第2話 4

 この世界に馴染む為に、覚える事はたくさんあって。


 『春の彩』での忙しいながらも幸せな毎日は、日本の事なんか思い出す暇もないほど、瞬く間に過ぎて行った。


 半年も経つと、わたしは料理の盛り付けや皿洗いだけじゃなく、お勘定番も任されるようになっていた。


 ずっと厨房の中でお仕事していたから、初めてホール仕事を任されて、初日はずっとウキウキしてたっけ……


 この頃にはもう、マウリおばさんからもらったお小遣いで、お休みの日なんかに市場に買い物に行ったりもしてたけど、店員さんとしてお金を受け取るのは日本に居た時も含めて初めての経験で、慣れるまでは結構大変だった。


「――アンタのやりやすいようにやってみな」


 と、マウリおばさんは、いつものぶっきらぼうな口調で励ましてくれて。


 だから、ねえさん達やベアおじさん、あと昼営業の常連さんのご近所の職人さん達に相談したりして、色々と試行錯誤してみたりもした。


 そうして新しい仕事にも慣れると、周囲にも目を向けられるようになってくる。


 厨房からだとわからなかったけど、ホールでのねえさん達の仕事は、わたしが想像していたようなウェイトレスというより……


「……ホステスさんだよね?」


 四人がけのテーブルが十二台しかないホールに、夜番のねえさん達は最低でも八人が常駐って、多くないかなぁってずっと思ってたんだ。


 宿泊メニューの『花付き』っていうのは、お客さんと一緒にお酒を呑んで楽しませるお仕事なんだ、と。


 そんな風に理解したわたしは、翌日、出勤して来たアイラねえさんに――


「ねえ、アイラねえさん。わたしにも『花付き』のお仕事、できないかなぁ?」


 と、無邪気にそう訊ねた。


 ……訊ねてしまった。


 あああ……今思い出しても恥ずかしいっ!


 本当にわたしは無知だったんだ。


 わたしの問いかけに、アイラねえさんは目を真ん丸にしたまま固まっちゃって。


「ハッハッハ! ミィ坊相手じゃ、ワシみてえなジジイじゃなくても、立たねえだろうさ!」


 お昼を食べに来てた、近所の職人さんのゴン爺――ゴンドールさんがお腹を抱えて笑い出し。


「き、聞けばミィナ嬢は十三との事。

 せ、拙者はギリ行けなくもないでござるが、きょ、教義に反する事になりますゆえ……」


 やっぱりお昼中の近所の魔法使い、シュバルツさんがボソボソとそう呟く。


 教義というと、いつもわたしがメニューを運ぶたびに唱えてるアレかな?


 ――崇めても触れるべからず、とかなんとか。


 いつもボソボソ小声で唱えてるから、よく聞き取れなかったんだけど、どうやらシュバルツさんはあまり有名ではない、特殊な神様を信仰しているらしかった。


 シュバルツさんは、ご近所でも有名な変人魔道士さんだ。


 シュバルツというのも、本人は真名だと言い張ってるけど偽名で、本名はトニーというの。


 普通、魔法の研究をしている人は魔道士を名乗るものなのに、彼は頑なに自分を魔法使いと名乗り続けているそうで。


「はい、トニー、アウトー。あんた、ミィナの半径五メートル以内に近づいたら、からね?」


 ようやく立ち直ったアイラねえさんが、シュバルツさんに右手をワキワキさせながら、手首を捻って見せた。


「そ、それじゃお勘定すらできないでござるよっ!?

 それにミィナ嬢は拙者の守備範囲外でござるっ!

