第14話 フロウの巣穴

 よろよろと歩き出していくらもしないうちに、山肌にぽっかりと穴が現れた。

 エデルの二倍ほどの背丈はある、洞窟の入口のような穴だ。しかしそれにしては入口が隠されている。

 草木が自然と生い茂って入口を塞いでしまったというよりは、明らかに、何らかの生き物が隠す目的で枝や石を積んでいた。

 だが、生き物の出入りがあるためか、エデルひとりなら屈まなくても通れるほどの隙間が空いている。

 ――ここが何なのか、エデルは知っている。

 獣魔じゅうまの巣穴だ。

 それも、かなり大きいのが棲家にしているはずである。

「――――」

 そのとき、確かに遠くで何かの声を聞いた。

 ごくごく遠くで狼が遠吠えしているくらいなら良かったが、残念なことに人の話し声であるように思える。

 ルーシャスたちかもしれない。けれど、違うかもしれない。

 咄嗟に助けを求めようと口を開いて、寸前で息を呑む。

 相手が誰だかもわからないうちからこちらの居場所を知らせるのは悪手だ。

 エデルは視線を戻し、獣魔の巣穴を見つめる。

 こんな真夜中だ。おそらくこの中には巣穴の主がいる。だが、背後から次第に足音も聞こえてきた。

 ――追っ手が来る。

 獣魔の餌になるか、ふたたび連れ戻されて今度こそ奴隷として売られるか。

 考えたのは一瞬。

 エデルは迷いなく巣穴へと飛び込んだ。

 穴は奥に向かってやや下降気味になっているが、入口が狭いだけで横幅も天井も比較的広い。ゆっくり一歩ずつ、中で休んでいるはずの獣魔を刺激しないように進んでみるものの、どうしても右足が言うことを聞かない。よろけて引きずるので、そのたびに巣穴の中に大きな音を響かせた。

 これほど大きな獣魔がいるとしたら、エデルの中に思い浮かぶのは数種類だ。そのうち、このギレニア山脈で山肌に穴を掘って巣を作る獣魔を特定するならば、おそらく一種類しかいなかった。

 たぶん、穴は広く大きいが、複雑な構造になっているわけではない。とすると、さほど深くない、近い場所に巣穴の主がいるはずだった。

 深入りは禁物だ。

 うっかり獣魔と鉢合わせたらそれこそ追っ手から逃げてきた意味がなくなる。

 エデルは入口から十数歩進んだところで、爪で削り取っておうとつの激しくなった壁の隙間に身をひそめることにした。

 追っ手が人間ならば、こんな明らかな獣魔の巣穴に近づこうとはしないだろう。彼らがいなくなるまでの間、棲家を少し貸してほしいだけ。

 エデルは祈るような気持ちで何事もなく過ぎ去るのを待った。

 しかし、そういうときに限ってことはうまく運んでくれないものなのだ。

 身をひそめてどれくらい経った頃か、巣穴の中であるというのに人の気配がし始めたのである。

 かすかな話し声と、複数の足音。

 どんどん近づいてくる。

「なんだここは」

「獣魔の巣穴だろう。――運が良いな。アレを仕掛けるか」

「おい、深入りするな。それよりガキを探すのが先じゃないのか」

 エデルは咄嗟に両手で自分の口を覆った。

 探されている。

「なに、仕掛けてからでも遅くはないだろう」

 自身の呼吸さえ聞こえてしまうのではないかと思うほどの緊張感だった。

 男が数人、近づいてくる。

 ルーシャスでもナイジャーでもない。おそらくは襲ってきた人たちだ。

 ぎゅっと身を小さくして息を殺す。

 こんな狭い場所で見つかったら終わりだ。男たちに捕まるか、巣穴の獣魔に殺されるかの二択になる。

 一歩ずつ足音が近づいてくる。もうあと三歩、二歩――。

 エデルは足元の石を拾い、一か八かで思い切り投げた。巣穴の奥のほう、なるべく、潜んでいるであろう獣魔を狙って。

 小石が地面を跳ねる甲高い音が洞穴中に反響する。

「なんだ⁉」

「だから深入りするなと言ったんだ。どう考えてもでかいのの巣穴だろう!」

 男たちが一斉に武器を構える。エデルはすぐにでも逃げ出したくなる気持ちを堪えてぐっと堪えた。

 養父の仕事を手伝っていた頃には、こんな獣魔の巣穴はあちこちにあった。だからエデルはここが何の巣穴なのか、だいたいの見当がついている。

 養父自身にもたくさん教えてもらった。巣穴の形から、巣穴に刻まれた爪痕から、巣穴近くに残された糞や抜け毛から、そこに住んでいる獣魔の種類を判別する方法。種類から対処法。

 エデルは巣穴に入ったとき、入口に身長よりも高い位置につけられた三本の爪痕を見逃さなかった。

 ――この巣穴の主は、フロウである。フロウとは小山のように大きな狼型の獣魔だ。

 彼らは昼行性で、夜間は巣穴にいる。群れはメスをトップとして、数頭のオスと、ときどき他種の獣魔の幼体を引き連れているのが特徴だ。

 フロウは母性本能が強く、群れのリーダーたるメスに従順で忠実な個体なら他種族でも仲間にする。特に幼体のうちに親をなくしてひとりでは生きていけない個体は、フロウに拾われるケースも多いのだ。

 しかしそうしてフロウに育てられた他種族の幼体が、一度でも仲間やリーダーのメスに牙を剥いたら話は変わってくる。

 フロウは敵となる者なら人も獣魔も問わず地の果てまで追い回してでも確実に殺すのだ。そのくらい気性は荒い。特に、子育て中の群れならなおのこと。

 小石に代わり、今度は唸り声が聞こえてくる。地響きのような不気味な音だ。 

 そうして、穴の奥のほう、暗闇の中からのそりと巨大な影が現れたのだった。

「フ、フロウだ!」

「二級獣魔がなぜこんなところに⁉」

 エデルを追ってきた男たちも獣魔の存在に気づき、目に見えてうろたえ始めた。

 獣魔の等級は下が五級、上は特級まで振り分けられている。等級の高い獣魔になればなるほど人の住む地域にはいない。いないというより、そんな獣魔が棲み着いている場所に人が住むことはできないのだ。

 フロウは二級。ギレニア山脈の山間に生息しているが、こんな街道に近い場所にいるはずのない種類だった。

 眠っているところを邪魔されたフロウが侵入者である男たちと対峙する。

 その発端となったエデルの存在にはまだ気づかれていないようだった。

「来るぞ!」

「なんだってこんなのが――!」

 男たちが武器を構える。だが武装した男が数人いようと、どちらに分があるかなどわかりきっている。彼らが及び腰であることが何よりの証左だった。

 怒り狂ったフロウが咆哮を上げる。鼓膜が破れるかと思うほどの轟音だった。

 その咆哮を皮切りに惨劇が始まった。

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