第4話 3

 それからわたしは、リーシャが用意してくれた服に着替えさせられた。


 わたしが着ていた服は、ほつれがひどいから繕ってから返してくれるそうだ。


 侍女になった翌年の誕生日にマウリおばさんが贈ってくれたものだったから、穴が空いても大切に着続けてたんだよね。


 わたしにお裁縫の腕があればよかったんだけど、日本に居た時から苦手だ。


 平縫いすら覚束ないから、穴を塞ぐなんて高等な事は当然できるはずもなく、そのままだったんだ。


 リーシャが用意してくれた衣装は、侍女時代の同僚のお姉さん達がお休みの日に街出かける時のような、シンプルだけど可愛らしいもので。


 びっくりするくらい肌触りの良い白いブラウスは、ボタンが並ぶ合わせに目立たないくらいのフリルが施してある。


 深い青のスカートはこの世界では珍しい膝丈で、きっちり折られたプリーツがわたしの動きに合わせて軽やかに揺れる。


「ドレスなんかだと疲れると思って、あーしらの普段着に合わせてみたんスけど、どっスかね?」


 姿見の前でくるりと回るわたしに、リーシャは不安げに訊ねる。


「うん。ありがとう、リーシャ。すごくうれしい」


 どうやらトヨア皇国の女の子達は、日本に近いデザインの服を普段着としているみたい。


 アーガス王国だと、庶民の普段着は基本的にワンピースで、スカートもくるぶしまである丈長なものだった。


 侍女だった時は基本的に制服だったし、やっぱりスカートはくるぶし丈。


 遅い成長期を迎えて手足が伸びたわたしが、それでもマウリおばさんがくれたワンピースを着続けていたのは、日本で膝丈に慣れていたから気にならなかったという事もある。


 ドアがノックされて。


 リーシャが素早く動いてドアを開けると、現れたのはアリアさんだった。


「――おはようございます、ミィナ様。

 朝食の用意が整いましたので、お迎えに上がりました」


 頭を下げてそう告げるアリアさん。


 その礼は完璧で、惚れ惚れとしてしまう。


 アーガス王国の侍女で、挨拶だけでここまで魅せられる人が、今、どれほど残っているだろうか。


「あ、はい。ありがとうござ……」


 お礼を言いかけたところで、アリアさんが片目を瞑るのを見て、わたしは口を噤む。


 リーシャにも言われてたっけ。今のわたしはヒノエ様の客人。


 彼女達より上の立場なんだ。


 侍女の時にも、よく姫様に叱られたなぁ。


 姫様付きのわたしが、下級侍女のおねえさん達や城に勤める見習いさん達に敬称を付けるのは良くないって。


「えっと、ありがとう。アリア」


 わたしの返事に満足気にうなずき、笑顔を浮かべてアリアは部屋の外に促す。


 彼女に従って、わたしとリーシャは廊下を歩き出した。





「ふええ…………」


 わたしが与えられた客室を後にし、廊下を歩いて隣の区画に入って。


 そこに広がっていた光景に、わたしは思わず感嘆の声をあげた。


 一階から今いる五階までが吹き抜けになっていて、各階、その周囲を回廊が囲んでいる。


 天井は一面ガラス張りで、朝の日差しが降り注いで真っ直ぐ一階までを照らし出していた。


 対面にある回廊までは、二箇所の橋で繋がっているようだ。


 橋の袂には階下に降りる螺旋階段があるのだけれど、その階段の中心にはガラスの柱が通されていて。


 わたしがこの光景に驚いている間にも、スーツ姿の男の人がその中に入った。


 途端、男の人の足元に魔芒陣が浮かび、音もなく一階まで下降していく。


「――エ、エレベーター!?」


「おや、ご存知でしたか?」


 アリアが興味深そうに訪ねて来たから、わたしはうなずく。


「元の世界にもあったの。あっちのは箱をワイヤーで吊るして、機械で動かしてたんだけど。

 あと、以前訪れた遺跡でも、壊れてましたけどそうじゃないかなって構造物があって……そっかぁ、こっちの世界のエレベーターは、ああいう風なんだ……」


 同行してた王宮魔道士は、煙突だと言って譲らなかったけど、サイズ的にわたしはエレベーターの縦孔だと思ってたんだよね。


 ゴンドラがないから、断言はできなかったんだけど。


「それにしても、フソウ宮ってこんなに広かった?」


 少なくとも昨日踏み込んだ時は、こんな吹き抜けなんてなかったような……


 首を捻るわたしに、アリアは口元を押さえて微笑む。


「ええ。昨日はミィナ様が来られるという事で、厳戒態勢でしたから。

 謁見の間への直通路以外は、すべて封鎖していたんですよ」


「いやあ、すごかったんスよ! 隔壁がバシバシ閉まって行くのっ!」


 アリアの言葉を引き継ぐように、リーシャが興奮気味に告げる。


「でも、開くトコはミィナ様も見てたはずなんスけど……ひょっとして覚えてないっスか?」


 リーシャの表情は咎めているというより、純粋な興味というようなもので。


「……うん。というか、食事の途中から記憶がすごく曖昧なんだよね……」


 わたしがそう答えると、ふたりはきょとんと顔を見合わせて。


 それからふと思いついたように、アリアが顔を寄せてくる。


「……あの、ミィナ様。ひょっとしてですが、これまでお酒を召し上がったことって……」


 言われて、わたしも気づく。


 夕食の際、食前酒としてワインを出されていた事を。


 これまで特に興味もなくて、お酒なんて呑んだ事のないわたしだったけど、勧められたものを拒むのは失礼な気がして、一杯だけ呑んだんだよね。


 一口目は口の中に広がった苦味に顔をしかめそうになったけど、その直後に広がったほのかな甘味と、すっきりした後味が美味しくて、そのまま呑み干したんだ。


「ああ、考えてみれば、あの辺りから記憶が曖昧なような……」


 どうやらわたしは酔っていたらしい。


「ミィナ様、ひとりではお酒を嗜まれませんよう、お願い致しますね?」


 がっつりわたしの両肩を掴んで告げてくるアリアに、わたしはコクコクとうなずく。


 笑顔なのに、背筋が冷たくなる雰囲気だ。


 ――なんとなく、アリアって姫様に似てる。


 顔とか性格とかじゃなく、こう……有無を言わせない雰囲気とかが。


 そうしてわたし達は回廊を進み、ヒノエ様が待つという食堂へと辿り着いた。


「――よう、ミィナ。よく眠れたか?」


 左右に伸びた大テーブルの中央に座り、ヒノエ様はそう出迎えてくれたのだけれど。


 食堂に通されたわたしは、まずその背後――テラスへと続くガラス窓の向こうの光景に目を奪われてしまって。


「えええええぇぇぇぇぇぇ――――っ!?」


 その信じられない光景に、今日、何度目かになる驚きの声をあげた。

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