3.スウェン、エルネスタ。共に

 親子はすぐに私に気付いた。

 血の気の引いた私をどう思ったのだろう。人の良さそうな奥さんが一瞬さっと顔色を変えるが、気遣う様子に話しかけてくる。


「あの、お隣から出てきた……のかしら、だとしたら引っ越してくる予定の方だったりする?」

「い、いいえ、その……」

「お前、知らない人に話しかけるんじゃない。その髪の色は……」


 旦那さんが私の髪色を気にしている。

 ひどく焦った様子で、瞳には怯えさえあるのだが、私はそれどころではない。

 自分がどこに立っているのかわからなくなった。訝しむ一家を前に、どくどくと早くなっていく脈拍に、心臓を鷲づかみにされる感触を覚えながら口を開く。


「こちらに……お住まいの方ですか」

「ええ、そうですけど……」


 戸惑う自分の視界に飛び込んでくるのは、買い取られる前のバダンテール宅だ。この間亡くなったクロードさんの茶目っ気たっぷりのウィンクを思い出して、震える指をそっと隠した。


「お隣はコンラート……だったかしら、そういった方がお住まいだと聞いたのですが、では、お宅様がコンラートの……?」

「コンラート……? いいえ、なにかの間違いではないかしら。聞いたことないお宅の名前ですけど……」

「こ、コンラートです。本当にご存じないですか」


 困った様子で旦那さんと顔を見合わせる奥さん。こちらは人の良さそうな方だったが、私を訝しんでいるのは旦那さんだ。お子さんを迎えの馬車に行かせ、不振をいっぱいに厳しく言った。


「この家はバッヘム家の紹介を受けた私共が住んでいる家だ。そのような間違いがあるとは思えないし……見たところやんごとないご身分の方のようだが、失礼だが、お一人でいらしたのだろうか」


 答えないといけないのに頭がぐるぐると回っている。

 ううん、わかるにはわかっている。ここは私の家のはずなのに、知らない人が住んでいる。そしてこの人達は私を知らないときた。夢にしてはやたら生々しい。

 本来ならここで「失礼しました」と立ち去るのが礼儀だ。

 でも、でも、確認もせずに、ここから去るなんてことが出来なかった。

 こんなのは到底認めがたい。

 足元が定かじゃない。まるで泥船の上に立っているみたいで、脆くも崩れ去りそうな足場を前に、よすがを求めてしまった身体は勝手に動いていた。

 彼らは家から出てきたばかりだった。構えてもいないのなら彼らの間を縫って玄関を開くのもあっけないほど簡単だった。

 強くドアノブを回し、息をするのも忘れてその中を見る。

 廊下では、お手伝いさんと思しき女性が、びっくりした様子で立ちすくんでいる。

 この人も知らない人だった。

 

「おい! 君!!」


 怒鳴られ、肩を掴まれたが構う余裕がない。

 中に入らずともわかる。調度品をはじめ内装からして、なにもかもが違う。そこにあったのはコンラート家のあたたかみ溢れる玄関じゃなくて、見知らぬ他人の家だ。


「あんた、一体なにを考えてるんだ! おい、衛兵を呼びなさい!」

「でも、あなた……」

「いいから! そもそもこんなご時世に護衛も付けず歩いてるなんておかしいだろうが! この髪の色だって普通じゃ……」


 男性を振り払えたのは黒鳥のおかげだ。

 常人には見えない早さでさっと腕をはね除け、その隙に逃げた。

 待て、と制止する声も聞かず走り出した。人にぶつかっても、謝るのも二の次。ひたすら走って、無意識に向かったのは宮廷の方角。徒歩では時間がかかるけど、行かずにはいられない。黒鳥が冷静になってと騒ぐが、無視してひたすら走った。

 無意識に呼んでいた。


「ライナルト……!」

 

 コンラートがなくなってしまっていたのなら、次は彼が現実の人なのかを確かめずにいられなかった。ここに家族がいないのなら、覚えているはずの抱きしめてくれたぬくもりが崩れ去っていきそうで、どうしても会いたかった。

