第2話 6

「――すごいよ。ミィナ嬢っ!」


 ノリス様がそう声をあげて、わたしの手を両手で握って来たから、ホールにいたお客さんやねえさん達が一斉にこちらに注目した。


「え? え? えぇ?」


「貴族の僕に対する礼儀作法。庶民にも関わらず、ヘェイ文字だけでなくプラゥス文字まで読み書きできて、その上算術までこなせる!

 しかも算術に関しては、できない者への説明する為、道具まで用意するという気遣いまでできてる!

 僕がちょっと高圧的に出ても、怯まず受け答えするのも良い!」


 わたしの手を握って上下に振りたくるノリス様は、すごく上機嫌のよう。


「――だから言ったでしょう、ノリス。ウチのミィナは天才だって」


 それまで黙って見ていたアイラねえさんが、腕組みしながらノリス様に声をかけた。


「ああ、ごめん。アイラの言葉を疑ってたわけじゃないんだ。

 ……ただ、あの状況だからね。

 安易に雇って、クビ程度ならまだしも、罰を受ける事にでもなったら、君だって嫌だろう? だからちょっと厳しく試させてもらった」


「……試す?」


 首を捻るわたしの肩に、ベアおじさんの大きな手が優しく乗せられる。


「ノリス様は俺の実家が仕えてる、伯爵家のご子息でな。

 今は城で内務省に勤めてらっしゃる」


「そんな人がどうして……」


 わたしの呟きを聞いて、ノリス様はアイラねえさんから振り返り。


「君に会いに来たんだ。ちょっとお話させてくれないか?」


 その言葉で思い浮かんだのは、シュバルツさんが信仰する神様の事。


 敬虔な信徒であるシュバルツさんは、日頃から教義である『崇めても触れるべからず』を遵守しているけど、世の中にはそうじゃない異端者もいるそうで。


 そういう人達は、シュバルツさんの神様の信徒のようなフリをして近づき、わたしみたいな小柄な女の子や幼い子にひどい事をするのだという。


 そんな風に日頃から聞かされていたわたしは、思わず警戒して一歩後ずさる。


「わたしはまだ『花付き』には選べませんよ?」


 シュバルツさんの話では、異端者ほど普通な人を装って近づいてくるのだとか。


 アイラねえさんやベアおじさんの知り合いみたいだけど、異端者なのを隠されている可能性もある――と、この時のわたしは本気でそう思った。


 きっぱりと言い放つと、アイラねえさんとベアおじさんは爆笑を始め、ノリス様は切れ長な目を真ん丸に見開く。


「――誰がアンタみたいな、痩せっぽっちのチビを買うもんかい」


「あいたっ!?」


 苦笑交じりの声で頭をはたかれて後を振り返ると、呆れ顔のマウリおばさんが腕組みして立っていた。


「久しぶりだね。ノリス坊や。

 前はちょくちょく顔を出してたのに、随分とご無沙汰だったじゃないか。

 まさかいまさら心変わりしたってワケでもないんだろう?」


 わたしの隣に立ったマウリおばさんは、ノリス様にそう親しげに声をかける。


 ノリスさんもマウリおばさんの口調に不快さを示す事もなく、困ったような笑顔で頭を掻いて。


「参ったなぁ。当たり前じゃないか。僕の心はいつだって婚約者殿のものさ。

 でも、マウリさんが信用できるのは、よくわかったからね。ここなら安心して任せられるって思ってね。

 ……それにここしばらく、少々仕事が立て込んでたんだ」


「それを押しても今日来たのは、それだけ人手が足りないって事かい……」


 マウリおばさんはため息ひとつ、わたしの背中を押す。


「勘定番はしばらくあたしが代わるから、あんたは坊やの話を聞いてやんな」


 人を見る目が確かなマウリおばさんも信用してるなら、ノリス様は異端者ではないのだと、わたしはようやく警戒を解いて。


「じゃあ、わたしは飲み物取ってくるから、先に始めてて」


 と、アイラねえさんが厨房に向かい、わたし達はホール中のお客さんに注目されるのを気恥ずかしく思いながら、ホールの隅のテーブルへ移動する。


 四人がけのテーブルのわたしの正面にノリス様が座り、わたしの隣にはベアおじさんが腰掛ける。


「――改めて、さっきは不躾な真似をして済まなかったね。

 君の話はアイラから聞かされていたんだが、この目で見るまで信じられなくて試させてもらったんだ」


 そう告げたノリス様は、貴族なのにひどく気軽に頭を下げたから、わたしは驚いてしまう。


「き、気にしてませんから、おやめください! わたしこそ、失礼な物言いをしてしまって申し訳ありませんでした」


 わたわたと頭を下げ返し。


「……その、ところで先程から試したと仰いますが、いったいなにを?」


 そう訊ねると、ノリス様は両手を広げてにんまりと笑う。


「そりゃあ、君が王城で働くに相応しいかどうかをさ!」


「――はえ?」


 ノリス様が仰ってる意味がわからず、変な声をあげてしまった。


「おい、ミィナ。アイラから聞いてないのか?

 あいつ、おまえを城付きの侍女にするって張り切ってただろう?」


 ベアおじさんが不思議そうに首を傾げた。


「え? ねえさんってばアレ、本気だったの?

 わたしはそれくらい勉強を頑張れって意味かと思ってたんだけど……」


 そもそも、わたしが働けてるのは『春の彩』だからだと思ってた。


 ぶっきらぼうだけど優しいマウリおばさんと、気の良いねえさん達だからこそ、どこから来たかもわからない……文字すら知らなかったわたしなんかを、なんにも訊かずに受け入れてくれたんだって。


 と、そこにビール入りの木製ジョッキ二つと果汁水ジュース入りコップ二つを、器用に左右の手に持ったアイラねえさんがやって来て。


「あら、あたしは口にした事は守る女よ?

 あたしがウソついた事あった?」


 テーブルにジョッキやコップを並べながら、わたしにそう訊ねる。


 カッコ良いねえさん達の中でも、とびきりのアイラねえさんはウソなんてつかないし、曲がった事が大嫌いな人だ。


 市場でお婆ちゃんを騙そうとしてた露店の店主を、昔覚えたという格闘術でぶっ飛ばしたりした事もあった。


「ん~、つまり、ねえさんは本気だったって事なんだね」


「言ったでしょう? あんたはこんなトコで埋もれさせるにはもったいないって」


 そう言って、いつものようにわたしの頭をわしゃわしゃ撫でたアイラねえさんは、ノリス様の隣の席に座って、持って来たコップの果汁水ジュースを一口。


「ま、こんな早い話になるとは、あたしも思ってなかったんだけどね」


 という、アイラねえさんの言葉に、ノリス様は頭を掻く。


「……今、王城は人手不足でねぇ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る