8.
◇レイフ視点◇
視線は右へ。敷き詰められたように並べられた出店には、キラキラ玲瓏とした宝飾品。上品な貴婦人達が目を輝かせながら、井戸端会議に花を咲かせている。少し奥には、華やかなフルーツで彩ったクレープを、少女が父親へ可憐に強請っている。視線は左へ。王都を横断する大河川、ユニリス川を背後に駆け出しであろう若き画家が、学生カップルの似顔絵を真剣な表情で描いている。少し奥には楽団の演奏に合わせて、聖騎士紋章のレプリカをぶら下げた少年少女の可愛らしい、しかし俺でも分かる程に高い技術の合唱へ、老夫婦は嬉しそうに身体をゆっくり揺すっている。
「す……げぇ」
無意識に歓声が漏れる。聖花祭。盛大とは噂に聞いていたが、まさかこれほどとは。
「ふふ。レイフったら、子供みたい」
驚く俺を見上げ、君は頬を綻ばせる。するとようやく父親に買ってもらったのだろう擦れ違う女の子のクレープの甘い香りが、鼻腔を擽る。
「ライラ! クレープ! 食べよう!」
「まだお昼前よ? ふふ。貴方、さっきの女の子と一緒ね」
店前のラックへ並ぶのは、今が旬であろう色取り取りのフルーツ達。その光景に、決断し難い誘惑に駆られてしまう。
「……じゃあ俺はこのイチゴのクレープにしよう。ライラは?」
悩みに悩んだ末に選んだそれは、結局はオーソドックスの無難な味。
「私はグレープフルーツとリュバーブのジャムをお願いします」
リュバーブ? って何だ? そんな疑問を浮かべていると、君が財布を取り出したのを見て慌てて制止する。
「俺が出すよ」
「いいの?」
「初めてのデートなんだから。任せて」
「……だから、そういう事を、言葉にしないでよね」
君は気恥ずかしそうに、しかし決して怒っているわけでは無い。表情をコロコロ変える君は、どれだけ見つめていようとも、飽きることなどない。そして俺達は表通りを食べ歩きながら進む。
「リュバーブって何?」
その紅色のジャムを見つめ、疑問を呈す。
「寒い北の地方で取れる野菜ね。酸味があって美味しいわよ」
君は俺に食べ掛けのクレープを差し出す。君の桜唇に目が釣られ、色んな想像が頭を巡り、首元の内出血が再び熱を持つ。
「ふ、普通に、意識しないで食べなさいよ!」
ライラも俺の妄想を察したのか、頬を桃色に染め急かす。俺は羞恥を必死に振り払って、顔を近づける。
「酸っぱい!」
想像を絶する強い酸味が口内を駆け巡る。
「ふふ! 酸っぱいの苦手なのね! 子供なんだから」
口をシワシワに窄める俺を見て、弾むように笑う君。その顔が見られるなら、このリュバーブの海に溺れたって厭わない。
「私、貴方の知らない事、まだまだ一杯有るのね。……貴方の事、もっと知りたいわ」
君は菫色の潤んだ瞳で、俺を見上げる。
「ほら。また口元にクリームが付いてるわよ。お子ちゃまね」
そして君は俺の唇をその白い人差し指で拭い、口へ含む。……ライラは気にしないのだろうか? 俺だけがこんなに恥ずかしがっているのだろうか? 俺達は既に唇を重ねているのだから、今更なのだろうか?
「美味しいのに」
そう言って君は何事を無かったかのように、目の前のクレープへ夢中になる。何故だか無性に悔しくて、俺も何とか攻勢に出る。
「はい。ライラも」
俺はそのイチゴクレープを君へ差し出す。
「ええ! ……イチゴはいいわ」
君は気恥ずかしそうに目線を前へ。……なんだ。俺だけじゃなかったのか。自分のを食べさせるのはいいけど、食べる側になるのは恥ずかしいのか。そうやって意識してくれる事が、嬉しくて堪らない。
「ほら。お食べ。美味しいよ」
俺は少し意地悪な声で勧める。
「……うん」
すると君はその紫紺の横髪を指で押さえて、目の前のクレープに齧り付く。その情景ですら、慣れない俺には煽情的。思わず生唾を飲み込む。
「……美味しい?」
「……うん」
すると君はわざとらしく、口元へクリームを付けたまま。
「……どうかしたの?」
君は何かを察したのか、すぐさまカウンターをお見舞いする。
「な、何でも無い」
「ふふ。意気地無し」
君は勝ち誇ると、そのクリームを舌で舐めて綺麗に拭き取る。……だって、そんな事をしてしまったら歯止めが効かなくなるじゃないか。悶々とした葛藤に悩まされていると、群衆の奥から一際大きな声が響く。
「おい! ヨセフィーナだ!」
男が指差す声の彼方へ、群集は次々と雪崩のように流れ込む。
「ヨセフィーナ様!?」
君は目の色を変え、その知らない女性の名前を繰り返す。誰だ? 高名な騎士なのだろうか?
