9.

 ◇レイフ視点◇


 手汗が凄い。その繋いだ右の掌からは自分でも意識せざるを得ない程に大量の手汗。君にはバレてしまっているのだろうな。その緊張と恥ずかしさから手を離したい自分と、しかしこの手を二度と離したくはないという強欲な自分、相反する二つの自分が心の中ではせめぎ合い、脳味噌の重量がどんどんと重みを増してゆく。

「少し寄り道しても良い?」

 カチコチとぎこちなく空中を息継ぎする俺に、君は何ともないような表情で見上げる。

「寄り道? 良いよ。どこ?」

「こっち」

 すると君は花々の装飾鮮やかな大通りを外れ、郊外の奥の奥、路地裏の入口へ辿り着く。そこには何時の間にか俺の日常に溶け込んでしまった孤児の姿。

「モルテン」

 そのライラの問い掛けに、その俯いていた孤児達は顔を上げる。すると君は鞄から綺麗な包装の贈り物を幾つも取り出し、彼等はそれを当り前のように受け取る。

「いつもありがとう。お姉ちゃん」

 そしてそのリーダー、おそらくモルテンであろう男の子はお礼を言う。

「売る時は?」

「「相見積もりを取ってから!」」

 孤児達は朗らかに声を揃える。

「良い子ね」

 すると君は孤児達へ手を振り、俺の手を引くと、大通りの方向へ戻って行く。

「今のは?」

「プロポーズされたの」

 ドクン、と鼓動が脈打つ。いつか終わりの来るこの関係。当然分かってはいるものの、そのリアリティがどんどんと鮮明に輪郭を形作ってゆく。

「……誰に?」

「さあ? もう誰が誰だか忘れちゃった」

 ……そりゃ、君ならそうか。沢山のアプローチ、有って当然。

「折角のプレゼントを上げちゃっていいのか?」

「だって気持ち悪いじゃない。何とも思っていない男の贈り物なんて、借りを作るのも怖いし、本来ならその場で返却したいわ。でもどうせ捨てるくらいなら、あの子達に上げた方が良いでしょう」

「売ったらそこそこの金額になるんじゃないのか?」

「家名の復興は私自身の力で成し遂げるの。男共の施しなんてお断りよ」

 その声に乗るのは力強い意志。

「そうか。やっぱり君はすごいな」

「ううん。本当に助ける気があるのなら、孤児院でも何でも開けはいいんだわ。でもそこまではしない。私のやってることは唯の偽善よ」

「そんなことないさ。誰にでも出来る事じゃ無い」

 プレゼント、か。……俺も、君に何かを贈ってみたい。でも、そんな資格は無いよな。俺は、……責任が持てない。遣る瀬無い気持ちのまま、出店の並ぶ大通りへ戻ると、ふと、婦人向けの帽子屋さんの前を通りがかる。陳列された商品へ何となく目を向けると、一つの白いヘアコームへ意識は吸い込まれる。

「どうしたの?」

 不意に立ち止まる俺へ、君は小首を傾げる。その綺麗な顔の動きに合わせて、靡く紫紺の髪へ目が行く。そういえば、任務の時に君が髪を纏める髪留めは黒く、その紫紺とのコントラストを損していた印象だ。

「すいません」

「いらっしゃい」

 出店の女店主は物腰柔らかい笑顔で迎えてくれる。隣の君は頭にクエスチョンを浮かべたまま。

「その……これ、下さい」

「はいよ。一二〇〇〇ヒルドルね」

 仕送り以外で、初めての報奨金の使い道。……うん。喜んでくれるといいな。そして君へヘリオトロープの造形を遇った、純白のヘアコームをプレゼント。

「え! ……いいの?」

「うん。受け取ってほしい」

「さっきのは、別に催促するつもりじゃなかったのに」

 君は気恥ずかしそうに自身の人差し指同士をツンツンとくっ付ける。

 ……あ、今更、買ってから気づく。そういえば、君は男からのプレゼントなんか気持ち悪いって言っていたばかりじゃないか。君の気持ちを考えないで、他の男達の対抗心だけに目が行ってしまった。……我ながら、情けない。

