6.

 ◇ライラ視点◇


 身体が火照る。レイフが吸い付いた首元は、灼けるようにまだ熱い。その熱の存在が証明するように、歯止めが利かなくなるくらい、レイフが私を求めてくれたことが、……何よりも嬉しい。あの後も私達はテラスで席に着いたのだけれど、私は参考書と向き合うレイフに夢中で、ページは捲ってみるものの、頭に入らず何度も何度も同じ行を繰り返し読んでしまう。

 ごめんね。その一言が言い出せない。

 私、もっと誠実で、私だけを見てくれる人と恋に落ちるんだと思ってた。まさかこの私が、自分だけは大丈夫だと思ってたのに、……こんな包容力だけのヤリチン童貞クズ野郎に引っ掛かるなんて、夢にも思ってなかったわ。

 ……ううん。違う。違うわ。

 本当は貴方が誠実な人間だって理解してるわ。だって、本当のヤリチンクズ野郎なら、『未来に責任を持てない』なんて正直に言わず、薄っぺらい愛を囁いて私を抱こうとするはずだもの。

 でも、貴方は私の事を本当に大切にしてくれるから、犯罪者に成ろうとしている自分が許せなくて、だから葛藤をしてるのね。そんな事、本当は理解しているわ。女子高出身だからって舐めないでね。男の生態なんて、ママからいっぱい教わったのよ。

 それでも私は、貴方の口からの『愛してる』が欲しくて、ただそれだけが欲しくて、つい意地悪を言ってしまう。試すような真似をしてしまう。……自分からは与えないくせにね。

 私、嫌な女よね。分かっているのに、……ごめんなさいの一言を言えないでいる。

 そして時間だけが通りすぎて、吹き抜ける風が段々と熱を失う頃に、私達は庁舎を後にしようとしていた。私は並んで歩くだけで何故か気恥ずかしくなっちゃって、本当は貴方といっぱいお喋りがしたいのに、言葉を発せられずに、ただ何よりも愛おしい貴方の隣を無言で歩く。それでもその沈黙でさえも、私には大切な、幸せな時間。

 すると、茜色に染まる正門へと続く大広間で、また別の男が私の名を呼ぶ。

「やあ、ライラ君」

 真っ黒な文字で覆われた顔は、いつ見ても吐き気を催す。誰が誰なのかは分からないけど、唯一確認できたのは、わざとらしくぶら下げた私達と同じ二つ星の騎士紋章。

 折角の幸せな時間が、……台無しね。

 無視する私に構わず、男は続ける。

「ライラ君。主幹騎士への昇格、おめでとう」

 おめでとう。その言葉すら醜悪な文字となって吐き出される。

 ……そう。こんな小娘が同格に昇進したのが気に食わないのね。私はその男との間にレイフが挟まるように移動する。すると男はそれを追いかけるように回り込む。

「君をお祝いしたい。どうだろう? これから夕食でも? 美味しいフルコースのお店を知ってるんだ」

 お祝いしたい。これも嘘。こういう時、本当はレイフに、……貴方に守って欲しい。

 でも貴方は自分に資格が無いと思い込んでいるから、干渉はしてこない。本当は独占欲が強いくせに、貴方はいつも我慢ばかり。その我慢が、私には物凄く寂しいの。貴方は気付いていないのでしょうけど。

 その瞬間。

「ライラは俺の女だ。気安く話しかけるな」

 貴方は私の肩を掴んで強引に引き寄せる。気付けば私は貴方の胸の中。その抱き締める手は少し痛い。……でも、その痛みが、私には堪らなく嬉しい。濃厚なレイフの匂い。私は無我夢中で、クラクラと酔っ払いそうになるその香りを堪能する。お酒にだって酔った事はないのに。

 ……え? 今、『俺の女』って言ったわよね? 私の願望が創り出した空耳かしら。

「君の女? 君達はただのバディだろ?」

 男の表情は分からないけれど、きっとレイフを睨み付けているのでしょう。

「違う。俺のだ。これ以上を望むなら、殺し合いで決めるしかない」

 そして貴方は強欲に私を離さぬまま、右の革手袋を歯で掴んで外して脅す。

 『俺の』って!

 今絶対言ったわよね!?

 ただそれだけで、私の脳は幸せホルモンをドバドバと分泌する。

「私達! 付き合ってるんです!」

 気付けば私は、大広間の衆人環視の中、抱き締める貴方の腕の中で、有りもしない嘘を吐く。……私がもう一人いたのなら、今の私は、真っ黒に映るのでしょうね。

「わ、分かったよ。別に決闘がしたい訳じゃない」

 そして男は皮手袋を投げられる前に、すごすごと帰って行った。

 当然。

 剣戟主席、つまり祝福者を含めた同期の一万の頂点であるレイフの強さは、中央騎士団の皆が知っている。命を落としても文句は言えない決闘を進んで受け入れる人間はいない。

 そして決闘を申し込まれ逃げ出すことは、騎士にとっては最大の汚名。今の内に逃げ出すのが吉ね。

 すると貴方は私を胸の中から解放して、無言のまま少し先に正門まで歩き出す。私も慌てて追いついて隣を歩くけれど、見上げた貴方のその顔は、夕暮れに沈む王都の中でもはっきりと分かる程、耳まで真っ赤に染まっている。

