第4話 5

 およそ二週間ほどの研修期間を終えて、わたしは姫様にお目通りする事になった。


 研修期間が設けられたのは、お城でのルールを教える為。


 大抵はアイラねえさんに教わった事ばかりだったけど、立ち入ってはいけない場所や、文官や騎士、衛士などの階級ごとへの対応の仕方など、初めて教わる事も多くて、すごく濃密な二週間だった。


 帳簿の付け方なんかも初めて教わった事だ。


 わたし、『春の彩』でマウリおばさん帳簿を付けるのを手伝っていたけど、それとは全然違っていて驚いた。


 姫様に割り振られた予算とは別に、王女宮の維持管理に割り振られた予算もあって、それらの用途を詳細に記載していかなければいけないの。


 それこそ庭師さんのお給料や、掃除なんかを担当する下級侍女のお賃金まで。


 帳簿付けや予算、宮の管理なんかは、本来は宮付きの女官が行うべきなんだけど、あの頃は侍女同様に女官も足りなくなっていたから、姫様が公務のかたわら自ら帳簿を付けていたそうで。


 教師役をしてくれた統括侍女長のドロレス様は、読み書き計算ができるわたしが来てくれて助かったと、笑顔で喜んでくれた。


 滅多に笑わない鉄の才女として有名なドロレス様だったから、同席していた文官さんがびっくりしてたっけ……


 そうして王女付き侍女として必要な様々な知識を詰め込まれ、わたしは晴れて姫様にお目通りが叶うことになったのだけど。


「……ええと、ドロレス様。これって馬車ですよね?」


 内宮の馬車留めに連れてこられて、わたしはドロレス様に尋ねる。


 四十九歳のドロレス様は、結い上げた灰色髪を撫で付けてうなずく。


「ええ、そうです。これがそれ以外に見えるなら、おまえの研修を増やさなければならないところですね」


 ハキハキと早口で応えるドロレス様に、わたしはプルプルと首を振った。


「それにしても……」


 ドロレス様はわたしを頭の上から爪先までを見下ろして、アゴに手を当てる。


 鋭い視線にわたしは気をつけして、その視線を黙って受け止めた。


「……やはり、おまえに合わせたサイズの制服を用意すべきですね……

 まあ、いまは応急処置という事で……」


 言いながら、ドロレス様は腰をかがめ、エプロンのポケットから針と糸束を取り出した。


 支給された制服は、一番小さいサイズだったのだけれど、当時はまだ背が伸びる前だったから、わたしにはぶかぶかで袖を折って着ていたんだ。


 それがドロレス様には見苦しく見えたみたい。


「ちょっと腕をお上げなさい」


「――はいっ!」


 言われるがままに「T」の字になるわたし。


 ドロレス様は折っていた袖を戻し、それから長さを調整したかと思うと、目にも留まらぬ速さで縫い始めた。


「ふわあぁ……」


 左右の袖を瞬く間に直し、さらにはエプロンから裁ちばさみを取り出したドロレス様は、やはり長いから内側に折り込んでエプロンでまとめていたスカートの裾を一刀両断!


