7.
◇レイフ視点◇
まだ九時十二分。
約束の時間より随分早いが、家に居ても落ち着かず結局飛び出してしまった。先日、敷居の高い紳士服店でライラが選んでくれた、オーダーメイドの春らしいダブグレーのスーツへ袖を通す。治りかけの頭部の包帯も遂に外して、彼女を待つべく噴水へ。擦れ違う人も皆、華やかに粧し込んでいる。……服装は変じゃないだろうか。その日の女店主はベタ褒めしてくれてものの、営業トークはゼロじゃないだろう。どうもスーツに着られている感が拭えないが、しかし迷っても切りが無い。生地やカラーも、何度もサンプルを合わせられ、ようやくライラが選択したこれを信じよう。もうここまで来たら腹を括るしかない。意を決して公園へ一歩踏み込む。
……すると、そこには、純白にコーラルピンクのアフタヌーンドレスを纏った君。下ろした紫紺の艶髪と、白いレースのフリルをふんだんに遇い、鍔は広く前掛かりなボンネットのコントラストは、眩しいほどに美しい。横髪は耳に掛け、揺れるダイヤのピアスは妖しく意識を吸い込む。君の後ろの噴水すらもその秀麗に慄いたのか、溢れる水滴はスローモーション。ただ水の流れる音と君だけが、この紗の掛かった世界の全てとなる。目を奪われた俺は、思わず立ち竦む。きっとこの衝動は、いや、間違い無く、……君の魅了の魔法のせい。呆然とした俺に気付いた君は、そのハイヒールをトタトタと踏み鳴らしながら駆け寄って来る。
……ああ、君がただ歩くだけで、ただそれだけで、皆が君に釘付けだよ。
「は、早かったわね」
待ってくれ。今、麗しいお姫様がその声を下賜下さっているんだ。噴水よ、今だけは黙っていてくれないか。
「ライラこそ、まだ三十分も前だよ」
「た、偶々よ!」
どんな偶然? 素直じゃない君の吐く嘘は、あまりに愛おしい。
「綺麗だね、ライラ。……本当に、綺麗だ」
俺は思わず君の左頬に右の掌をそっと添える。
「ダメよ! 場所を変えましょう。
小声でそう言いつつも、ライラは俺の添えた掌を両手で抑えて離さない。
「いやごめん! そんなつもりじゃ。……あまりに綺麗で、つい」
「……ありがと」
君は俺の右手を捕まえたまま、顔を真っ赤にして瞼を伏せる。
「レイフも、そのスーツ似合ってるわ。……………………格好良い」
振り絞るような小さな声。
「うん。ライラが選んでくれたから」
そして二人は暫しの沈黙。
「「……あのっ!」」
そして二人の声は重なる。
「どうぞ、ライラ。先に」
「ううん。レイフからがいい」
照れくさい譲り合い。
「じゃあ」
俺は呼吸を整え咳払い。逆上せた脳味噌を一旦冷やす。
「ライラ。君と早く会えるのは嬉しいけれど、あまり早すぎるのは危ないよ。ライラは美人だからまたナンパされるかもしれない。心配だから集合時間はギリギリに来て欲しい」
「えぇ!」
「それか君の家まで迎えに行くよ」
「……うん。分かった。……じゃあ次からは貴方が迎えに来て。今日の帰り、家を教えるから」
「任せて。お姫様」
そして君は弾むような笑顔を向ける。俺の十二個目の心臓は、またもや爆発四散して消え失せた。また、心臓作り直さなきゃな。
「ね、ねぇ。……なんか皆、見てるわ」
ライラの指摘に初めて、水の音と君以外が、この世界へ蘇る。見渡せば、微笑ましい表情で皆がこちらを眺めている。
「は、……恥ずかしいわ。行きましょう」
「うん」
少しの気恥ずかしさを残したまま、溢れんばかりの花飾りが舞う表通りへ、俺達は歩き出した。
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