「ってライラはこういうの受け取らないか。他の人のも上げてたもんね」

「いらないなんて言ってないでしょ!」

 俺がそのヘアコームを取り下げようとすると、君は強引に手に取る。そして前掛かりなボンネットとは対象的に少し寂しげな後ろ髪をハーフアップに纏め上げ、ヘアコームを差し込み背を向ける。

「どう?」

 半分だけ振り向くと、君は恥ずかしそうに確認する。

「すごく似合ってるよ。綺麗だ」

「……うん」

 君は再び背を向け、問い掛ける。

「ヘリオトロープがどういう意味か知ってるの?」

「? ごめん、分かんないや」

 すると君はゆっくり振り向き、飛び切りの笑顔を贈って下さる。

「やっぱりね。ふふ。ありがとう。大切にするわ」

 その屈託の無い笑顔は何度でも、俺の心臓へ痺れるような電撃を。心拍は停止し、俺は息絶える。

 すると君は、全身から抵抗力を失った俺の右腕を掴み強引に裏路地へ。意識不明重体の俺はその意図を読めず為されるがまま。

 そして日の当たらぬ、物音一つしない路地奥の影へ辿り着くと、君は押し付けるように俺の唇を奪う。

 溢れるのは蒼白い光と緩やかな風、そして魔女文字ルーン

「ふふ。お礼よ」

「誰かに見られたら――」

「仕方無いじゃない。我慢出来なかったんだもの」

 上気する君の頬を見れば、『もしかしてライラは俺の事を……』なんて烏滸がましい妄想と二十八回目の再会を果たす。何度払いのけても途切れないしぶとい傲慢。

 しかし、ふと妙案を思いつく。

 毎日プレゼントをすれば、毎日キスをしてもらえるのではないだろうか。毎秒プレゼントすれば、君を独占出来るのではないだろうか。

 ……なんて。阿保だ、俺は。

 そんな自身に辟易すれば、二人を包むのは楽しそうな楽団の音色。聖花祭のメイン。パレードが始まるようだ。

「行きましょう!」

 君は朗らかな笑顔とその繋いだ左手で、何とか蘇った俺を引く。

「うん」

 そして大通りの中央を闊歩するのは見事なトゥッティを奏でる楽団。俺達はライラの背でも群衆の垣根の上から見渡せるよう、少し段差の上がった階段の脇に並ぶ。煌びやかなカーマインの衣装を見に纏ったオーケストラはトロンボーンをスイングし、打楽器のスティックをクルクルと回転させながら、両脇の観衆を湧き上がらせる。その度に左で君も両手を上げて歓声を上げる。音楽の機微は分からないが、音色に揺れる君の笑顔に誘われて、俺の口元も思わず綻び、群衆に釣られて手拍子する。

 すると、パレードの列の奥から白を基調に真紅の差し色の騎士装束。鷲の騎士隊だ。抜き身の剣を天へ掲げて、群衆へ手を振りながらこちらへ行進してくる。怪我を負ってない人間だけを表に出しているようだ。……そして列の中央には屋根の無い開放的な馬車に乗り込み、優美な騎士装束を纏った騎士団長。同席するのはその妻と幸せそうな笑顔を浮かべ、こちらへ手を振る息子夫婦と三人の幼い孫達。妻は彼が二十五の歳で娶った当時の第四王女。つまりグスタフと現国王は義理の兄弟となる。当時は政略結婚と揶揄されたようだが、今や理想の鴛鴦夫婦と名は高い。

 ……眩暈がする。俺の殺すべき、家族の仇。それがあんなにも幸福を撒き散らしながら、生き長らえている事実に吐き気がする。……俺がグスタフを殺したら、花のように笑うあの子達は、悲しみに暮れるのだろうか。……あの子達も俺を殺しに、復讐に来るのだろうか。それは、なんというか、……切りが無いな。しかし俺の憎悪とは裏腹に、大通りの両端に並ぶ群衆の歓声は一層に盛り上がる。英雄グスタフ。紛う事無き民衆のヒーロー。彼を罵倒するものがいれば、爪弾きとされるのが不文律だ。まあ、彼の功績を鑑みれば、不自然な話では無い。

