第20話 全てを知れ
「……薫、一旦そこまでだ。お前のおかげでマモンもこの有様だし、しばらくは大人しくしてくれるだろう」
「……ん」
薫の全身を帯びていた殺気は収まり、マモンへ押し付けていた足をゆっくりと上げる。
「今のうちに森を抜けて、バリエル様か誰かに助けを」
「ヨ……ヨウヤ、ク」
「……え」
薫がその場から離れようとした途端、地面に伏したはずの手が薫の足首を掴む。
「ん……!」
走り出した勢いのまま薫は転んでしまい、手にしていたメモ帳はそのまま野原の上を転がる。
「……ヨウヤク、ワカッタゾ。八重樫一季ヲ欲カラ遠ざケタノハ、オマエノ祝福ダッタノか!」
並々ならぬ敵意によって眉間に皴を寄せているのは、予想していたよりもずっと早く動けるようになった鴉の悪魔。
「薫!」
マモンは倒れた薫の背中に上から飛び掛かり、馬乗りの姿勢になってうつ伏せの薫を組み伏せる。
「予定ヘンコウダ! オンナ、マズハオマエヲ欲ノ海ニ溺レサセル!」
「……!」
声にならない薫の悲鳴なんてお構いなしに、マモンの嫌に人間らしい手が薫の頭に触れる。
「……ナルホド、コレガオマエノ欲望カ」
一体薫の何を読み取ったのか、マモンの黒く尖った嘴は醜悪な歓喜の形に歪む。
「サア、立て!」
「お前……!」
マモンは薫の首を片手で羽交い絞めにすると、まるで物でも扱う乱暴さのまま薫の身体を持ち上げ立ち上がる。
「モウイチドイウゾ。八重樫一季、オマエノ『不死の祝福』ヲ俺ニヨコセ」
「……断る。貴様のような下衆に、先生のナイフは渡さない」
「ソウカ、ナラバシカタナイ。要求ヲコバムノナラ、コチラニダッテ考えガアル」
「……考え?」
俺の畏まった口調なんて気にする様子もなく、羽交い絞めにした薫を身体ごと前へ突き出す。
「サア、オンナ! ソレホドマデニ『死』ヲ拒絶スルナラバ、今スグ八重樫一季ニ『死ね』ト命じてミロ!」
「は……⁉」
マモンの下劣な要求に恐怖よりも怒りを覚え、草原の上で駆け出す一歩を踏み込む。
「ムダな抵抗ハスルナ! チョットデモ癪ニ触るコトヲシテミロ、オンナノ首ハタチマチ粉ゴナダ!」
「……くそ」
マモンが一層首を強く絞めると、薫の口から弱々しい苦悶の声が漏れる。ガラガラ声の言葉通り、いざとなったらマモンは本当に薫を殺すつもりなんだ。
『一季……』
「……薫?」
冷たい汗が額を伝う頃、薫の言葉が頭の中で木霊する。
『……私なら、大丈夫だから』
「大丈夫って、何が」
薫は静かに頷くと、表情にはすっかり見慣れた穏やかな笑みが浮かぶ。
『一季はこれからも、死なないでね』
「薫、まさか」
俺にいらない心配をかけさせたくないのか、薫の物言いは今の状況下でもいやに冷静だ。
「八重樫一季! オマエ、ナニヒトリデペチャクチャと」
『これは、私がもたらす最後の言葉』
「ア……?」
最悪の可能性は言葉となって姿を現し、薫を拘束するマモンに向けて牙を向く。
『――全てを、知れ』
「……!」
薫を止めようと駆け出した身体は、薫を中心として発せられた衝撃波により吹き飛び転がる。
『思念の祝福』のもう一つの能力、思念暴発。薫を構成するあらゆる情報はその小さな頭の中で膨れ上がり、膨大な情報量に耐え切れなくなった脳は周囲一帯に情報の洪水という衝撃波をまき散らす爆弾と化す。
「コ、コレハ……何だ……? 視覚モ聴覚モゼンブ、シラナイ情報スベテに塗りツブサレテイク……‼」
マモンすら爆発の衝撃に抗うことは出来ず、薫から離した腕を大きく仰け反らせ俺とは真逆の方向に吹き飛んでいく。
「か、薫……」
物理的な衝撃波さえ生み出してしまう、薫によって生み出され止めどなく流れ続ける情報の洪水。薫に近づいた俺さえ衝撃の渦中に飲みこまれ、マモン同様に終わることのない情報の波に覆い隠されていく。
「……あ」
永遠に伝達されては過ぎ去っていく、人一人には到底処理しきれない文字やイメージに音声の数々。無限に続く砂嵐の中、視界の遠くには小さい頃の薫が昔と同じ静けさのまま佇んでいた。
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