第11話

 朝日が見えて目を覚ます。深く眠るのが怖かったせいか、あまりスッキリしない目覚めだった。

 クロさんは既に起きていた。数日ぶりの甚平姿だ。私服の時はクロさんから気配も感じられるし、足音などの生活音もするのでわかりやすい。

 甚平姿のクロさんが缶詰を持って近付いてくる。

 ジッと見られる。おはようございますと言うと、ああ、とだけ返ってきた。

 あまりイメージ持てないけれど、クロさんが普通におはようと言うのは…うん、なんか違うかもしれない。

 でも、そんな爽やかな姿もちょっと見てみたいかもしれない。ドクターはお腹を抱えて笑いそうだ。

 二人で朝食を食べる。桃の缶詰を二人で分けた。

「今日は何をするんですか?」

「昨日のやつを殺したことは、どうせすぐ知れる。わざわざバーに行く必要はない。だから、連絡があるまでは何もしない」

 桃って食べるの久しぶりだなぁ。

 缶詰のってなると特に。

「報告しなくてもいいんですか?」

「今回の場合は、狙われたから返り討ちにしただけで、依頼を受けたわけではない。むしろこちらから探ってくれと依頼したものだ。頻繁にバーに行って会うのは煙たがれる。催促しているようでな。何より、会うのが面倒だ」

「成程、面倒なんですね」

「毎日アイツに会ってられるか」

 クロさんはそう言って桃を齧った。

 クロさん、別にオーナーのこと嫌いじゃないだろうけど。この前のちょっとした阿吽の呼吸みたいな感じとかから、付き合い結構長そうだもんね。

 でもまぁ、毎日会うのはやっぱりちょっと違うのかな。

 …毎日一緒にいる私、大丈夫そ?

「私のせいで、クロさんから依頼することになったりしてますよね…。お金とかは、その、どれくらいなんですか?」

「気にするな」

「そうもいきませんよ。いつか返します」

「お前が表に戻れば、おれと関わることは二度と無い。それに、普段おれは金を使わない。ある場所に隠し、何に使われるでもなく貯まる一方だ」

 たしかに、クロさんの拠点は、二箇所とも仕事で使う道具や服以外に物が無かった。いつもスマートに仕事をこなしているイメージだし、お金は本当に貯まっているんだろう。でも、私が甘えていい理由にはならない。

「じゃあ、何かお役に…」

「その話は終わった」

 クロさんの言葉に何も言えなくなってしまう。いや、理由だ。理由を何か作るんだ…。

「じ、じゃあクロさん、私が自衛出来るように色々教えてくれませんか?」

 クロさんは私の方をジッと見た。

「今後も困ったことがあるかもしれません。孤児院に戻った後の話ですよ。襲われたりしても何か出来るようになっておかないと怖いと言いますか…」

 あわあわしながらとにかく言ってみる。とはいえ、結構それっぽい理由ではなかろうか。

「…そうだな」

 クロさんが少し考えた後、出たのは肯定の言葉だった。

「連絡が来るまではやることもない。自衛の知識をつけておいた方が良いのも確かだ」

「お、お願いします!」

「別に訓練するわけではない。話半分で聞いておけ」

 という感じで、連絡が来るまでの間はクロさんから色々教えてもらえるようになった。



 クロさん流自衛講義一限目。私は少しワクワクしながら正座でクロさんに向き合う。するとクロさんは「そんなのはいらん」と私の正座を逆に正した。

「自衛といっても、相手を倒す事が全てでは無い。それよりも、逃げる事に重きを置くべきだ」

「逃げる、ですか?」

「ああ。脅威から逃げる事は、何も恥ずかしい事ではない。完璧な解決を求める人間は多いが、それは難しい事なのだから固執する必要は無い。勿論、解決出来るならそれに越した事はないがな。自分が被害者であるのに、引越しだの何だのをした方が良いと言われるのは腹が立つし不条理ではあるが、優先順位を考えれば比べるまでもない。命あっての人生だ。お前にストーカーでも出来たなら、相手が二度と近付かないようにする方法は考えつつも、まずは出会えなくなるように自分の生活を一新する事だ」