「誰?」
「知らないの!? 歌劇場の超人気女優よ! 行きましょう!」
そして君は一目散に群衆の中へ飛び込み消える。どちらかというと女性ファンの方が多いだろうか。女性人気の高い女優さんなんだろうな。しかし、そのあまりの熱狂と圧力にたじろぎ、その渦への参加は躊躇われる。ライラがこんなにも我を失うのも珍しい。……まだまだ知らないことばっかりだったんだな。今度、話を聞いてみよう。一緒に歌劇場へ観劇デートも良いかもしれない。
それにしても女優さんか。なるほど、それならこんなにも群衆が夢中なのに、俺が知らない理由も分かる。
すると、五月の暖かな突風に砂埃が舞う。咄嗟に瞑った瞼を開くと、青に華やかな花々の装飾を遇らったブリムの広い帽子がふわりふわりと風に舞い、そして俺の目の前に落ちて止まる。誰のものだろう? それを拾い上げ、優しく叩き砂埃を払う。
「ありがとう! それ私のなの!」
声を掛けられ見上げれば、上品なフリルのアフタヌーンドレスが似合う、如何にも裕福そうな綺麗な女性。二十代前半辺りだろうか? 甘ったるいパルファムの香りが鼻先を擽る。
「どうぞ。遠くまで飛ばされなくて良かったですね」
帽子を手渡すと、女性はそそくさを深く被り、その美貌を隠してしまう。
「……貴方は、行かなくていいの?」
すると女性は表情を見せないまま、かの群集を指差す。
「俺、あんまりそういうの疎くて」
少し気恥ずかしくなり頭を掻く。田舎者の俺にはそういった流行りは難しい。
「……一人?」
「いえ、連れがいるんですが逸れちゃって」
そして俺は人間の渦へ視線を送る。
「……ふーん」
すると女性は俺を下から舐め回すような目で見つめる。
「王都には来たばかり?」
「そうですね。先々月越して来たばかりです」
「お姉さんが案内してあげようか? 王都」
想定外の提案に目を丸くする。
「いえ。俺まで動くと本当に逸れそうで。ここで待ってようかと思うんです」
「あら、振られちゃった。……大切にしているのね。彼女さん?」
「はは。そんなんじゃないですよ。一方的な片思いです」
自分で言った言葉にハッとする。違う違う違う。……これは、これは片思いなんかじゃない。……魅了の魔法のせいなんだ。
未来を持たない俺にとっては、露払いとして恋人の振りをするのが関の山。
「……意外ね。可愛い顔してるのに、勿体無いわ」
女性は小首を傾げて思案する。
「貴方、名前は?」
「レイフです。レイフ・ロセイン」
「じゃあレイフ、お姉さんがアドバイスしてあげる。そこに座りましょう」
そして女性は少し先の聖花祭の人集りから離れたベンチを指差し、俺の手首を取り引っ張る。
「いえ結構です」
すると後ろからライラの声が。そして俺と女性の間に割って入り、繋がれた手を引き離す。
「もう見つかっちゃった! ふふ。またね、レイフ」
そして女性は楽しそうに手を振りながら去って行った。
「何? さっきの女」
「はは。何もないよ。帽子を拾っただけ」
「貴方の名前知ってたけど?」
「え? ……聞かれたから」
君は訝しげに、その菫色の瞳で嘘を照査する。そんな目で見つめられたって嘘ではない。
「あの女の香水の匂いがするわ」
鼻をスンスン鳴らして君は胸元へ近づく。その距離の近さに思わず心臓が高鳴るが、君は釈然としないまま。
「眼鏡掛けたら?」
実に唐突で要領を得ない提案。
「え? 何で? 邪魔じゃない?」
そんなものを掛けていたら、邪魔で剣は振るえない。
「貴方が調子に乗ってるからよ」
「いや本当に! 何も無いって」
この話題は不味い。君の好きなものの話をしよう。
「ヨセフィーナはどうだった? 握手とかしてもらえた?」
「偽物だったわ」
ライラは即答。
「偽物?」
「ええ、背格好や服のセンスは似せているものの、あの美貌とオーラは誤魔化せないわ」
「何のためにそんなことを?」
「ファン避けでしょうね。ああいう影武者を雇って隠れてるだわ。まあ、プライベートなんだから仕方無いわよね。迷惑なのは分かってるんだけど、一目、会いたかったな」
君は肩を落とし唇を尖らせ子供のように拗ねる。騎士ではない、いつもは見せない君の表情に思わず笑みが零れる。
「ヨセフィーナ、好きなんだね」
「当り前じゃない! あの美貌も、演技力も、その歌唱力も、何より気品溢れるあのオーラは全女子の憧れよ」
一転してキラキラと輝く表情へ。うん、やっぱり君は、笑顔が一番似合う。
「ライラの方が綺麗だよ」
「貴方はヨセフィーナを見た事無いでしょ!」
「でも分かるさ。君より綺麗な女性はいないよ」
これはただの事実。片思いなんか、恋心なんかによるフィルタではない。君は一瞬の沈黙。……君に嘘なんて吐かないのに。
「……バカ」
プイと顔を逸らすものの、そこに怒りは感じない。
「……私、歌がダメなの」
「? どういうこと?」
「音痴なの!」
「え! 何それ! 聞きたい!」
「うるさい!」
完璧超人に見える君でも、そんなに可愛らしい弱点があったとは。
「じゃあ今後、一緒に歌劇場へ行こ」
「まあ! デートのお誘いかしら?」
君は戯けるような身振りで俺を茶化す。
「うん」
例え意気地無しな俺だとしても、ここは臆してはならない。俺はこの魅了の魔法に為されるがまま、その菫色の瞳から目を逸らさず、見つめ返す。
「……うん。……行く」
そして君は頬を桜色に染めて視線を逸らす。本当に、ずっと見ていて飽きないな。
「ほら」
すると君は顔を紅潮させたまま、その左の掌をそっと差し出す。
「ちゃんと捕まえてて。また逸れちゃうでしょ」
俺は傅くように右手でその左手をいただく。例え恋人の振りであろうとも、例えこの感情が魔女の魔法に因るものであったとしても、俺が君を守る騎士となろう。
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