第12話
数日後、クロさんと私はまたバーに来ていた。
暗い照明の中、グラスと灰皿を目の前に、クロさんとオーナーの会話を聞く。
今日も私はクロさんの隣でちょこんと座っているだけだ。
「お前のアパートを狙ったやつの雇い先がわかったぞ。それから、あの後すぐに殺したんだな。連絡しろよ」
「すぐわかったろう」
「まぁ確かに訃報はすぐ知れたけどよ。おかげで、やつについて随分調べやすくもなった。依頼料少なくしてやってもいいぞ」
「いらん」
「そうかい。また今度、勝手に調整しといてやるよ。さて、やつを雇ったのは、人身売買を長らく主としているグループだ。規模としてはとても小さい。随時色んなやつを雇って事を成していたみたいだな。毎度仕事に関わるのはたった三人。つまり、この三人で構成されたグループだろう。例のごとく、お前の存在を恐れて移動しまくり。今のところ拠点は転々だな」
「となると、そいつらから動いてもらうのが手っ取り早いか」
「そりゃ、人身売買の現場を作るか特定するかが早いが、警戒して休業するだろ。なんせ、お前を殺す為に向かわせたやつが返り討ちにあったんだ。普通は時間を置くか、別に移動するかだな」
「…時間を置かれる可能性はあるが、そいつらが人身売買を続けるならばこの街を離れることはあるまい」
「腐った街だからか?たしかに、条件は整っているが、この街以外でも出来ないわけでもないぞ」
「いや…単なる推量だ」
クロさんの含みのある言い方に、オーナーも眉根を寄せる。
少し考えたところでオーナーも思い付いたように答えを出した。
「…成程、固定客、か?まぁいいけどな。好きなようにやれや。孤児院については、調べた後に根回ししといてやる」
「ああ」
クロさんはいつものように集めてもらった情報にライターで火をつけ始める。
白い紙が黒と赤に彩られ、消えていく。
焼けるにおいと、ずっと漂っているアルコールのにおい、そして男性が吸い出した煙草のにおいが混じり始めた。
焼け終えると、ソファが揺れた。クロさんが立ち上がって店の外に向かう。
私も足に力を込めて、視線を高くする。男性に頭を下げてからクロさんの背中を急いで追った。
「…嬢ちゃんがいてくれて、少しだけ雰囲気が変わり始めた、か?」
オーナーは、全身の力を抜いて、吐く煙で遊び始めた。
○
クロさんについて歩いて行くと、見慣れたアパートに近付いてきた。ドクターのアパートだ。
一日の大体の流れがそろそろわかってきた。
私がいる今の生活サイクルは、基本的には早朝前に寝て、起きても休憩がてら夕方までゆっくりする。そこからはバーに行き、ドクターの元で診察、早く帰れたら良しというところだ。
なんだかんだイレギュラーが色々ある毎日だけども。
普段のクロさんの生活もそこまで逸脱はしていない気がする。細かい差はあるだろうけど。
休憩のところが鍛錬だったりとかで、お仕事以外に寄るところといえば、一度行ったあの何でも売っているところか、バーかドクターのところくらいなんだろう。
そんなことを考えながら二人で一緒にドクターの部屋を訪ねる。ドクターは、相も変わらずスーツに白衣の姿で椅子に座っていた。
薬品に混じるコーヒーの香り、休憩中だろうか。
奥からは、ピッピッという規則的な音が聞こえる。
「やぁやぁ。よく来たね」
ドクターは椅子に腰掛けたままこちらに手を上げた。
「患者がいるのか」
「いるけどね、意識は無いよ。君と結構、馬が合う人かも」
「くだらん」
えっ、そうかな。
クロさんと波長が合うかもしれないと思った人って結構興味あるけれども。
ドクターはクロさんの一蹴もいつも通り綺麗に流して話を続ける。流石、慣れていらっしゃる。
「あるグループについて追ってたら、ちょっと痛い目見ちゃったみたい。表の人間なんだけどね。協力してた刑事さんと私が知り合いだから、押し付けられちゃった」
「…こいつと関係があるのか」
クロさんが私を指差した。
今のどこに、私の話が出てきたんだろう?