 そ、そりゃ、見た目は小柄でアレなのでギリ行けなくもないでござるが……」


 早口でまくしたてるシュバルツさん。


「――トーニー?」


 アイラねえさんが再び右手をワキワキ。


「いっそ、いまきゅっと行っとく?」


 笑顔のまま告げるアイラねえさんに、シュバルツさんはなぜか股を両手で押さえて、ぶんぶん首を振った。


「だ、黙るでござるよ。拙者、大人しく昼飯に勤しむでござるっ!」


 そうしてパンを口に頬張り始めたシュバルツさんを横目で見やって、アイラねえさんはわたしの両肩に手を置いた。


「ミィナ、『花付き』やりたいって、アンタ、それ誰かにやるように言われたの?」


 わたしの顔を覗き込んで訊ねてくるアイラねえさんはの目は、いつになく真剣で、少し怒ってるみたいで怖かった。


「ち、ちがうよ? 夜番のねえさん達を見ててね、お酌したりお話したりしてたから、わたしにもできないかなぁってそう思ったの」


 恐る恐る、そう説明すると。


 アイラねえさんは安心したみたいに、深い溜息を吐いた。


「……あのねぇ、ミィナ。この際だから教えとくけど、『花付き』っていうのはね……」


 そうして説明された、夜番のねえさん達の本当のお仕事……


 世の中には、お嫁さんや彼女さんができずに悩んでいる男の人はたくさん居て。


 ねえさん達は、そんな人達に一晩だけの恋人代わりを演じる事で、対価を得ていた。


 恋人代わりっていうからには、そういう行為も含まれてるわけで。


 お子サマだったわたしだけど、しぃちゃんのお姉ちゃんが持ってたマンガで、好き合った男女がそういう行為に行き着くのは知ってたし、日本でも、恋人代わりになるっていう――そういうお仕事があるって話も知ってた。


 でも、そういう人は日本では身近にいなくて、どこか物語の中の職業のように感じてたんだと思う。


「……そっか。アンタ、知らなかったのかい。

 『春の彩』ここはね、いわゆる娼館なのさ……」


 無知だったわたしは、その時になってようやく理解した。


 道理で、お客さんと一緒に客室に上がっていったねえさん達は、しばらく降りてこないわけだよ。


 酔い過ぎたお客さんを介抱してるのかと思ってたけど、そうじゃなかったんだ……


 勘違いしてた自分に身悶えしていると、アイラねえさんは少し悲しそうな笑顔で訊ねてくる。


「……こんな商売してる、あたしらを軽蔑するかい?」


「――へ?」


 その問いの意味がわからなくて、わたしは首を傾げた。


 本当に意味がわからなかったんだよね。


 だから、日本に居た時から思ってた事を――そして、今、改めて『春の彩』が娼館だと聞かされて感じた事を、そのまま言葉に乗せる。


「だって、無理矢理させられてるとかじゃないんでしょう?

 ねえさん達、みんなお仕事楽しそうだし。

 悩んでる男の人を助けてあげるお仕事なんだから、わたしはすごいなぁって思うよ?

 ――うん、カッコいい!」


「ミィナ、あんたって子は……」


 なぜかアイラねえさんは目元を拭って、それからわたしを強く抱き締めた。


「ホント、こんなトコにはもったいない、良い子だよ!」


 ふわりと鼻をくすぐる花の香りと共に、アイラねえさんはそう言って、わたしの髪を撫でてくれた。


「――ハーハッハッハ! ミィ坊は大物になるな!」


 ゴン爺が大声で笑い出し。


「せ、聖女っ! いや、聖幼女! ミィナ様は守備範囲外などと言って申し訳ありませんでした!

 ――おお、我が神よ、あなたは自らの化身を遣わしてくださったのですね……」


 シュバルツさんはなぜか手を組み合わせて、天を仰いで号泣していた。





 ――はい? シュバルツさんですか?


 魔属領に旅立つ前にお会いしましたが、お元気そうでしたよ?


 ……あの頃を知ってる人だから、変わっちゃったわたしを見て、少し悲しそうでしたけどね……


 え? 変態じゃないかって?


 そんなことっ!


 魔道研究が認められて、今では王都の学園で教鞭を取ってらっしゃるんですよ。


 ええ、すごい人なんです!

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