「……レイフ? 大丈夫?」

 ライラは過呼吸する俺を心配する目で見上げる。握る左手にギュっと力が込もる。

「……ごめん。大丈夫だよ。……ごめんね」

 俺が憎しみに歪んだ顔を見せてしまったら、折角のデートが台無しだ。それでも君は、俺の手を引き群衆の列から引き剥がす。

「気を遣わないで。そんなの寂しいわ」

 そう言って君は俺を気遣う。君こそ、この楽団の音色を、もう少し聴いていたかっただろうに。

「ごめんね」

「何よ! 謝る必要なんて無いわ!」

 唇を尖らせて文句を付ける君も、今ここで抱き締めてしまいたいほどに愛おしい。

「こっちから抜けましょう。私、そろそろお腹が空いちゃった! 今ならお店も空いてるわ!」

 そう言って溢れんばかりの笑顔を見せる。あの炎の日に失った幸せの形を、君はもう一度、俺に教えてくれた。

 そして住宅が犇めき合う、しかし丁度日の差す裏路地を、俺達は手を繋いだまま通り抜ける。ここら辺なら大通りから近く治安もそこまで悪くないだろうが、君の笑顔を崩さぬよう警戒しながら辺りを見渡す。

「か、返してよぉ〜」

 突然の助けを求める悲痛な声。誰かが盗賊に襲われている。しかし今はライラがいる。厄介事には関わりたくない。逡巡する俺を見て、君は俺を叱咤する。

「行きたいんでしょ? 私に気を使わないで。ね?」

 君の穏やかな声に俺は意を決し、繋いだ手を離して音の発生源へ急ぐ。

「そこまでだ!」

 するとそこには孤児の窃盗集団に、身包みを剥がされ肌着となった身窄らしく、分厚い眼鏡の男が少年の脚にしがみ付いていた。

「離せ! 大人が泣くんじゃねぇ!」

 周りの少年達もその光景を見て笑っている。もう少し大人の盗賊に囲まれてるのかと思いきや、そこには年端もいかない少年少女。何とも和やかな、拍子抜けの泥棒劇が繰り広げられていた。これなら放置してライラとのデートを続けるべきだったか。……いやしかし、人の物を奪ってはいけない。彼は紛れも無い被害者なのだ。

「こら。服、返してあげなさい」

 俺は窃盗集団のリーダー思しき少年へ声を掛ける。

「何だお前!? 殺されたいのか!?」

 少年は手に持ったナイフで威嚇する。しかし、その刃には殺意は感じない。

 ……ああ、そうか。ベンノが言っていた事はこれだったのか。確かにこれでは、意味が無いな。ベンノの目には俺達はこんな風に映っていたのか。あの老人の言及というものは、やはり馬鹿に出来ない。俺は情けなくなり嘆息し、ジャケットの内ポケットから騎士紋章を取り出す。それを見るや否や少年達はぎょっと慄く。

「ちゃんと返せば見逃してやるから。ね?」

 俺は屈んで少年と目線を合わせて諭す。

「う、うるせぇ」

 少年はそのナイフを俺の目の前に突き付ける。しかしその握る手は、ブルブルと震えて定まらない。そうか、君は相手が格上であろうとも逃げ出さない、勇気ある人間なんだな。もし、孤児でなければ、生まれる環境が異なれば、模範と成るべき良き騎士と成れたかもしれない。俺はそっと、その震えるナイフの背を掴み、奪い取る。

「窃盗は犯罪だ。……ごめんね」

 すると少年は諦観を帯びた表情を見せ、そして俯く。

「今、……俺達の仲間が病気なんだ。薬を飲まなきゃ、金がなきゃ、……死んじゃう」

 そして少年は涙目に。周りの仲間達は迷いながらも、俺に怯えながらも、それでも少年の手を引き逃がそうとする。良い仲間がいるんだな。

「嫌だ! ユリアが死ぬなんて嫌だ!」

 少年が遂に泣き出すのと同時に、俺は目を見開く。……ユリア。妹と同じ名前。俺が助ける事の出来なかった宝物。あの日の、貝殻のネックレスを握り千切れた腕が、脳裏へフラッシュバックする。俺は胃から迫り上がる不快感を必死に飲み込む。

