第10話 形見の手紙
「どこへ運ばれてるのかはわからなかったけど、その途中にギレニア狼の群れに襲われたの。それでうまく逃げてこられたんだ」
「そうか……」
「大変だったな」
ふたりの憐憫の視線が痛くて、エデルは軽く肩をすくめて見せた。
「むしろラッキーだったんじゃないかな。運良く逃げられたんだし。ドゥーベもいてくれて良かったよ」
「そのドゥーベはどこで一緒になったんだ?」
「商隊にいたエスローだったの。わたしはずっと箱の中だったんだけど、ときどきドゥーベが近づいてきて仲良くしてくれてね。他にすることもなかったし、ドゥーベって名前つけて友達になったんだ。……逃げるときにドゥーベがいてくれなかったらわたしも狼に殺されてたなあ」
思い返しても、あの狼たちは恐ろしかった。
しかし少し不思議でもある。
ギレニア山脈では獣魔も獣も多く生息しているが、きちんと護衛を雇って武装した商隊が全滅するほど執拗に襲われることは少ない。獣道をさまよい歩いていたなら襲われても仕方ないが、ましてや山道とはいえきちんと人が使う道として整備された、開けた場所だったのだ。
そんなところに、なぜあれほどの狼の群れが現れたのだろう。その上、ずいぶんと気が立っていたようにも思える。
胸のうちに引っかかった疑問は、しかし考察する間もなく思考の隅に追いやられていく。
狼たちの常ならぬ行動より、自身のこれからのほうが問題だった。
「おとうさんの手紙だけは村長の家で働いてるときもいつも持ち歩いてたから、ほんと、これだけはなくさずに済んで良かったよ」
それ以外は本当に何の準備もなく着の身着のまま売られたのだ。
着古した養父のお下がりの服と、形見の手紙、それから狼たちから逃げるときに
「村長はまあ……残念だったけど、もともとおとうさんの友人を頼れって言われてたんだし、これからはそうしようかと思って」
あとのことは忘れよう。
もともと村を出る予定だったのだ。村長のやさしさに甘えてずいぶんと長居してしまった。それだけだ。
力なく笑うと、けれどもルーシャスは形の良い眉をぎゅっとひそめるばかりだった。
「エデル、おまえはそれで本当に村長を許して良いのか?」
「仕方ないよ。許さないって決めたってどうしたら良いかわからないもん」
ルーシャスたちのように剣を持つ人ではないから、復讐を誓ったって村長たちに一矢報いることができるわけでもない。
エデルにできるのは、ただ不運だったと笑って忘れることだけだ。それで自分が傷ついて取り返しのつかないことになったり、大切な人を奪われたわけではないから、もう良いのだ。
そう言えば、ルーシャスもナイジャーもなんとも言い難い顔をした。でも本当に大丈夫なのだ。忘れることには慣れているから。
「その手紙だが、俺が見ても?」
ルーシャスはエデルの諦観した態度に言及するのはやめ、手紙について考えることにしたらしい。
手遊びにいじっていた白い長方形の手紙を指さされ、エデルは躊躇した。
養父の形見でもある。ルーシャスが手にした途端手紙に悪さをすると思ったわけではないが、封にはエデルも知らない魔法がかけてある。下手に他人の手に渡って、突然取り返しのつかないことにならないか、あるいは魔法がルーシャスに危害を加えたりしないか心配したのだ。
「魔法の誤発動を恐れてるのなら心配はいらん。こういう触れて良いのかわからんものにはそれなりの対処法ってのがある」
ルーシャスが苦笑を滲ませながら大きな手で地面を示した。
「そこに置いてくれるか。解析したい。テーブルもないもんで直に地面に置かせてすまないな。大切なものなのに」
「ううん、大丈夫だよ」
養父の形見でもあり大切なものではあるが、別段、それくらいのことで嫌がるほどのものではない。
エデルは指示された通り、自身とルーシャスの間の地面に手紙を置いた。
ルーシャスが右手で空気を掴むような仕草をする。なんだろう、と目をやると、不意に棒状ものが現れて掴んだその手におさまった。
杖だ。魔道士を名乗る人ならば誰もが持っている、魔力の発動を補強するための道具である。
ルーシャスの持つそれは、十五センチあるかどうかくらいの長さだ。彼の大きな手に収まるにはずいぶんと小ぶりに見える。
この暗がりでは判然としないが、焚き火の炎にちらついて硬質な光を反射している。おそらく、木製ではなく金属製なのだろうと窺えた。
彼はその先端をエデルが置いた手紙の上に滑らせる。すると杖と手紙、双方から異なる
一瞬の光景だ。
うん、とうなずいたルーシャスが杖を手放し――ふたたび瞬きの間に杖が消えた――ようよう手紙を手に取った。
「今、何をやったの?」
「トラップの類を探ってた。特に手紙なんかはな、関係者以外が触れた瞬間に手紙そのものが消失する魔法ってのがある。他人に見られるくらいなら証拠隠滅してしまえ、って具合だな。俺が触れても問題がないか調べてたんだ」
横からナイジャーも補足する。
「もしも他人を弾く魔法がかけてあったら、今の解析で魔粒子同士が弾けたりするんだよ」
「へえ……」
「たまに強い拒絶魔法がかかってると弾けるっていうか爆発するけどね」
「ばくはつ……」
杖で手紙をなぞるだけでとんだ事故が発生するらしい。
エデルが青ざめている間に、ルーシャスが手紙を実際に手に持って矯めつ眇めつ眺めた。
「拒絶はしないが、さすがに簡易開封魔法じゃうんともすんとも言わないか。
ちらりとこちらを見やるので、首をかしげてわからないふりする。
解析でそんなことまでわかってしまうのか。誤算だった。
養父はエデルの魔力のことをわかっているからそういう魔法を施したのだろう。しかし、これ以上探られるとルーシャスたちにまで勘付かれるだろうか。
「エデルはその、親御さんの友人とやらを知ってるのか?」
「会ったことはないよ。
ルーシャスが驚いたように片眉を上げる。
「青層だって? また遠い友人だな」
このあたりだと、一番近い港でも馬車を乗り継いで四、五日はかかる。そこからさらに目的の島までの出港日まで待って、青層の港に着くまでにどれくらいかかるかわからないので聞いて、港から養父の友人の住む街まで徒歩か馬車を使って――と考えると、一ヶ月は余裕でかかってしまうのだ。
その間の生活費のことも考えると、自然と腰は重くなる。
「うん。だから村を出るのを躊躇って村長の言葉に甘えてしまった部分はあるの。青層に行くのってお金もかかるし……」
「親御さん、その友達のところに行けって言うだけ言って手紙しか用意してなかったのか?」
ナイジャーが若干引いたような顔をするので、エデルは慌てて首を振った。
「そんなことはないよ。ちゃんとお金も用意しておいてくれてた。くれてたんだけど……」
語尾が途切れる。それだけでふたりとも察したらしい。
「まさか」
「村長の家にお世話になるときに一緒に預かってもらうことにしちゃったんだよね」
まさかこんな事態になるとは夢にも思わなかったのである。
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