第21話 死んじゃえ

「――二人とも、死んじゃえ‼」


 遠い昔、私がまだ小さな子供だった頃。遊園地に行く約束をすっぽかしてまで仕事を優先した両親へ、私は心にもない呪いの言葉をぶつけた。


 それが最後の言葉になることも知らず、次に両親と会ったのは病院の地下に広がる死体安置所の一角だった。


「本来はC級相手の簡単な任務だったのですが、まさかA級悪魔まで現れるとは思いもせず……」


 私の隣で項垂れているのは、両親と共に任務に当たっていたらしい右腕がない壮年の男性。


「……私の、せいだ」


 彼の話が届くことはなく、崩れ落ちた膝にコンクリートの固く冷たい感触が伝わる。


「私があんなこと言っちゃったから、パパとママは死んじゃったんだ」




「…………」


 両親の遺骨がお墓に収まり、新しく住む場所も決まった頃、私はようやく自分が満足に喋れなくなっていることに気付いた。新しいお家の管理人、小鳥遊医師はストレスによる一過性のものと言ってくれたが、新生活が始まって一年が経っても声が戻ることはなかった。


「初めまして。君が、卯月薫さん?」


 そんな中出会ったのは、突然紅葉寮を訪ねてきた女性型の天使様。真っ白なローブを身に纏い、金色の長髪の上には緑色の光輪を浮かべている。彼女は穏やかな微笑みと共に、今の時間は私しかいない紅葉寮の玄関に立っていた。


「わたしの名前はガヴ。普段はただの旅人ですが、紅の国に立ち寄った最中に君のお話を小耳に挟みまして」

「……ん」


 ガヴと名乗る天使様が手を差し出すと、掌の上で彼女の瞳と同じ緑色の微弱な輝きが灯る。輝きはしばらくしてから確かな形を作り出し、気が付けばガヴ様の手にはエメラルドの指輪が乗せられていた。


「さあ、わたしに手を差し出してくださいな」

「……?」


 ガヴ様に言われるがまま右手を差し出すと、人差し指にガヴ様の指輪が嵌められる。


『聞こえますか、言葉を失った少女さん。これがわたしの奇蹟、『思念の祝福』です』

「…………」


 頭の中で響くガヴ様の声が教えてくれる。この力は例え話すことが出来ずとも、相手に自らの意思を伝えることが出来る力だと。


『……どうして』

「はい?」


 身につけた能力を早速使い、たった今抱いた疑問をそのままガヴ様へ伝える。


『どうしてガヴ様は、見ず知らずの私に祝福をくださるのですか?』

「……ああ、なるほど」


 ガヴ様は思念ではなく口頭で、何てことない素振りのまま答えてくれた。


「簡単なことですよ、薫。言葉というものはどのような者にとっても、平等にあるべきものですから」

「…………」


 『平等』という言葉により、心の中で生じたのは仄かに温かな安心感。そしてどうしようもなく我儘な黒ずんだ靄の塊だった。


『……本当に言葉が平等なら、どうして私の言葉はパパとママを殺しちゃったんだろう』


 恩人である天使様には決して聞こえないように、胸の内で浮かんだ小さな疑問は私の心で燻り続けていた。




「卯月さんってさ、何だか怖いよね」

「分かる! 何ていうのかな、喋ってると自分が自分じゃなくなっちゃうような……気持ち悪い感じ?」

「薫ちゃんと話してると頭痛くなるー」

「…………」


 小学校の教室で、初めの内は仲良くしていたクラスメイト達の陰口が聞こえる。

 『思念の祝福』による相手の脳への負荷、そして私の無意識による意図しない思念の流入。一年経っても未だに制御できない祝福の力により、気が付けば学校では誰も私に近寄らなくなっていた。


『……ああ、良かった。これで皆、私の言葉に傷つかないで済む』


 誰にも届かない思念を頭の中で浮かべながら、今日も私は一人教室の隅でいくつも文字が記された本を読む。また私の言葉のせいで誰かを不幸にしてしまうくらいなら、こうして静かに過ごしていた方が幸せに違いなかった。




「受け取るがいい、薫よ」

「ん……」


 紅葉寮の中でも文庫本を手放さずにいると、テーブルの向かいに座った男の子が私の読書を遮る。男の子の名前は八重樫一季。最近になって紅葉寮に入所してきた、私より一つ年上の同居人だ。


「……?」


 そんな一季が手渡してきたのは、掌よりも少し大きめで表紙が黒色のメモ帳。上部に出来た穴にはリングが通っており、縦方向に次々とページを捲ることが出来た。


「皆まで聞くな。此度の品は、親父の手伝いで稼いだなけなしのお金で購入したもの。故に丁重に、そしてありがたーく使うがいい」

「……ん」


 相変わらずテンションが読めない一季を前にして、以前お父さんが一季に私の祝福について教えていたことを思い出す。あの時は祝福のデメリットについても話していたから、一季なりに色々と考えてプレゼントしてくれたのだろう。


「…………」

「……薫」


 言葉すら伝えることなく、受け取ったメモ帳を本人にそっくりそのまま返す。我ながら酷いことをしている自覚はあるものの、文字を使ってまで誰かと会話をする気にはなれなかった。


「……先生が言っていたんだ。弱さを忘れずに、強く生きるんだって」

「?」


 一季はまるで自分を奮い立たせるようにして独り言を呟くと、意を決したように私へテーブル越しの真正面から向き直る。


「恥ずかしがる必要はない。方法がどうあれ、自分の想いを伝えることがかっこ悪いわけないからな」

「……あ」


 私の心全てを見透かしたわけではない、しかし一季の確固たる意志が籠った言葉。心の奥を深く穿つ単純な言葉により、私にも伝えたい言葉があったことにようやく気が付く。


「薫?」


 テーブルの上に置かれていたメモ帳を手に取り、祝福の力を使ってその言葉が出力されるように祈る。


『ありがとう、一季』

「……薫」


 私の言葉を受け取った男の子はほんの少し目を見開いたものの、すぐに微笑ましい笑顔を取り戻す。


「……こちらこそ、どういたしまして」


 一季の頬はほんのり赤く染まり、何故だが私の方まで気恥ずかしくなってくる。こんなこそばゆいくすぐったさは久しぶりで、我慢できなくなった私は続けて気になっていたことをメモ帳へ記していく。


『ねえ、先生って誰のこと?』

「ふむ、いいだろう。同居人のよしみとして、薫には『漆黒の天使』の武勇伝を聞かせるとしよう!」


 私の言葉を発端として、一季の口から武勇伝とはいかずとも素敵な思い出話が紡がれる。


 他愛のない情報の連鎖は確かに、あの日私が自分の言葉を取り戻したことの証左だった。

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