第11話 正式な依頼
「……ああ」
「なるほどなあ」
やってしまったな、と言わんばかりのふたりに、エデルも臍を噛む思いだった。
言い訳はいくらでも思いつくが、失ってしまったものは仕方がない。諦めて今手元にあるものでどうにかしていくしかないのだが――どうしても残念な気持ちは拭えない。
養父は村長を信頼していた。その彼に預けたままのお金は養父が用意してくれたもので、今となってはこの手紙と合わせて形見のようなものだった。
それを笑って諦めるには失ったものが大きすぎる。
金額の問題ではない。大切な養父の気持ちを失ってしまったことが、どうやったって辛い。
思い返して、エデルはぐっと上を向いて目を見開いた。
胸の内にあるものがこぼれ落ちてしまいそうになるときは、いつもこうしてやり過ごしてきた。
「……どした?」
エデルの珍妙な行動に、ナイジャーが困惑気味に声をかけた。
「煙が目に染みて」
「そういや風下だな」
気づかなくてごめん、とナイジャーが眉を下げるので、エデルも苦笑いするしかない。
本当はそうじゃない。でも、泣きそうだったなんて言えない。
大丈夫、と答えようとすると、ナイジャーがふっと息を吹いた。すると、焚き火の炎がゆらいで風の流れが変わる。
エデルはぱちくりと瞬いた。
「風魔法?」
「そうだぜ」
「杖も呪文もないのに使えるの?」
魔法を使うには、それを発動するための補助が必要になる。その補助が杖であり、呪文にあたるのだ。
杖は魔力を集約して散逸しないようにするもので、呪文は魔法の設計書。なくてもできなくはないが、狙いを定めるのが難しくなるし、呪文がないと頭の中だけで魔術式を構築しなければならず、どこかひとつでもミスをすると破綻する。
養父から魔法の仕組みについてそう簡単に説明されたことはあったが、エデルのような一般人には〝魔導具を使わない魔法は杖と呪文がないと難しい〟くらいの認識だ。
けれどもナイジャーは軽く肩をすくめるだけだった。
「このくらいなら余裕だね」
ふふんと得意そうなナイジャーが長い指を上に向け、くるくると円を描くように回す。すると、焚き火の煙もゆるく渦を作りながら昇っていった。
「すごーい」
魔法をこんなに簡単そうに扱う人は初めて見た。
「俺もできるぞ」
なぜか少々不満そうな声が隣から飛んでくる。見やれば、ルーシャスも同じように指をくるくると回した。しかしその指先は上ではなく、エデルのほうに向いている。
「わっぷ」
小さな突風が顔をあおった。
ぎゅっと目を閉じる。すると次は右肩に、腹にと次から次へと小さな風の塊が当たった。
「やめてよぉ」
やわらかな実態のない玉でも当てられているような感覚がくすぐったくて、エデルはたまらず笑い始めた。
「にしても、それでこんな辺鄙なとこ突っ走ってたのか。お嬢様が買ってもらったばかりのエスローの暴走で走られるにしても、ふつうはもうちょい下った街道沿いに行くだろうからおかしいと思ったんだよな」
じゃれ合うルーシャスとエデルをよそに、ナイジャーが空になった酒瓶を振りながら言う。
「怪しさは満点だったがな」
ルーシャスもほとんど空になった瓶を呷った。
「――さて、エデル。これからどうしたい」
金の目がエデルを見据える。
「おまえを取り逃がした行商人が素直に諦めるとも思えん。適当な奴隷を複数見繕ってそのうちのひとりが逃げ出したならまだしも、わざわざ村長とやらと結託しておまえひとりを騙してまで連れて行く念の入れようだ。生き残っていれば諦めずに捕まえに来るだろう。……行商人が確実に全滅したと確認したわけでもないんだろう?」
「うん……」
エデルは手紙を拾い上げ、大切にしまう。
「わたし、おとうさんの友人を訪ねたい。そのあとのことは……その人に会えれば何とかなると思う。おとうさんの傭兵時代の友人だから。でも無事に着けるように道中の護衛をルーシャスたちにお願いできないかな? お金はないから旅の間の身の回りの世話くらいしかできないけど……。あ、煮炊きはできるからもう少しマシなご飯は作れると思うよ。なんでもします」
ふたりでは料理はからっきしだから、その辺で獲ったウサギを捌いて焼いて塩をふるくらいしかできないと言っていた。ならば料理くらいは役に立てるが、果たして自由戦士に個人的な護衛を依頼するとなると、どれほどの金銭が必要なのか。
「だから……青層のコトルド島にいる、アドラス・ダユンのもとまで送ってください」
それでも、エデルにはもう彼らを頼るよりほかに道はない。
半ば祈る気持ちで頭を下げると、吐息のようなつぶやきが降ってきたのだった。
「アドラス・ダユン……?」
顔を上げると、ルーシャスが呆然としている。
「あ、おとうさんの友人って人の名前。コトルド島のアドラス・ダユンって人を訪ねろって言われてるの」
「そうか」
金の双眸がどこか複雑な色を湛える。
ルーシャスの長い睫毛が影を落とし、それから次にエデルを見据えたときには、なんとも言えない憂いは霧散していた。
「承知した。俺たちが必ずおまえをアドラス・ダユンのもとまで届けよう」
しっかりとうなずいてから、ルーシャスははっきりとした眉を下げて少し困った顔になる。
「だがなエデル。対価を示せないときは労働で支払うのはふつうだが、それでも〝なんでもする〟と〝身の回りの世話〟は口にしないほうがいいぞ」
「え? でも」
どういうことかと尋ねようとしたとき、不意にルーシャスが剣を持った。
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