かないで。私はいつでも成基くんの傍にいるから……』

 そんな幼馴染みの声に顔を上げれば夜空に半透明な千花の姿が見えた。

『これまでのこと、忘れない。だから、成基くんも忘れないで……私のこと……』

 その言葉を最後に千花の姿は消滅した。

 最後の最後まで千花は笑っていた。悲しい顔一つすることなく。それが成基を悲しませないためだと分かっていても千花を殺した人物が許せなかった。

「一体誰が……!」

 そこに視界に入ったのは、剣を拾いに来た銀色髪の男。一瞬でこいつが犯人だと分かった。

「翔治! 何で千花を殺した! 千花は、自分を取り戻そうと戦ってたんだぞ! なのにどうして!」

 単に剣を拾いに来ただけだった翔治は、いきなりの抗議に心外そうに言い返す。

「だが敵だろ? 敵なら倒すしかない。もし俺が殺らなければお前が殺られてた」

「だからって他の方法があったはずだ! 千花を殺さない方法が!」

 翔治は表情を何一つと変えず淡々と答える。

「確かに考えればあったかもしれない。でもそうしたところでまた同じことの繰り返しだ。それによって苦しむのは夢咲千花だ」

「侑摩は助けるのに千花は切り捨てるのか……」

「違うな」

「何が違うんだよ! ふざけるな! お前は人を助けるためにセルヴァーとして戦ってるんじゃないのか!」

「そうだ。侑摩はまだ助けられる可能性がある。だが夢咲千花にはその可能性はなかった。なら本人にとって一番幸せな方法はその苦しみから解放してやることだ。」

 あまりに自分勝手に思える返答に成基は憤慨した。成基がせっかく千花を助けようとしていたのに翔治はそれを簡単に一蹴した。

「人の幸福をお前の都合できめるな! 千花は」

「ならお前は……」

 翔治は冷静に成基の言葉を遮った。

「ならお前は、夢咲千花にとって何が幸せか知っているのか? それこそ成基の都合なのじゃないのか?」

「そんな、こと、は……」

 ない、とは言えなかった。千花の死に際の言葉を思い出してしまったから。


『よかった……もうこれで……成基くんを……殺めずに済む……』


 千花は微笑んで満足そうに言っていた。翔治の言う通りなのだろうか。

 そう考えると、もうそれ以上翔治の言い分は正しく感じて成基は俯いた。

「分かったら早く気持ちを切り替えろ。死ぬぞ」

 無慈悲にそれだけ言い残すと翔治は戦線に戻った。残された成基は俯いたまま悔しさのあまり、唇を血が滲むほど強く噛み締めた。


 翔治が戻ると戦いは少し膠着状態になっていた。

 そこにいた明香以外の全員が肩で息をしている。そこへ攻撃を受けた美紗が芽生の肩を借りながら戻ってきた。

「翔治、成基は?」

 あまり気が進まなそうにしながらも翔治は美紗に指を指して示す。

「あそこだ」

「何があったの?」

「…………」

 少し顔を伏せただけで答えようとしない翔治。それだけで何となく状況を察した美紗は一瞬顔を強ばらせ、成基の元に向かった。

「ふぅ」

 美紗を見送って、珍しく疲れたように息を吐くと、三人揃っている闇のセルヴァーを向いた。

「やっばりあれは使い物にならなかったようね」

 明香の言葉を聞いた芽生は何があったのかを察し、男三人は怒りに頬を吊り上げた。中でも修平は拳に力がこもり、全身を震わす。

「いい加減に……」

 叫ぼうとした修平を翔治が手で制した。

「よせ。あいつに何を言っても無駄だ。それに、俺もその気持ちは同じだ」

 普段こんなに感情的になることのない修平だが、納得出来ないというようにしぶしぶ下がる。

「人間を道具としか扱えないお前を放っておくわけにはいかない」

「なら、力ずくでやればいいじゃないか。アタイらはもとからそのつもりだ」

「俺もそのつもりだ。だがな、その前にすることがある。関係ないやつを巻き込みたくないからな」

 明香は何をするのかと身構えた。

「……侑摩、お前はこの戦いから降りろ。お前も明香に利用されているだけだ」

 侑摩は唐突なことに戸惑う。

