第19話 マモン様

「……か、薫?」

「…………」


 森林地区にしては開けた野原の中、薫は膝に手をついて息を整えている。


「……そうか、今の声はお前が」

「ナンだ、ツマラナイ。セッカク、オモシロイ欲が食エルトオモッタノニ」

「え?」


 今まで聞いたことがないような、とても人間の物とは思えないガラガラ声。その声が聞こえた先で、二十羽程はいるであろう真っ黒な鴉が群れを成している。


「……!」


 鴉達は甲高く鳴き叫び、それぞれが熱い陽が昇る青空へ散り散りに飛び去って行く。


「お、お前は……」

「オマエ、一体ドウヤッテ欲望カラヌケダシタ? イヤ、ヤハリ皆マデ言ウナ。この聡明タルオレ様が、オマエのシカケタ小細工ヲミヤブッテヤロウ」


 鴉の大群が飛び去った後に残っていたのは、仁王立ちしながら頭を悩ませている人……いや、鴉頭がいる。

 上半身は人間と同じ痩せ細った肌色ではあるものの、頭部と下半身は鴉と同じ真っ黒な羽毛に覆われている。全体の容姿自体は人間そのものである為、傍から見れば鴉頭の被り物をしている男性のようにも見えてしまう。

 そんな異物の足元にあるのは、幾重にも積み重なった数名程の人間の山。俺と年も近い体操服姿の生徒達が何人も、生気を失った眼を見開いて静かに横たわっていた。


「悪魔……‼」


 瞬間的に目の前の悪魔が犯した凶行を悟り、ほぼ反射的に鞘から引き抜いたナイフを水平に構える。


 これだけの人間を手に掛けたとなれば最低でもB級、しかも厄介なことにこいつは言葉を話す悪魔だ。アスモデウスと同様、何か特殊な力を持ち合わせているかもしれない。


「……お前、学園で飼育している悪魔じゃないよな?」

「何をイッテイル。コノオレが、天使や人間に飼ワレル程度ノ悪魔ダト思ウか?」


 喉の奥から絞り出した俺の質問へ、鴉頭は呆れたように答える。本来はあり得ないことだがやはり、この悪魔は紅魔学園の結界を破って敷地内に侵入したらしい。


「ドウシタ、ジッとオレノ食糧タチヲ見ツメテ。ソンナニコイツラの欲がキニナルカ?」

「な……何を、言っている?」


 死体の山を前にした緊張なんて露知らず、鴉頭は足元に転がっている生徒の死体の山をにやけながら見下している。


「復讐心カラ悪魔をコロシタガッテイタ奴、殺し屋ニナッテ金モチニナロウトシテイタ奴、S級ノ殺し屋ノヨウナ有名人ニナルコトヲ夢ミテイタ奴……ドレモアリフレタ欲バカリダッた」


 悪魔はつまらなそうに欲望を吐き捨て、その出所である死体の山へ黒色の足を乗せる。


「ダガ、オマエノ欲はオモシロイな。殺し屋デアリナガラ、情欲ノタメニ命ヲカケルトハ」

「……⁉」


 俺の心そのものを見透かしたかのような悪魔の物言いに、こんな状況下にも関わらず頬が熱く灯る。


「ソノヨウス、図星ノヨウダナ。八重樫一季、ナオサラキニイッタ」

「ま、待てお前。どうして俺の名前を……⁉」


 悪魔が俺の質問に答えることはなく、人間と同じ形をした指を俺のナイフへ差す。


「八重樫一季。コノオレ、マモン様に『不死の祝福』ヲヨコセ」

「は……?」

「……!」


 あまりに唐突な悪魔、マモンの物言いのせいで、後ろにいる薫の息を呑む音さえ聞こえてくる。


「ど……どうして、お前みたいな悪魔が『不死の祝福』を欲しがるんだ?」


 祝福とは悪魔にとっては忌むべき力。天使の力の源である聖気が武器となって形になり、それが人間の手で振るわれることにより初めて起こる奇蹟の力。そんなものを悪魔が欲しがるなんて、人間が自ら望んで毒物を飲みたがっているようなものだ。


「ナゼッテ、ソレハ……」


 マモンの答えには何故か間があったものの、暫くしてから突然何かを閃いたようなはっきりとした表情になる。


「『不死の祝福』ガ手ニハイレバ、オレハモットツエー悪魔ニナレルンダヨ!」

「……?」


 マモンの言い分はあまりにも曖昧で、聞いてるこちらの首が横に傾いてしまう。


『……一季、聞こえる?』

「……っ!」


 電流のような微弱な頭痛に続いて、語り掛けてくる薫の声が頭の中で静かに響く。普段はメモ帳に文字を記し消すだけの薫の祝福、エメラルドの指輪に込められた『思念の祝福』による能力だ。


「…………」


 とはいえ思念は薫から一方的に送られるもので、受信先である俺は親指をこっそり後ろへ立てることしか出来ない。


『さっきから周辺に念を飛ばしてるけど、やっぱり周りには私達以外誰もいないみたい。その上この辺りはコース外だから、上級生の殺し屋や教員の天使様が助けに来てくれる可能性も低い』

「……ああ」


 刺すような頭痛は一層強まっていくものの、薫の言葉を聞き逃すまいと頭の中で聞き耳を立てる。


「ドウシタ、八重樫一季? イマニモゲロヲ吐きダシソウナ顔ヲシテ」

「……ち、違う。これは」


 マモンに薫の能力を悟られるわけにはいかず、食いしばった歯で脳内を苛む痛みを噛み潰す。


『だから今は私達……いや、私がこいつを何とかする』

「……薫?」


 草の根を踏む足音が、エメラルドの指輪を伴ってすぐ横を通り過ぎていく。


「オイオンナ。俺ハイマ、八重樫一季ト取引ヲシテイる」

「……ん」

「ン? ナンだ、聞コエナイゾ? モットオオキナコエデ」




『――跪け』




「……ア?」

「あ……」


 俺にさえ届いてしまった、普段の薫ならば絶対口にすることはない命令口調。マモンは真正面からその言葉を受け止めてしまい、真っ黒な羽毛に覆われた両脚はその場で成す術なく膝をついてしまう。


「ナ、何だ、イッタイ……ドウシテオレハ、ヒザヲ……?」



『――伏せろ』



「ア……⁉」


 続いての言葉により、今度はマモンの身体が地面の上でうつ伏せに横たわる。


「カ……体ガ、言うコトヲキカナイ……? コノオレが、タカがオンナノ声ニ惑わされるナド」

『もういい。喋るな』

「ガッ……!」


 薫は強い思念をマモンへ送り続け、横たわっている鴉頭を地面の草原にめり込むまで踏み潰す。


 薫の『思念の祝福』による能力の一つ、絶対命令。人間でいう所の大脳皮質にまで届く言葉は悪魔の行動さえ制御し、その際の言葉遣いが強ければ強い程強大な効果を発揮する。


「……でも」


 しかし俺は知っている。薫が誰よりもその力を嫌っていること、そしてこの力が原因で念話ではなくメモ帳を用いて会話をするようになったことも。

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