第9話 わたしのまなび
イードクア神聖帝国南方戦線、最前線にほど近いここは、わたしのご主人様であるユーハドーラ・ウェスペロス大佐が指揮をふるう重要拠点、レッセーノ基地。
そのものずばり軍事基地であるからして、かなり広い敷地と充実した各種施設が揃えられた、南方戦線を纏める大型拠点……ではあるのだが、最近は色々と『足りてない』らしく、やや閑散としている雰囲気を感じさせる。
そんな人手不足気味の基地で、貴重な人的リソースを割いてまで、大佐がわたしのために企ててくれた特別対応。
それすなわち……わたしに『一般常識』を叩き込むための、つまりは再教育である。
「……良いですか、ノール・ネルファムト特務大尉。教本や教材とて、当然『無』から湧いて出たわけではありません。無知な貴官でもそれくらいは理解出来ますね?」
「はいっ」
「…………オシェール軍曹も、当然ですが暇人ではありません。他にすべき仕事が山程あります。そう何度も何度も無駄な時間を取らせるわけにはいきません。……今回のみで、全て身につけなさい」
「はいっ」
「………………軍曹も、一切の遠慮をせず要綱を叩き込むこと。……大佐権限にて命じます。本任務に限り、ネルファムト特務大尉を格下として扱いなさい」
「ぇえ!? ……りょ、了解であります!」
さて……先日の作戦案が決め手となったのかは不明だが、ついにわたしに年貢の納めどきというものがやってきたらしい。
あまりにも非常識な言動が多々見受けられるため、待機任務中の時間を一部割いて、わたしのためだけに人員も割いて、わたしに常識を叩き込もうという……大佐の粋な心配りである。
いやはや、そこまでわたしが『非常識』扱いされているとは。……化け物扱いには慣れたけど、アホの子扱いはな。さすがにあんまりされたくは無いな。
教室となったのは、わたしの愛機【
今日の教師役となるのは、普段は主にレッセーノ基地管轄内での通信業務に携わっている、わたしとの接点はほとんど皆無なオシェール軍曹。
……はっきりいって『貧乏くじ』を引かされた彼には、さすがに同情せざるを得ない。まあわたしが全ての元凶なわけだけど。
そして、まぁ……きょう一日で叩き込まなきゃならない履修科目とは、ウェスペロス大佐いわくの『常識』とのことなのですが。
……こっちもはっきり言ってしまおう。それ、座学でどうこうなるモノじゃなくない?
「えーっと……宜しくお願いします、ネルファムト特務大尉」
「はい。おねが、します」
とはいえ、あのパワハラメガネ大佐に捕まってしまったのだから仕方ない。ご愁傷様ではあるが、わたしのお勉強に付き合ってもらおう。
……なんて、正直わたしはあまり期待していなかった。というよりは『座学で、1日で、常識が身につくなら苦労しなくない?』と懐疑的だったのだが……わたしともあろうものが、すっかり忘れてしまっていた
わたしのご主人様は。ウェスペロス大佐は。
他人を効率的に使って成果を出すことにかけては、本当に優秀なお方なのだと。
「…………といった感じで、特務大尉殿の場合は主に『ご自身と周囲との乖離』がですね、いわゆる『非常識な言動』の原因となっているのではないかと推測致します」
「おぉー」
「で、ですので……そうですね。周囲の人々をよく観察し、それを少しずつ真似る、と申しますか……彼らが取らないような行動は取らない、ご自身の言動と比較して考えてみる。そういった心構えであれば、幾分かマシに……っ、……失礼しました。改善されるのではないでしょうか?」
「なる、ほど?」
なるほどなるほど、言われてみれば確かに……確かにわたしの周りの人々、たとえばこの基地で働いているひとたちだって、誰も『人手不足だからこづくりしよう』とは言わないな。
大佐のように優秀なお方も、メディカルセンターの室長も、輜重を請け負っているテオドシアさんも、これまで一度も『こづくり』など言い出さなかった。
確かにわたしは、ふつうの人間とはあちこちが異なる存在である。身体を形作る幾らかが人工物に置き換えられ、それでいて人間のような習性を未だに残す、我が身ながら薄気味悪い存在である。
しかしながら、そんなわたしが日々を過ごしている
とくにわたしがかつて生きていた国では……周囲の人々から『浮いた』ような言動、周囲の和を乱すような行為は、様々な局面で叩かれていたように記憶している。……まぁ擦り切れてボロボロの記憶ではあるが。
ついでに、ちょっと喩えて考えてみよう。わたしがかつて生きていた国で考えてみれば、職場や学校へ純粋なホモ・サピエンスではない……たとえばエルフの女の子が現れて、真面目な顔して「魔法使えるヒトを増やすためにこづくりしましょう」とか言い始めるみたいなものだろうか。
いや、えっと、その、あー、うん。たしかに「なにいってんだこの子」感が半端ないな。なるほどこれは様々な騒動を生みそうだ。風紀はどうなってるんだ風紀は。
そもそもわたしの場合、今世ではこれまでマトモな教育を受けたことがなかった。
しかも『前世』の記憶が中途半端に影響している上に、これまで刷り込まれてきたこの世界での記憶は……わたしの出生施設である研究所にまつわるものでしかない。そりゃマトモな常識が形成されるはずもないな。
