第4話 6

「はい、エレノーラ姫殿下。

 昨日お伝え致しました通り、教育が済みましたので連れて参りました」


 ――エレノーラ・アーガス王女殿下。


 アーガス王国の第一王位継承者。


 ドロレス様が腰を落として礼を取り、わたしもそれに倣った。


「――ふぅん……」


 姫様は、カーテシーするわたしの顔を覗き込むように腰を折って。


「鬼の統括侍女長サマの教育を二週間で終わらせるなんて、ずいぶんと優秀みたいね?」


 その体勢のままドロレス様に顔を向ける。


「ええ。オールセン卿が後見するだけの事はあるかと。

 ……ちなみに基礎を施したのは、だそうですよ」


 と、ドロレス様はいつものむっつり顔で応えた。


「――アーリーの!?」


 一方、姫様は驚き顔でわたしに視線を戻す。


「お初にお目にかかります。ミィナ・エトワイルと申します」


 頭を下げたまま、わたしはそう名乗った。


「ああ、そういえばオールセン家の陪臣に籍入れしたのだったわね」


 わたしの経歴を把握なさっていた姫様が呟く。


「はい。ご当主様の養女にして頂きました」


 エトワイルというのは、ベアおじさんの実家の家名だ。


 お城に勤めるに当たって、平民のままでは他の侍女との間に無用の諍いが起きる可能性があると心配してくれたノリス様が、家臣であるベアおじさんのお兄さんに指示して、わたしを養女に迎えさせたんだ。


 ベアおじさんのお兄さん――ガレイシュ・エトワイル様は、ノリス様のご実家があるオールセン領で筆頭騎士をなさってる方。


 この時はまだお手紙のやり取りだけで直接の面識はなかったのだけれど、後にお城にやって来られた際にお会いした時は、ベアおじさんをさらに大きくしたような逞しい肉体に、わたしは圧倒されてしまった。


 顔の半分を覆う濃いヒゲと、左目に走った傷痕のせいで一見すると山賊のようだったけれど、ご挨拶をしたらベアおじさんそっくりの笑顔を浮かべ、わたしをご飯に誘ってくれてすごく良くしてくれた。


 ……この世界に残された、数少ないわたしの味方のひとりだ。


「……へぇ。ドロレスが認め、ノリスがそこまでしてわたくしの侍女に推すって事は、それなりに使える子なのね」


 腰を折ってわたしの顔を覗き込んでいた姫様の右手が、ゆっくりとごく自然に持ち上げられた。


 わたしの頬を撫でようとしている動作。


 けれど、それは途中から急に速度を増し、肘と手首でしなって。


 ――殴られる!


 そう思った瞬間には、勝手に身体が動いていた。


 迫る姫様の右手を左手で掴み、右手は姫様のシャツの胸元を握り込む。


 身体を回し、懐に飛び込んで密着。


 押し当てた腰を跳ね上げるようにしつつ、両手に力を込める。


「――あっ!?」


 そう思った瞬間には、姫様の身体は綺麗に弧を描いて飛んでいて――


 衝撃音。


 そして露地剥き出しの地面から、もうもうと舞い上がる砂埃。


「――は……はハハ……」


 姫様の乾いた笑いと引きつった表情に、わたしは背筋が寒くなる。


 そう、わたしは反射的に姫様に一本背負いを仕掛けてしまっていたんだ。


「ももももも、申し訳ありませんでしたっ!!」


 即座に!


 自分でもこんなに速く動けるのかと驚くほどに素早く、わたしは姫様の目の前で土下座した。


 この頃のわたしは、アイラねえさんから護身術も習っていて、カッコいいねえさんに少しでも近づきたくて、のめり込んでいたんだ。


 アイラねえさんも嬉しそうに手ほどきしてくれるから、ますますハマっちゃって。


 おかげで夜のお遣いなんかで酔っ払いやチンピラに絡まれても、自分で対処できる程度にはなっていたんだけど、今回はそれが悪い方向に働いてしまった。


「――む、無意識だったんです! 反射的についっ! 本当に申し訳ありません!」


 額を地面に擦りつけて、故意ではなかったのだと主張する。


「ミィナ。制服が汚れてしまいます。お立ちなさい」


 と、そう声をかけて来たのはドロレス様で。


 頭を地面に押し付けているから表情まではわからなかったけど、聞こえた声は落ち着いたもので、叱責や怒りは含まれていないように感じた。


「ですが――」


「今のは不用意におまえを試そうとした、姫殿下がよろしくありません」


 なおも土下座姿勢をキープするわたしに、ドロレス様はため息を吐きながらそう仰って、わたしを強引に立ち上がらせた。


「――姫様、私は始めに申し上げたはずですよ?

 あのアーリネイア嬢に教育を施された者だと……」


 わたしの制服についた土埃を払いながら、姫様を睨みつけるドロレス様。


 姫様は地面に足を投げ出して座り込んだまま、ドロレス様に肩を竦めて見せた。


「だからこそ使、試してみたくなったのよ」


 苦笑交じりにそう仰った姫様は、ふたりのやり取りが理解できずに呆然と立ち尽くすわたしを見上げて、綺麗な笑顔を浮かべた。


「合格よ。ミィナ。

 避けられるかもしれないとは考えてたけど、まさか投げ飛ばされるとは思わなかったわ。

 ――わたくし、これでも騎士との稽古で負けなしだったのよ?」


 姫様は反動を付けて立ち上がり、腕組みしてわたしを見下ろした。


「教養はドロレスが認め、武に関しても問題なし。

 ……ノリスってば、すごい子見つけてきたわね」


「――お気に召して頂けたようで、なによりです」


 ドロレス様が満足気に会釈する。


「ええ! すごく気に入ったわ! ミィナ、おまえは今日から正式にわたし付きの専属侍女よ!」


「え? え? ええと……?」


 理解が追いつかず戸惑うわたしの頭を、姫様はわしゃわしゃと撫で回した。


 アイラねえさんに似た、強引だけど嫌ではない撫で方。


「ミィナ、胸を張りなさい。おまえは姫殿下に認められたという事ですよ」


 と、ドロレス様に背中を叩かれ、わたしは慌てて背筋を伸ばす。


「よ、よろしくお願いします! 姫様!」


 それから姫様に深々とお辞儀する。


「ミィナ、また言葉が乱れてます。姫殿下とお呼びなさい」


 ドロレス様にため息と共にそう指摘されてしまい――


 けれど姫様はクスクスと笑って、ドロレス様に顔を向けた。


「良いわ。ドロレスだって、さっきそう呼んでたじゃない。

 ミィナ、おまえがそう呼ぶ事を許すわ」


 あとで知った事なのだけれど、姫様をそう呼べるのは、城に勤める人達の中でも昔から仕える、姫様が信用している人だけなのだそうだ。


 つまりわたしは――出会った直後に投げ飛ばしてしまったのに、姫様にすごく気に入られたらしい。

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