「いくらだ?」

「え?」

「薬代。いくらだ?」

「……五万ヒルドル」

 破格の値段だ。何の薬かは知らないが、それでも命に値段は付けられない。

「ほら。これでユリアを助けてやれ」

 俺は勇気ある少年が怯えないように、努めて笑顔で七万ヒルドルの紙幣を手渡す。

「……いいの? ……なんで?」

 少年の涙はようやく止まる。少年は恐る恐る、俺の手から紙幣を受け取る。

「うん」

 お金の使い道なんて思い浮かばない俺には、これ以上の意義は見出せない。

「あ、ありがとう! ならこんなバッチイ服なんて要らない! バイバイ!」

 すると少年少女の窃盗団は一目散に去って行った。……助かると良いな。……ユリア。

「今のは嘘よ。病気の仲間なんていないわ」

 背後から突き刺すのは、ライラの冷静な声と溜息。

「え!? ……マジ?」

「ええ。そんなの文字が見えなくたって分かるわ。貴方って本当、騙されやすいわよね」

 それでも君は嬉しそうに頬を綻ばせる。俺は恥ずかしくなり頭を搔く。

「あ、ありがとぉ〜!」

 取り返した衣類を着込んだ眼鏡の男は、今度は俺の脚にしがみ付く。

「離せ」

 俺はしがみ付く男を振り払う。

「いやー。助かったよ。ごめんねー。お金まで取られちゃって」

 その男は転がり尻餅をついたまま、飄々と大笑い。人の金だと思いやがって。しかし何というか、人から好かれやすい、人徳のある人間なのだろうというのは、その溢れ出す幸せオーラから理解した。

「いいさ。騎士の仕事だよ」

 俺は肩を竦める。すると眼鏡の男は肩口で揃えられた向日葵色の長髪をサラサラと流しながら急に立ち上がり、服装を正す。……大きいな。俺より背の大きい男はあまり見ない。グスタフとこの男ぐらいだろうか?

「でも、中央騎士団には、市民の護衛は役割として課されていないでしょ? それは近衛騎士団の役務所掌だ」

 突然の低く落ち着いた声に少し驚く。

 この男の話は尤もだ。当然、所属する貴族共は働かないだろうが、外門の内側でさえあれば鶸の騎士隊が任務に当たる。

 鶸の騎士隊とは近衛騎士団の下部組織であり、地方騎士団から実績を挙げて凱旋した叩き上げで構成されたエリート部隊だ。

 しかし彼等も中央騎士団への謎の敵対心を有しており、あまり交流は無い。まあ自分達のトップが中央からの出向者なのだから、分からなくも無いが。

「……? 詳しいな?」

 市民にその騎士がどこに帰属しているかなんて分かるものだろうか? 俺すら分かってないのに?

「しかもその二つ星は主幹騎士の証。見たところまだ十代のようだけど?」

 さっき少年盗賊団に一瞬だけ見せただけで。……意外と抜け目が無い。

「……ああ。これは、何というか、運が良くて――」

「違う」

 男は遮る。穏やかに緩んだ顔のまま、その声にだけ温度が無い。

「騎士の階級は絶対だ。運だけでのし上がる事は有り得ない。それは意図的な単騎出撃による戦果の独占に因るものだ」

 言葉の端々には突き刺すような鋭い棘が。……何だ? 何かがおかしい。……だが敵意は感じない。その飄々と星回りの良さそうな笑顔は、人間の警戒心を解いてしまう。

「……君の名前は?」

 男はボコボコに歪んだ眼鏡の位置を修正し、俺に尋ねる。

「レイフ」

「僕はコニー。考古学者をやっているんだ。ありがとう、レイフ。助かったよ」

 男は俺の両手を無理矢理掴むとブンブンと縦に振り回すように握手する。

「役務では無い。一ヒルドルにもならないはずなのに、君はその善意と信念だけで僕を助けてくれたんだね」

 大袈裟に両手を広げて、男は驚いて見せる。

「君は本物の、御伽の世界に出てくるような、誇るべき騎士だ」

 何だか無性に恥ずかしい。……俺の騎士と成った目的が復讐とは、よもや思わないだろうな。

「またね! レイフ」

 そして男は踵を返すと、こちらへ手を振りながら去って行った。

「それじゃあランチにしましょうか? お人好しの騎士さん?」

 君は意地悪な、しかし花のような笑顔で、再び俺の手を引く。俺が家族から受け継いだ、こんな春のような心を取り戻せたのは、人の幸せを願う、君が傍にいてくれるから。

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