 嬉しい。

 ……好きよ、レイフ。

 大好き。

 この世界の何よりも、貴方を愛しているわ。

 そして私達は並んで正門を潜り、ポツポツと電灯が点り始める外へ。夕暮れに伸びた私達の影だけが、素直にその手を繋いでいる。

「ごめん。勝手な事言っちゃって。……フルコース、行きたかったよね?」

 貴方は有りっ丈の自己嫌悪を浮かべて俯く。

 バカね。そんな訳無いじゃない。どんな豪華なディナーだって、あんなのと一緒じゃただの拷問よ。私は、貴方と一緒に居たいのよ。

「ふふ。そうね。今度、貴方がちゃんと埋め合わせてね?」

 ううん。違うの。守ってくれたのが……嬉しい。嬉しいの。ただ貴方と一緒に行きたいだけなのに。心の底から溢れる想いは、恥ずかしがり屋な喉元を通ってしまうと、無意味な駆け引きに変換されてしまう。

「分かった。今度一緒に行こう」

 言ったわね? ちゃんと、言質、取ったから。後で書面に血判を要求するわ。文面はそうね、『最低でも週に二回は私、ライラ・レーヴェンアドレールと静かなお店でデートします』なんてどうかしら? 『帰り道は常に恋人繋ぎでエスコートします』って付け加えるのも良いわね。

「それとライラ! 付き合ってるってどういう事!?」

 ふと我に返ったのか、周りに聞かれぬように、貴方は小声で確認する。

「だって私って、貴方の女なんでしょう? さっきの男にもマテウスにも、貴方言ってたじゃない。独占欲が強くてホント困るわ」

 その独占欲が堪らなく嬉しいのに、結局私の口から零れるのは、いつにも増した憎まれ口。……私って本当に可愛くない。

「良い機会だわ。しょうもない男共には辟易してたのよ。これで変なのは寄ってこないでしょ」

 今、私も好きって言えば良いのに。どうして私って見栄っ張りなのかしら。

「え……。でも」

「いいじゃない。私達、バディでしょ? なら助けなさいよ。……恋人の振りで良いのよ」

 嫌!

 振りなんて嫌。

 なのに私は無駄な予防線を張る。ただ自分が傷付かないために。

 だって私、貴方からちゃんと言葉を貰ってない。

 その一言があれば、きっと……多分…………おそらく、私も素直になれるはずのに。

「別にこれは振りだから、だから、貴方に好きな人が出来たなら、……別に良いわよ」

「……うん。分かった」

 嫌!

 貴方が誰かと恋人なんかになったなら、私、絶対その女を殺しちゃう。

「あーあ。童貞君が恋人の振りなんて。本当はもっと経験値豊富なジェントルマンが良かったわ。貴方は女の家に泊まっても手を出せない意気地無し君だんもんね」

「はは。そうだね。……うん。君の名誉を傷付けないためにも、今度は童貞捨ててみようかな」

 嫌!

 貴方が私以外の女で童貞を捨てたら、貴方のを鋏で切断するわ。

「なんて、俺じゃ無理か」

 そういって自嘲気味に笑うレイフ。貴方って、意外と自己評価が低いわよね。それもいずれ犯罪者に成ってしまうという罪悪感から来るのかしら。

 ……でもね、教えてあげない。私って嫌な女だから。

 レイフ。

 これはね、宣戦布告なの。

 あの大広間での叫びはよ。これは多分同期の耳にも入るでしょう。そうすればあのメンヘラバカ女だって、貴方をチラチラ見てる鳩の先輩達だって流石に諦めるはず。レイフのナイフも今度返してもらわなくちゃ。私は性格が可愛くないから、真っ直ぐに好きって言わないで、外堀を埋めてくタイプなのね。

 今、初めて知ったわ。

 自身のこんな嫌な一面、知りたくなかったな。

 あーあ。

 貴方の所為よ、レイフ。

 そして街は明日の聖花祭に向けて、色取り取りの花々で飾られ、行き交う人々も皆、溢れんばかりの笑顔に満ちている。

「レイフ。明日の勉強はお休みよ。聖花祭に行きましょう。私が王都を案内してあげるわ」

「え! ……デート?」

 貴方は直ぐに口に出す。そんな恥ずかしい確認、しないでよね。

「……うん」

 ようやく私は、心の片隅に眠っていた素直さを、精一杯に引き上げる。たった二文字だけだけど、あまりの羞恥に顔は上げられない。こんなフニャフニャと緩んだ不名誉な顔、絶対に見られたくない。

「明日、十時にリノアリア公園の噴水前に集合ね」

 私はそう言い切ると、レイフの確認を得ないまま、自宅に向かって走り出した。

 ……どうしよう。男の子との初めてのデート。服は何を着ればいいのかしら。すぐにアンネに相談しなくっちゃ。私もそろそろ、ママのドレスを着られるかな?

 見慣れたいつもの帰り道は、その泥で濁った水溜まりでさえも、キラキラ光って愛しく、輝いて見えた。

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