「アハハハハハハハ! 何を言うかと思えばそんな戯れ言を。侑摩は自分の意志で戦ってるんだ。誰から吹き込まれたのか知らないがふざけるのもほどほどにしな!」

「何を言ってるのかよく分からないけど、明香姉の言った通り僕は自分の意志で戦っている。混乱させようとしても無駄だよ」

 予想通りの返事に翔治は小さく溜め息をつく。

 最初から話し合いで解決するとは微塵たりとも思っていない。そんな相手ならもとよりこんな戦いになどなっていない。

「仕方ない……実力行使でいくか」

「翔治! ちょっと待ってよ! 約束が違うじゃない!」

 芽生に叫ばれ翔治は頭が痛いといったように呻く。

「分かってる。分かってるがどうしろと言うんだ。見るからに侑摩は洗脳みたいなものはされていない。ならば侑摩自身の考えが変わらない限りどうしようもない。侑摩が騙されている証拠があるなら別だがな」

「証拠……」

 芽生は目を閉じて考える。どうにか侑摩を助ける方法を。


 騙されたんだ……俺は……。


 芽生は脳内で、啓司の残した言葉を反すうした。

「証拠はないけどいけるかもしれない……」

「なに!?」

 彼女は翔治には答えず直接侑摩に語りかける。

「侑摩がセルヴァーになった理由って何?」

「そんなの聞いてどうするんだい?」

「いいから答えなさいよ!」

 急に強く叫んだ芽生に侑摩は少し身体をぴくつかせ、少し怯みながらも答え出す。ゆっくりと、当時のことを思い出すように両目を閉じて。

「僕は……親から虐待を受けていた。毎日のように暴力を受け、常に部屋の隅で泣いていたよ」

 予想もしていなかった侑摩の過去に全員が驚いた。

 似ている。光のセルヴァーのメンバーの境遇と。報われない人生を送っていた子供が、自分の人生を糧として世界を変えるためにセルヴァーになる。それが光のセルヴァー。

「そこに明香姉が来て僕を助けてくれるって言ってくれたんだ。だから僕はセルヴァーになった。これで満足かい芽生ちゃん? 」

「じゃああなたは本当に助けられたの?」

「助けられたよ。家からも出れたし、今は何もされない。だから僕は明香姉についていくんだ。恩を返すために」

 翔芽生の予想した通り、明香は何もしていない。結果的にそうなっただけなのだが、侑摩は明香が助けてくれたと思い込んでいる。

「残念だったな。もう何もないのかい?」

 これでは証拠にならなかった。これで完全に手は尽きた。ならどうしたらいい。諦めるしかないのか。

 啓司との約束を守れない自分の無力さに唇を噛みしめた。

「ならばやるしかないな。あたいはアレを使う。将也と侑摩は時間を稼いでくれ」

「りょーかい」

 侑摩はいつもの口調に戻して返事すると将也と二人で距離を詰めてきた。

「全員明香を止めろ!」

 嫌な予感がする。翔治は直感でそう感じとり仲間に指示した。

 アレが示すものが全く検討もつかない。《希望の一撃

レゾリューション・ブロウ

》なら時間をかける必要などないだろうし、もし、それ以外ならいち早く止めなくてはならない。しかし、セルヴァーにそんな能力

ちから

はないはずだ。

 明香は目を閉じて集中力を高めている。

 それを見て翔治は強く剣を握り直した。

 人数ではこちらが圧倒的に有利だ。だから人数をかければ明香を止められる。

 そう考えた翔治は、侑摩が芽生の相手をしている隙を見て明香の元へ向かった。

「君の相手は僕だよ」

「なっ!」

 翔治は驚愕し、目を見開いて止まった。つい先程まで芽生の相手をしていたはずなのに一瞬で目の前に現れた。横を見やると芽生は下に落とされかけ、強烈なGの中、ぎりぎりで踏みとどまっていた。

「人数をかければいいってわけじゃないよ」

 目の前にいる黒髪の少年の右手には刀身一メートル弱の剣を提げ、左を腰に当てて平然とその場に立ち尽くす。

「倒すしかないってことか……」

 軽く舌打ちすると剣を下段に構える。そこに芽生も合流する。

「ならば望み通り強引に突破させてもらう!」

 翔治と芽生は同時に空を蹴った。

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