なればこそ、なおのこと、周囲の人たちの言動を参考に、常識的と言える所作を日々アップデートしていく必要があるのだろう。
とはいえ実際、わたしに出来ることはそう多くない。しかし先にオシェール軍曹が教えてくれたように、この基地内での人間観察で少なからず得るものはあるだろう。
ようは、周りのひとたちが言わないこと・取らない行動を避ければいい。他のひとと同じような言動を心掛ければ、非常識とは言われないだろう。
ただ……わたしが常識的な言動を身に付け、いい子になる見通しが立ったのは、喜ばしいことなのだが。
そのためには、この基地に勤める人々を『観察』する必要が、少なからずあるわけで。
懸念があるとすれば……この基地の人たちが、わたしのような
「えーっと…………そ、そんなに心配なさることは無い……かと……」
「うー? ……でも、わたし、は…………(もぞもぞ)んー……(ごそごそ)ほら、
「ちょ――――ッ!?」
わたしが『異物』だとひと目でよくわかる箇所を、オシェール軍曹へと見せつけてみる。普段は軍服に隠されているが、
高負荷に耐えるために特殊なものへと置き換えられた心肺装置と、それらの動作を賄うための魔力変換機構。……本来ならば肋骨を束ねているはずの胸骨は、金属製の複合装置に置き換えられている。
のみならず……わたしの
胸の中心、正中線上に、堂々と人工物が植え付けられているのだ。こんな生物が『異物』でなくて、なんだというのだろうか。
事実、この処置跡を目にしたオシェール軍曹も……あまりにもの気味悪さに顔を背け、吐き気をこらえるためか顔が真っ赤になってしまっている。……さすがにちょっと悪いことをしてしまったかな。
「…………いえ、あの………………特務大尉殿、とりあえず早急に着て下さい。閉じて下さい。今すぐに」
「えっ? あっ、はいっ」
「…………宜しいですか。……くれぐれも、今後は
「ええ、おこられ、やあ……です」
「さっきの話の続きです。この基地内に、特務大尉殿の周りに、会話中にいきなり服を脱いで…………むっ、胸、を……見せ付けるような方が、居られますか?」
「えっと、おられ、ません」
「そうです。そんな行為は『非常識』だからです」
「おわー」
そ、そうだった。わたしは周囲を観察して『非常識』しないことを志したばかりだった。だというのに……わたしの異質さを知らせるためとはいえ、さっそく『非常識』してしまったではないか。まるで成長していない。
生真面目そうなオシェール軍曹のことだ、きっと今日の『教育』に関する報告書を大佐に上げることだろう。そこでわたしの『非常識』エピソードを書き加えられてしまえば、わたしは大佐に嫌われてしまう。
しかし……事実として『非常識』してしまった以上、もはやどうしようもない。わたしには彼を行動を止める権限など、ありはしないのだ。
わたしに付けられた『特務大尉』の階級は、わたしが他人に対して采配を振るうことを前提としたもの
……まああるとしても、作戦行動中に『ちょっとどいて』『こっち来ないで』とか指示することが、ごくまれにある程度だ。わたしは見た目からしてナメられがちなので、そういうときに一般兵を黙らせるためのものなのだという。
あくまでも大佐がわたしをフリーで扱いやすいように、わたしと同格以下の者から命令されないようにと、かなり独特な指揮系統としてでっち上げられた肩書なわけで……まあ要するに、ふつうの『大尉』とはちがうし、ぶっちゃけそんなに偉くはないのだ。
……そういえばそもそも、この『教育』の間はオシェール軍曹よりも格下扱いって言われたしな。がーんだな。
ともなれば……大佐の印象を、ひいてはオシェール軍曹の報告書に書かれる印象を良くするためには、積極的な意識改善の意思を見せなければならない。
わたしは正直なところ、未だに『
逆に言えば、ここである程度の積極性を見せておけば……まあ実際には改善しなかったところで「じゃあ別の方法考えよう」みたいな感じに、なんか許されるかもしれない。状況改善に積極的な『いい子』として見てくれるかもしれない。
ならば……まぁ、やるだけやってみようじゃないか。……わたしに観察されるひとたちには、申し訳なくはあるが。
「いえ、そんっ…………えぇと、そこまで卑下することは無い、と思いますが……」
「…………ぇえ、でも、わたし、は……あっ、うそ、ちがう。えと、ちゃんと、がんばります、ので」
「だ、大丈夫です! ……その、特務大尉殿のお姿であれば…………えぇーと、例の『非常識な言動』さえ取られなければ! 皆に好意的に受け容れられるかと!」
「えー、うー……ほんとお、に?」
「はいっ! 自信を持って下さい!」
ま、まあ……そこまでいうのなら、やるだけやってみよう。そもそも報告書を握られている以上、あまりオシェール軍曹を困らせるのはよくない。
それにわたしには、これまで困難な任務を数多くこなしてきた実績だって、ちゃんとあるのだ。大佐が『できる』というのだから、きっと『できる』に違いないし、そうありたい。
わたしは大佐どのの便利な駒でありつつ、ちゃんと『常識的な行動』を身に付けた、どこに出しても恥ずかしくない特務制御体になるのだから。
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