第12話 不穏な気配
ルーシャスの手に剣が現れた。エデルは目を瞠る。
杖が現れたときもそうだったが、この仕組みがいまだによくわかっていない。
魔杖や魔剣は、普段は
実は養父も似たようなことをやっていたのを見たことがある。そのときに仕組みを説明されたのだが、自身にできないことはずっと不思議なままだった。
「いるな」
「ああ、そこそこな数だ」
突然のことに驚いている間に、エデルをかばうようにルーシャスが身構えた。
「な、なに?」
「人だ」
「四、五、六……もっといるな。ただの同業者かもしれないけど」
囲まれているというが、そんな気配など微塵も感じさせない静かな夜の森の中だ。
ナイジャーのそばの幹につながれたドゥーベも静かに身体を横たえていたが、ルーシャスの緊張感を感じたのか目を覚ました。
「にしては仰々しいご一行だな」
ルーシャスは空いた手でエデルに立つよう促す。
こんなところで座り込んでいる場合じゃない、ということらしい。
ふっと眼前が暗くなる。驚いて目の前にいたはずのルーシャスに手を伸ばすと、安心させるように軽く腕を叩かれた。
光源であったはずの焚き火が消えている。どうやらふたりのどちらかが魔法を使って消したらしい。
「あんまり友好的じゃあなさそうだな」
ルーシャスが言うと、数歩離れた場所からナイジャーの応えがあった。
「俺が行こうか?」
「話し合いで済むならそれに越したことはないが」
「まあ、やるだけやってみるさ」
何度も瞬きをしていると、少しずつ暗闇に慣れてくる。今日は夜中までよく晴れた貴重な日だったが、さすがに木々の生い茂る山の中では星明かりも遠かった。
暗がりの中でナイジャーの手に握られていた長剣が粒子になり、今度は短い棒状のものに変化したのを見た。
その先端に明かりがつく。ナイジャーがそれをかざした先に、確かに何かが動いた。
人だ。
「こんばんは。良い夜だな」
ナイジャーの張りのある低い声が夜闇に響く。一瞬の緊張感などまるで感じさせない、朗らかな挨拶だった。
てらいなくナイジャーが近づいていくと、人影が明らかに動揺したのがエデルにもわかった。
「旅の人か? 俺もそうなんだ。
まるで旧友にでも話しかけるようにとりとめのない話題を振る。まだ人影からの応えはない。
一体何が始まるのか、エデルは無意識にルーシャスの前に出ようとした。しかし一歩踏み出す前に、強い力で腕を掴まれた。
「おまえを探しに来た連中かもしれん。やめとけ」
「――――」
小さな声で耳打ちされ、エデルはぴたりと足を止めた。
――もう追っ手が来たのだろうか。
不安になって後退ったときだ。
ルーシャスの気配ががらりと変わった。
「話し合う気もなし、か」
「え? なに? 何が起こってるの?」
「囲まれた。ナイジャーと会話する気もないらしいな。俺たちの存在も気づかれてる。――来るぞ」
「えっ?」
来るとはどういうことか。また襲われるのか。獣ではなく、今度は人に。
心臓が嫌に早鐘を打つ。不安にかられて掴まれた腕を逆に抱き込むように縋ると、ルーシャスがちょっと目を見開いてこちらを見た。
それからすぐに金の目をやわらげる。
「心配するな。俺がついてる」
「……ほんと? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。――ほら、お守りだ」
渡されたものを反射的に受け取る。小さなナイフだった。革の入れ物に大切にしまわれたその刃渡りは、エデルの手のひらくらいだった。
これでは攻撃するためのものにはならないし、そもそもエデルは戦闘術はからっきしだ。走って逃げることにも自信がない。
「使えってんじゃないぞ。〝お守り〟だ」
あったほうがないよりマシだろ、とルーシャスが軽い調子で言った。
あくまで気持ちだけなら。
エデルはナイフを受け取って、
「来い」
「う、うん」
立ち上がろうとした瞬間、膝がガクンと崩れた。
――立ち上がれない。
いつの間にか下半身の感覚が失われている。否、あるにはあるが、言うことを聞かないのだ。
「エデル?」
「あ、だ、大丈夫」
待って、とは言えなかった。置いていかれたらそれこそエデルにはなす術がない。
疲労に萎えて震える足で、促されるまま走り出す。ナイジャーやドゥーベのことを考えている暇はなかった。
一歩先を行くルーシャスが白銀を閃かせる。瞬間、突然行く手に現れた
すぐそこに、突然攻撃を仕掛けてきた人がいたのだ。
ルーシャスは何事もなかったかのように振る舞っているが、エデルにとっては今まさに殺されるかもしれなかったのである。ふらつく足をようよう走らせながら、背筋に疲労だけではない汗が伝った。
ルーシャスの剣が光を帯びる。そのまま撫でるように振り抜くと、剣先から白い稲妻がいくつも走って空気を切り裂くような轟音が響く。その音の先で鈍い悲鳴が上がった。
「場が狭いな。俺が戦うと跳ね返っておまえに当たりそうだ」
ルーシャスは小さく舌打ちをすると、エデルの背を叩いた。
「先に行け」
「え?」
「斜面を下ったら街道に出る。物陰に隠れてそれ以上先には行くな。おまえは魔力探知が効かないんだ。探し出せない。――行けるか?」
ルーシャスが見上げた方向に、新たに人影がいくつも現れる。ひとりひとり追い払っているうちに集まるほうが早いだろう。この場で切り抜けたいようだった。だからエデルがいると邪魔になる。
「わかった」
「悪いな。足元に気をつけろ」
促されるまま、エデルは逃げ出した方向を外れ、斜面を下る方向に向かって進んだ。
本当は全然大丈夫なんかじゃない。恐怖だか疲労だかで足はガクガクに震えているし、正直今走れていることが不思議なくらいだ。このままひとりで隠れていろと言われたって、本当にそれで安心できるのかわからない。
それでも、今はルーシャスの言葉を信じるしかない。
エデルは暗闇の山の中を走りながら、物々しい気配や叫び声が聞こえないふりをした。
――下ったら街道、下ったら街道。
ひたすら傾斜になった森の中を降りていく。エデルのほうに追っ手はまだ来ない。膝が崩れて転ばないよう、集中して足を動かした。
そうしていくらもしないうちに、木々の合間から開けた通りが見えてくる。馬車がすれ違えるくらいの、人の手で整備された道だ。
これが街道なのだろう。
ホッとして足を踏み出した、そのときだ。
「あっ――」
足元がずるりと滑る。
しまった、と思ったときには重心を失い、頭から突っ込むように転がり落ちていた。
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