第13話 ひとりぼっち
「――!」
はっと気づいたときには、エデルは泥にまみれて山肌に寝転がっていた。
たぶん意識を飛ばしていた。
どれくらい時間が経っただろう。いや、それよりもここはどこだろう。跳ねるように身を起こすと、頭がズキズキと痛んだ。どこかにぶつけたらしい。
ちかちかと明滅する目をぐりぐりと押しやって、次第に暗闇に慣れてきた目を凝らす。それでもだいぶ滑落したようで周囲の木々が濃くなっている。意識を失う前よりなお闇が深かった。
まだ夜は明けていない。そう長い時間は経っていないはずだ。
けれども喧騒が聞こえない。あるのは虫の音と、風にざわめく枝葉のこすれる音くらいだった。
「ルーシャス」
呼びかけに応えはない。
「ナイジャー?」
思いの外遠くまで滑り落ちたのかもしれない。急いで戻らないと、ルーシャスたちがエデルを探せない。
「あ、いっ――ッ!」
焦って立ち上がろうとして、突き抜ける痛みにうずくまった。
右足が痛い。滑落したときに足を捻ったのだろうか。
足首を抱えてみると、ほんのりと熱を持っている気がする。あたりが暗くてろくに患部を確認することもできなかった。
エデルはうずくまったまま、そうっと足首を押さえたり伸ばしたりしてみる。
まったく動かせないということはない。だったら骨は折れていないだろう。だが曲げるのも伸ばすのも、一定以上に力を入れると息を呑むほどの痛みが走った。
それでも、這ってでも街道に戻らなくてはならない。
ルーシャスが言っていた。エデルには魔力が効かないと。以前、養父も同じことを言っていたのだ。
エデルには魔力探知や身体強化、治癒魔法など、他者に施してもらう魔法は一切効かない、と。
特に治癒魔法が使えないのは致命的だ。エデルの住んでいた僻地の寒村でさえ、医療は魔法で行われる。それができないとなると、あとはもう非魔法での治療に頼るしかない。魔力が未発達だった太古の昔からある、効き目も定かではない民間療法などだ。
足の怪我も、一度こうなってしまったら二週間ほどはまともに走れもしないだろう。治癒魔法が使えたら、この程度は一日もあれば完治するだろうに。
考えてからエデルは首を振る。今は己の無能さや面倒な体質を嘆いている場合ではない。今すべきことは、一刻も早くルーシャスたちのもとに戻る――否、彼の指定した街道に戻ることだ。
暗闇に慣れた目で斜面の上のほうを見やる。
どこを辿ってもエデルの力では登れそうな斜面はなく、ほとんど崖と言うべき有り様だ。エデルが座り込んでいる場所は歩ける程度の緩やかな坂だが、左右に十歩ほども歩けば、そこから先はまた岩肌や木の根がむき出す急斜面が続く。
登れもしない、降りられもしないのであれば、ここでルーシャスたちが見つけてくれるのを待つしかないだろうか。
――でも、どうやって?
彼は魔力探知ができないから遠くには行くなと言ったのに。
それに、助けてくれるかどうか、彼らが味方であるかどうか保証もない。
ルーシャスを疑いたくはない。彼らはいい人だ。
食事を分け与えてくれた。何も言い出せなかったエデルに、彼らのほうから助けを求めろとさえ言ってくれた。
けれど、信じようと思うとどうしても村長の顔が脳裏をちらつく。
――村長だってやさしかった。わたしに親切にしてくれた。あの村で、おとうさんがいなくなって、信頼できるのは村長だけだって……。そのくらい、頼みにしてたんだ。
村長は村の人のようにエデルを敬遠しなかった。エデルの今後を心配して、職をくれて、衣食住を整えてくれた。養父と仲が良かった。そんな人でもエデルを売ったのだ。
今、誰なら信用して良いのか、どんな人は親切でも信用してはいけないのか、にわかにわからなくなっていた。
たとえ誰かに裏切られても、ひとりでなんとかしなきゃいけない。
――だってもう、おとうさんはいないんだ。
エデルはひとりになったのだ。死んだ人は帰ってきたりしない。
これからずっと養父はいないのだから、どんなことがあってもひとりで乗り切れるようにならなくてはいけない。
最初はそのつもりだった。けれど、村長やルーシャスたちに手を差し伸べられて楽なほうに流されようとしていた。
エデルは痛みをぐっと堪えて立ち上がった。
ここで膝が崩れたら、心まで一緒に折れてもう立ち直れなくなってしまう気がした。
奥歯が砕けそうになるほど食いしばり、痛みなど感じていないふりをして引きずる。
こんな森の中にいては、早々
もしくは追っ手がやってきて見つかるか。
そのどちらも嫌だ。
痛みに麻痺してきた足を引きずって、物陰らしき場所を探し出す。
――逃げなきゃ。逃げなきゃ。
ここではないところへ。どこか、隠れられるところへ。
必死に考えていたが、ふと魔が差す。
――そんなに必死に逃げて、そのあとどうしたいの?
脳裏に浮かんでしまった疑問に、これまでの仕打ちが蘇る。
信じていた人に騙されて売られ、その上獣に襲われて命からがら逃げ延びた。しかし逃げた先で、また得体の知れない人に命を狙われている。
――こんなこと、いつまで続ければ良い? どうしてわたしがこんな目に遭うの? ……ここで死んでしまったほうが楽じゃない?
「…………」
足が止まる。
脳裏にさあっと黒い靄がかかり始めた。
ここで終わらせてしまえば良いのではないか、と自暴自棄な誘惑が急速に思考を覆い尽くす。
「……そんなのは嫌」
しかしエデルは敢えて口に出して、薄暗い感情を振り切った。
死ぬのは嫌だ。この先死ぬよりつらい目に遭うかもしれなくても、今、死ぬのは嫌だと自分は考えている。
だからこんなに必死になっているのだ。
バチッと両手で頬を叩く。
――しっかりしろ。この先のことを考えるのはあと。今やるべきことだけやればいい。
エデルは歯を食いしばり、ふたたび足を引きずって斜面伝いに歩き出した。
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