「…納得、出来ませんよね」

「そうだな」

「逼迫した状況であったら、どうしたら良いですか?」

「もう近日中に襲いかかってくる寸前であったとして、突然護身術を習っても無理だ。習う事は良い事だが、身につけ、自然に使え、対処出来るようになるのは長い長い年月が必要だ。となると、体術を身に付けるよりも現実的なのは道具の使用だな。今の時代、防犯グッズは誰でも購入出来、しかもシンプルな使い方で技術もいらない。催涙スプレーが良い例だな。目を一時的にでも封じられれば最良、目を封じられなくても追えないように隙を作り、次の手を即座に取れれば良、ただ単に距離が取れただけでも悪くない。強力で無くても、低出力のスタンガンでも構わない。最悪ブザーでも良いんだ。いつ襲われるかわからないという状況であるならば、常に意識しながら持ち歩け。何も知らない状態、丸腰で土俵に立つのと、危機意識を持ちながら、自分に有利な手札を一枚でも持っている状態でテーブルに上がるのとは、0と1…以上の差が確実にある」

 襲われるかもしれないと警戒しておくこと、私自身が強くなるよりも、ボタン一つで戦えるような道具を用意すること、そして、それを使うこと前提の立ち回りを学ぶこと、というのがクロさんの伝えたいことなわけだ。

 …自衛の話とは言ったけれども。

 私は、クロさんの役に立てる方法が知りたかった。これも知りたかったことの内に入ると言えるのかもしれないけれど…。

「クロさんの弟子…」

「無理だ」

 流石クロさん、一瞬の返答。クロさんの膝に置いている指がトントンと動いている。リズムを刻んでご機嫌そう…には全く見えない。

「あくまで日常で出来る防犯対策だ。戦闘となると全く違う。相手の動きも使う道具も何もかもが変わってくる。そんなことを教えるつもりは無い」

「自衛をするにしても、多少の運動とかは必要ではないでしょうか。訓練とは言わないまでも」

「…そうだな。一般的なトレーニングで問題無い。以前おれが言ったが、筋肉トレーニングなどで身体能力を上げておくのは大切だ。動きが出来れば、手札が増える。手札が増えれば、可能性が増える。単純に、持久力を高める、瞬発力を上げる、その為にジョギングだろうが腕立てだろうが思いつく代表的なトレーニングで十分だ。追い込む必要も無い。本気で強くなろうとか身体を変えようと思うなら別だがな。後は、反射神経と頭の訓練でもしてろ」

「なんですか、それ」

「色々あるだろう。通り過ぎる車のナンバーで足し算する、対人同士で軽くタッチするのを捌き合う、右手と左手でジャンケンし合う、簡単に出来て尚且つ効果的なものだ」

「…じゃあ、クロさん。そのタッチを捌くやつやりましょう!どうやるんですか?」

「…おれがお前の肩を軽く触りにいく。だが、右肩と左肩どっちを触るかわからない。おれがどちらかを触ろうとしたら、お前はとにかく反応して防げ」

「わ、わかりました!」

「…やり方を言っただけだ」

「はい?」

「そんな、動きが必要なものやるなら傷を治す為に寝ろ。どうしても何かがやりたいなら、せめてジャンケンだ。おれの出す手に勝利する手を即座に出せ。…なんだ」

 なんだと言われて気付いた。いつの間にか私の唇が尖ってた。

 だって、そのタッチするやつ、ジャンケンよりか結構楽しそうだったし。いや、楽しみながら訓練ってのもクロさん的にはどうかわからないんだけど。

 それでも、クロさんとちょっとは親密になれるかと思ったし、何かやっておいたら無駄にはならないだろうし、場合によっては、こいつ以外とやれるかもなんて結果に万が一にでもなれればと思ったし…。

 …クロさんとちょっとは親密になれるかと思ったし!

 そんな様子を見てクロさんは怪訝な顔をしていた。

「…やらないのか」

「やりますよう!」

 でもやり始めるといつの間にか口角が上がってしまっていた。

 これ結構楽しい。

 クロさんに「あまり大きな声を出すな…」と言われてしまった。

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