疑問に思ってクロさんを見る。そうしていると、私の方を見てドクターが唇と肩をプルプル震わしているのに気付いた。
「ふふ…いや、ホントかわいいね。子犬みたいだ。まぁ、正解、かどうかはわからないけれど、関係あるだろうと思うよ」
ドクターはそう言って、机に置いてあったコーヒーを口に含んだ。
どうにも掴めなくて、再度クロさんの方を見る。
「…医者が患者の個人情報を喋るのは不自然だ。押し付けられたという言い方からも、さっさと厄介払いしたいか、脅威を排除しておきたいという表れだろう。この女は、おれにさっさと調べて解決してこいと言いたいんだ」
「ちょっと惜しいね。私がシロちゃんのことを好きだから、というのを理由にしてれば完璧だったよ」
ドクターが笑って訂正した。
「す、好きだなんて…」
うぅむ、顔が熱い。
「いやいや、シロちゃんはなんか、裏表がないって言うのかな。わかりやすいからかもしれない。しかも、真っ直ぐに人を見てるってのがわかるんだよね、良いも悪いも。だから好感持てちゃう」
「…いいから、傷を診てやれ」
クロさんの言葉に、はいはーいと言いながらドクターは立ち上がって白衣をひらりと舞わせた。良い香りがする。
私は装備を脱いで、傷を見せると、ドクターはにっこりと笑った。
「もう塞がってるね。痛みは強く、傷は浅くってやり方だったろうから治りも早いんだ。うん、身体の傷はもう大丈夫。開かないように気をつけてね」
私は久々に、包帯もつけない状態で過ごせるようになった。ありがたい。少しでも動くと熱がこもってしまうので困っていたのだ。まだ水や消毒が痛い時もあるけれど、数日前よりも全然マシ。
「んー…精神も比較的安定してそうだね」
「は、はい!」
私の返事に、ドクターは何度か頷いた。
「わかるのか?」
そのやり取りを見て、クロさんがドクターに問いかけた。私もどうして安定していると判断したのか知りたいかも。
「さっき、わからないことが出てきたら君の方を向いて助けを求めたでしょ。特に何も言われてないのに、君は察して答えてあげた。信頼関係が築けてきてるんじゃない?…君への比重が大きすぎる気はあるけどね」
最後の部分は、俯いて呟くような声になっていた。
たしかに、出会ったばかりの時は簡単な質問を誰かにするのすら怖かった。誰が味方かすらわからなかったからだ。今は、クロさんにそんな疑念を全く抱いていない。
わからなかったり、助けを求めようと思うと勝手にクロさんの方を向いてしまう。
私にとって、クロさんが拠り所になっているのは確かだ。
「君、怪我したりしないようにね〜」
ドクターは笑ってクロさんの肩にポンと手を置く。クロさんはそれを警戒する様子も無く、気にも留めていないようだった。
クロさんって、かなり警戒心強い方だよね。
少なくとも、オーナーですら同じことをやろうとしたらクロさんは違う反応をすると思う。多分だけど。
クロさんとドクター、仲良いんだなぁ。
とか考えていると、クロさんがそのまま話を続けた。
「怪我をするつもりはもちろん無い。コイツの傷が治ったのならそれで良い。…それより、奥のやつの負傷具合は」
「頭にちょこーっとキッツイのをくらったみたい。その場で意識が戻らず、負傷もしているから慌ててこっちに送られた。表の病院だと、長期入院になった場合に相手に見つかる可能性があるから、その点を考慮して私のところへ、って感じだね。まぁ意識さえ戻れば大丈夫そうだよ。もうそろそろ戻るだろうしね」
「なら、叩き起こす」
クロさんが奥に進もうとする。それをドクターは乾いた笑いで返した。
「無理だと思うよ〜」
ドクターは椅子に深く腰掛け、コーヒーの残りを全て飲み干した。
クロさんがカーテンをジャカッと音を立てて開け、そして開けたまま手を止めた。
遮蔽物が無くなって、心電図の音が大きくなる。静かな息遣いも微かに。
「…女、しかも子どもか」
「美女でしょ。高校生くらいでこんな仕事ってなかなかだよね」
クロさんは少しの間カーテンの奥を見つめて、迷った末にカラ、カラとカーテンを元に戻した。
「目覚めるのはいつだ」
「そろそろではあると思うけれど、流石に詳しくは見積もれないなぁ。もしかしたら日をまたぐ可能性だってあるかもよ。それでも待っとく?」
「ああ」
クロさんは壁に背を預け、腕を組んだ。
やっぱり、大人しく待つんだ。
クロさんは、女性…というか、子どもとかに甘い人なんじゃないかと思う。寝ている人が、どんな見た目してるのかはここから見えなかったけれども。
それに、そこにいる人は刑事さんと組んで、正義の為に頑張る人なんだろう。そうなると、今までのクロさんの様子から、無茶はしないんだと思う。
クロさんは、よく表と裏について話すし、悪人に対しては容赦しない対応や口振だった。悪人は特別許せないだけで、それ以外だと結構、優しい、のだと思う。
「ふふ、無理だと思うって言ったでしょ?」
ドクターが私に笑いかけ、私も少しだけ笑ってしまった。
○
私とドクターが談笑していて数時間。カーテンが揺れ、声がした。
「捕まった!?」
少し高めのかわいい声が聞こえてきたかと思うと、カーテンが勢いよく開かれた。そして急いで出てきたかと思うと
「うわぁあ!?」
またもカーテンの奥に隠れてしまった。
ドタバタと大きな音が鳴って、何かがひっくり返る音も聞こえる。
多分、カーテンを開いた瞬間に真っ黒な衣装に身を包んだ人物が腕を組んで立ってたからだと思う。
「起きたか」
そう言いながら腕を解いてベッドに近付こうとするクロさん。ドクターはすごい笑ってて止めようとしない。
突然クロさんに枕が飛んできて、クロさんはそれを難なく弾き飛ばした。
「元気そうで何よりだ」
クロさんの言葉を聞いて、ドクターの笑い声はさらに大きくなった。カーテンの奥からは臨戦態勢に入ったのかと思うような気合いの入った声が聞こえてきた。
「完全に悪役だよね、あれ」
ドクターの言葉に、私は深く頷いた。
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