 切り口を折り込んで、物凄いスピードで縫い上げてくれた。


「ふむ……」


 作業を終えて、裁縫道具をエプロンのポケットに戻したドロレス様は、再びわたしを見下ろした。


「良いでしょう。

 そういえばおまえ、裁縫だけは壊滅的でしたね。すぐにではなくとも時間を見つけて練習するように」


「はい、ドロレス様っ! ありがとうございますっ!」


 いっそ敬礼したい気持ちを抑えて、わたしは会釈して感謝を告げる。


 鋭い目元と常にへの字口に引き締められた口元。


 定規で計ったように正確な所作と身にまとう堅い雰囲気と、統括侍女長という立場もあって、ドロレス様は怖い人のように思われがちだ。


 実際、かなり厳しい人ではあるのだけれど、人に厳しい以上に自分を強く律していて、不正やズル、怠慢を赦さない、公明正大を絵に描いたような人だった。


 いつも不機嫌そうな顔をしているのがマウリおばさんに似ていて、研修を受け持ってもらっている間に、わたしはドロレス様が大好きになっていた。


 ――研修中、何度も不出来を怒られたから、怖いのは怖いんだけどね……


 それでも日本のお母さんと違って、理不尽な叱り方はしないし、わからない事は最後まで根気強く教えてくれるから、わたしはドロレス様が大好きだった。


「――では、参りますよ」


 と、優雅に馬車に乗り込むドロレス様に続き、わたしも目の前の馬車に乗り込んだ。


 扉を閉めると、その音を合図に馬車がゆっくりと走り出す。


「あの、ドロレス様。質問してもよろしいでしょうか?」


 そう尋ねると、手帳になにか書物をしていたドロレス様の鋭い目がわたしを捉える。


「ええ、なんですか?」


 お仕事の邪魔にはならないようだと安堵して、わたしは疑問を口にする。


「えっと、わたし達、これから王女殿下にお目通りするんですよね?

 でもこの馬車、内宮を出ちゃってますよ?」


 内宮と外宮を隔てる第一城門を通り過ぎ、馬車は東に進路を取る。


 王女宮は内宮の北――後宮内の南西にあるはずだ。


 そこに向かうのに馬車は必要ないし、内宮の外に出る必要もない。


 脳内に描き出した城内配置図を思い出しながらそう尋ねると、ドロレス様は手帳を仕舞って満足気にうなずいた。


「すでに各宮の配置を覚えているのは喜ばしい事です。ミィナ。

 そう、今私達が向かっているのは、王女宮ではありません。

 外宮東外には、なにがあるかわかりますか?」


 外宮は内宮の南側を囲うように建てられ、陳情や様々な手続きに訪れた民に対する受付や、領地持ち貴族を管理する省などがある宮だ。


 その中で東側――それも外となると……


「騎士団本部でしょうか?」


「よくわかりましたね。私達はそこへ向かっているのです」


 それがあまりにも、なんでもない事のような口調だったから。


「へぇ……って、騎士団本部へですかっ!?」


 反応が一瞬遅れて、わたしは驚きの声をあげた。


「あの、わたし達、姫様に会いに行くんですよね?」


「……ミィナ、おまえは慌てると口調が乱れますね? 注意なさい」


 低く抑えられた静かなお叱りに、わたしは慌てて頭を下げる。


「し、失礼致しました。でも、騎士団本部に王女殿下がいらっしゃるんですか?」


 わたしの問いかけに、ドロレス様は整った高いお鼻から、深い深い溜息を吐き出して。


「ご公務がない日は、入り浸ってらっしゃるのですよ。

 おまえもお付き侍女となれば、頻繁に出入りする事になるから、今日は騎士のみなさんにもしかっかりと挨拶しておくと良いでしょう」


「え? えっと……はい!」


 この時、わたしの頭はひどく混乱していた。


 お城に上る前に、アイラねえさんから姫様についてはある程度教わっていた。


 優しく、物静かで、いつも窓際で日向ぼっこしながら本を呼んでいるような人。


 ――そう聞いていたから。


 わたしの中の想像の姫様は、しぃちゃんの本に出てくるような、繊細で綺麗な――それこそ重いものなんて持ったことがないような、か弱いお嬢様として描かれていたんだよね。


 ――その姫様が……騎士団本部?


 意味がわからず考え込んでいる間に、馬車は騎士団本部前までやって来ていた。


 有事には王族と共に立て籠もっての抵抗を想定している騎士団本部は、小型の砦のような外観をしていた。


「――統括侍女長、いつものように鍛錬場でよろしいのですよね?」


 御者さんが前方の小窓を開いて訊ねて来て、ドロレス様はうなずきを返した。


 鉄製の門扉を抜けて本部内に進み、棟に沿って敷かれた石畳を通って裏手に回る。


 訓練の最中なのか、軽重様々な金属音が聞こえ始めた。


 やがて緩やかに馬車が止まると、御者がドアを開いて昇降台を用意してくれた。


 それを踏んで、馬車から降りる。


 と、そんなわたし達に向かって、駆け寄ってくる人物が見えた。


 ベアおじさんがお仕事帰りに来ているような、厚手の麻のシャツとズボンを着込んだその人は、綺麗な長い金髪を高くリボンで結い上げてポニーテールにしていて。


「――待ってたわ! あなたが新しい侍女ね?」


 わたし達の目の前までやってくると、腕組みしながら仁王立ちになり、高く澄んだ声でそう仰った。

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