 ……なのに、勢いは途中で止められた。

 通行止めだ。

 途中で事故が起こったからと、たくさんの軍人達が道を塞いでいるが、彼らは私の記憶にあるオルレンドル軍人よりも装飾品の数が減っている。

 無駄を省き動きやすさを重視した印象だが、さらに驚かされたのは、彼らの腰に当たり前に銃が下がっていたこと。

 私の記憶が正しいなら、オルレンドル軍人でも銃の配備はまだ限定的だ。生産所だって多くなかったし、街中を闊歩する末端の兵が所有できるものじゃなかった。

 軍人達は威圧的だった。現場はなにか爆発でも起こったのか、現場を見ようとする人々にも横柄で、近寄る人は容赦なく乱暴に引き剥がす。

 道を塞ぐ軍人と目が合うと、なぜかこちらに全員の注目が向き、次の瞬間には私は逃げた。

 普通の軍人なら私を知っているはず。保護を求めればよかったが、あれは猜疑の目だと一目で伝わり、やはりこちらでも「待て」の声を無視して走り出した。

 息切れするくらいに走って、角を曲がったときに速度を落とした。息を整える間に、近所の人々の噂話が耳に飛び込む。


「ライナルト陛下、また製造所を増やしたらしいぜ」

「また遠征か? このあいだ戦が終わったばっかりだ、出兵は先なんじゃないのか」

「わからんが、あのけったいな武器が増えるのは確かだろ。そもそも作らなきゃ対抗できないし、あれがないと……」

「だからってやりすぎだろ。この間だってトゥーナが……」

「馬鹿、そっちはだめだ。口を閉じろ、誰が聞いてるかわかったもんじゃない」


 ライナルトの名前が聞こえたから自然と耳が向いたといっても過言ではない。

 彼の名前を聞けたからか、現実の人なのだと知ると少し頭が冷静になってくれる。休む場所を求めると公園のベンチが目に飛び込む。

 思考放棄状態で椅子に座るのだが、時間が経つにつれ、やっと自らを省みることができた。

 焦りは禁物だ。これは現実なのだから、冷静にならなくちゃいけない。夢じゃない証明はポケットにある。ライナルトからもらったばかりのブローチが入っていて、走っているときからずっと足にぶつかっていた。

 両手の上に広げたら、ブローチは美しく光り輝いている。感触が嘘じゃないと告げているのだから、現実を顧みなくてはならならないだろう。

 あと少しで陽が落ちる。

 私はどうしたらいいだろう。目指すべきなのは宮廷しかないのだけど、見るからに治安の悪い帝都で、一人歩いて誰にも絡まれずにいられるだろうか。身の安全は大丈夫だけど、黒鳥を使って騒ぎを起こさないとは言い切れない。膝の上の鳥も同じように悩んでいる。


「ひとまず……会うのが先決では、あるんだけど……」


 走り続けた身体が悲鳴を上げている。汗が引いて身体が冷える感覚を味わいながら肩を抱いた。

 ……まだあたたかい時期のはずなのに、この気温はまるで冬の手前だ。

 頭痛を堪える面持ちで額を抑えた。

 転生する前の知識を流用するなら、この不思議な現象がどんな名称として当てはまるのか私は知っている。しかし認めたくない気持ちが勝って、いままでずっと拒否し続けていた。

 間違いなければこれは……。

 そのとき、目の前に誰かが立ち声をかけてきた。


「おい、あんた。ちょっといいか?」


 フードを目深に被っていたせいで相手の顔がよく見えないが、呼びかけは私を無防備にさせるには充分だ。驚いて言動がぎくしゃくとなった。


「な、なに?」

「そこから離れたほうがいい。いまはこのあたりでも、女の人が夕方過ぎて公園で一人でいるなんて、襲ってくれっていってるようなもんだ」


 帰れ、と言いたいのか顎で外を指し示すも、私の反応が薄いのでさらに言い募った。


「上流階級のお嬢さんだろ。酷い目に遭いたくなけりゃ、早く衛兵に助けを求めて迎えに来てもらいな。親を泣かせたくないだろ」

「あなた――」


 フードの奥に見える眼差しはきりりとした男性だが、声は若く私とそう変わらないと……最初は思った。ただそれを確認するには時間も無かったし、それ以前に驚きの行動に出られたからだ。


「忠告はしてやったからな」

「え」


 目の前でブローチを奪われた。

 取り返す暇なんてあったものじゃない。慌てて腰を浮かしたときには青年は走り出していて、待って、と言う前に叫びが木霊する。


「待……」

「忠告料だと思っときな! ばーーーか!!」


 青年は盗人だった。黒鳥を呼べばよかったが、その考えに至らなかったのは驚きが勝っていたためだ。もちろん盗難行為は許しがたいし、すぐに取り返さねばならなかったが、声の主を私はまだ忘れていなかった。追いつけるはずもないのに無駄に駆けて、姿を確認しようとする。

 あり得ないはずの人がいたのだ。

 年齢が違っていたけど、コンラートの地で私の心を救ってくれた恩人のひとりだ。死を実感する前に斃れてしまった、ヴェンデルの兄――。

 

「スウェン……!」


 無我夢中で追いかける。しかし走れど走れど、彼の姿はどこにもない。疲れ果てた私の足ではそれ以上探すのも困難で、道の半ばで呆然と立ち尽くしてしまう。

 通りはもうすっかり暗く、人通りもなくなってしまっていた。道に硝子灯は設置されているが、いくらか壊れてしまっていて、頼りにするには心許ない。

 ぽつんと残されて、思った。

 ……私、どこにいけばいいんだろう。

 頼れる人達はいくらでも思い出せる。キルステンの父さん達に、ゾフィーさん、マルティナ、クロードさんは亡くなったけどバダンテール調査事務所。他にも知り合いはたくさんいるが、不慮の事態が発生しすぎなのだ。また誰の家が近いか安全な道も考えるが、そもそも彼らが実在するのかが頭を過る。

 やっぱり宮廷に行くのが一番なのだけど……ちょうどいいところに、軍人さんが姿を現し、こちら目がけて走ってくる。

 もうなにがなんだかわからない。逃げる気力も沸かなくて降参の意味で両手を挙げていたのだが、彼らは私を無抵抗の市民とは考えなかった。


「抵抗するな。逃げる素振りを見せればすぐに撃つ」


 銃口を向けられた。脅しじゃなくて本気なのは伝わっている。


「事故現場にて白髪の女が表れたと報告があった.貴様がそうか」

「……たぶん、そうです」

「魔法院はどの長老の所属だ」

「所属……」

「あるいは部署だ。言え」

「すみません、なんのことかさっぱり……」


 本当になにがなにやら不明なための質問だった。

 顧問です、と言ってみようとしたところで、苛立ちを隠さない軍人は続けた。

 

「とぼけるな。その白髪は魔法使いの証。お前達は街を闊歩する場合、市民と変わらん服装は厳禁とされている。この規則を知らんとは言わせんぞ」


 意味不明な規則と、判断材料。話を合わせようにも突拍子がなさすぎて口を噤んでしまった。

 思考力が大変残念なことになっている。すぐにでも立て直さねばならなかったが、たった十数秒の間が、彼らの堪忍袋の緒を切った。

 どうする、と目配せした同僚に軍人が言ったのだ。


「構わん、反抗的な魔法使いは処分せよと言われている」


 撃たれるのは銃口を向けられた時点で覚悟しているが、そのくらいじゃ死にはしない。

 とっくに黒鳥は出現している。盾にすれば銃弾も防げるはずだけど、私に害を加えた人間に反撃する、この子を制御できるかが肝だ。

 一触即発と述べても差し支えない事態だ。

 揉め事は避けたいが、状況の改善方法がまるで浮かばない。

 覚悟を決めて命令を出そうとしたら、背後から肩を叩かれた。


「ちょっと待ちなさい」


 黒鳥が萎びて影に沈んでいった。軍人たちは私の背後に目を向けていて、いかにも面倒なヤツにあった、そんな表情を隠しもせずに後ろの人物に口を利く。


「帝都の治安を乱す者を討伐するのは我々の役目だ。我々に口を挟むのはやめていただきたい」

「街中で銃をぶっ放して市民を怯えさせる行為をわたしに見逃せというわけ。それならこちらも正式に訴えてもよさそうね。魔法使いと言えど、相手は抵抗もしないでいたのに、貴重な銃弾を消費して撃ったんだもの」

「不審者をひっとらえるのは――」

「それこそ剣でいいでしょ。見たところあんたたち末端でしょ、もらいたての銃を選ぶ辺り、新しい玩具をもらってはしゃぐ子供? それとも猿なの?」


 挑発的な態度だが、これに軍人達は銃を下ろして腰にしまった。

 振り向けないから顔は見えないが、落ち着き払った人だ。高潔で風格を感じさせる、きりりとした印象の女の人。軍人はやりにくそうで、いかにも犬猿の仲らしいが、女性の方が立場は上そうだ。悔しいのか舌打ちを零すので、態度の悪さも極まっている。

 

「無駄ではない。我々の仕事である。いかに貴女が長老と言えど……」

「わたしの弟子よ」

「なに?」

「この娘はわたしの弟子よ。手ぇ出したら内側から目玉と脳みそがはじけ飛ぶことになるけど、それでも構わないなら来なさいな」

「…………異端者め」

「わかったわー、死にたいのねりょーかい」

「……引くぞ!」


 怒りのない軽快な台詞であったが、彼らに命令していたひとりが片手を挙げると慌てて撤収していく。

 彼らの背を見送ったところで問われた。


「わたしは親切にも見ず知らずの相手が人殺しになるのを止めてあげたんだけど、牢屋へぶち込まれるどころか死罪も阻止してあげたのに礼もなし?」


 振り返るのが怖かった。

 けれど会いたい気持ちと、期待と、失望とがまぜこぜになって、結局は彼女の顔を見たい欲望に負けて顔を見てしまう。


「エル……」

 

 私が撃ち殺した、私の友人が、そこにいた。

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