4.奪われた■■■

 私の呟きに彼女は眉を顰める。


「わたしのこと知ってる……のはともかく、知り合いだったっけ?」

「いえ……」


 私のこと覚えていない?

 喉元までせり上がった声をぐっとこらえる。

 エルの……彼女の名前は間違っていなかったみたいだが、態度は明らかに私を知らない人のものだ。

 

「はっきりしない子ね」

「すみません。……それより、ありがとうございました」


 知っているはずだが……知らない人だ。

 彼女が不快になったのは、なにもお礼が遅れたからじゃない。私が明らかに失望した表情を浮かべてしまったせいだ。

 薄暗闇のなかでも彼女が私の知っているエルじゃないと伝わった。スウェン同様に違いが顕著に表れている。

 スウェンも、エルも、正確な年齢はわからないけど、私の知っている彼らより年を取っていた。少なくともエルは二十代をこえている。お下げの似合う少女から大人へ脱却していて、自信と落ち着きを兼ね備えた女性になっている。

 髪はずっと長くなっていて、横に流した髪が丸みのある毛束を作っていた。短めの外套の下は一般的な装いだが、刺繍入りの前垂れやスカートの刺繍が彼女を魔法使いであると伝えている。

 上から下まで眺めながら観察されていた。


「……見てて苛々する子ね。……で?」

「すみません、で、とは……」

「は?」

「ちょっと質問の意味がわからなくて」

「自己紹介くらいしなさいってこと。さっきの軍人も聞いてたけど、あなたいったいどこの所属よ」

「え、と……」

「まさかその目立つ見た目で未所属ってことはないでしょ。しょぼい魔力の割に変……にしては賢い使い魔だって使役してるんだもの。どっかの長老の隠し球あたり?」

「シャハナ老の……」


 目元がキュッと引き締まった。


「嘘はやめときなさい、シャハナのところの人間は把握してるから、貴女みたいな子がいないくらいは把握してるの。隠し立てようとしても無意味だから」


 シャハナ老のところにも私を知っている人はいなさそうだ。

 また一つ情報が手に入ったのは喜ばしいが、知れば知るほど胸に隙間風が入り込む。

 エルはきかん気のない子供を相手にしているように頭を抱える。


「あのねえ、別に貴女を苛める気はないわけよ。っていうかそれだったら最初っから助けたりしないでしょうが。……家まで送ってあげるから、さっさと吐きなさい」


 ……ああ、このエルは私が知る彼女と本当に違う。

 ちょっと強めの語気が誤解を招きそうだけど、親切心で言ってくれているのだ。

 私もできたら気づかいに応えたかったが、どうあっても期待通りの回答はできない。


「すみません、わかりません」

「あのねお嬢ちゃん。わたしやシャハナの名前を出してそれが通ると思ってるの?」

「ごめんなさい、本当にわからないから、それしか答えようがなくて。家があると思って帰ったはずなんだけど、家が、なくなってたから」


 滅茶苦茶な説明だが、事実と相反することも言えない。いったいどんな言葉を尽くせば彼女に信用してもらえるのか、混乱する思考は、とにかくエルに見捨てられてはならないとばかりを訴えている。


「……素性を明かしたくないのはわかった。でもわたしはそういう相手にまで親切にはできないわよ。さっさとお家に帰りなさい」

「お願い待って!」


 あきれ果て踵を返そうとしたエルの腕を掴む。いつの間にか出現していた黒鳥も嘴でエルの服を掴み、必死になって引っ張ってくれている。

 エルは何故か……黒鳥にひどく驚いて足を止めたので、その隙を狙って捲し立てた。


「泊めていただけませんか!」


 口にして数秒、自分でも唖然とした。

 違う違う違う馬鹿!!

 そうじゃない、ちゃんと説明しないといけないのに、いきなり不信感大爆発のお願いなんかしたらそれこそ不審者だ。


「本当に、嘘をついているわけではなく……! こんなお願い大変厚かましいのですが、私も状況がよくわかっておらず、一体なにがなんだかわからず終いでっ!」


 初対面のエルにはなんて言葉を尽くせば伝わるのだろう。彼女を知っているからこそ好感度ゼロの場合の対処法が浮かばない。普通知っていると思うだろう、だけどわからないものは……わからない!

 

「できましたらこの国の歴史や、どうしてこんなに街が物騒なのか教えていただけませんか。私……私は、ここがオルレンドルとはわかるのですが、その他のことがまるでわからない。どうしてこんなところにいるのかも、まるで!」

「わからないって……」

「お願い、助けてもらえ……」


 言いながら、段々と意識がはっきりしない自分に気付いた。エルの顔が遠くなっていく、視界が勝手に閉じてしまう。頭がぐわんぐわんといきなり回りだして、足元がふらついたのだ。


「……ちょっと? え、大丈夫?」

「あれ?」

「……待った嘘でしょ。あんた魔法使いでしょ、なのになんで」


 皆まで聞けなかった。

 気持ち悪さが胸いっぱいに押し寄せて、視界が暗転し、私の意識は閉じられた。







 冬が終わる前だった。

 ライナルトとこんな話をしていた。


「結婚式、一年後って話をしましたけど、冷静に考えたら皆さんこれでよく通しましたね」

「通したとは?」


 私たちの逢い引きは八割が私から宮廷に赴くことで成り立っている。ライナルト本人が仕事に熱心なのもあるけど、王様業は忙しいし、私たちが出かけるとなれば必ず誰かがついてくる。おまけに冬なのも相まって、自然と室内で逢う時間も増えていた。

 なにをするわけでもない、ただ本を広げるライナルトの肩に頭を傾けているだけだが、その平和な時間がたまらなく好きだった。


「だって一年後って、雪が降る前だけどほとんど冬じゃないですか。私はてっきり春頃に延長すると思ったのに、みなさんあっさり了承するんだもの」

「式はもう少し先が良かったと?」

「そんなこと言ってないですー」


 手は握ってるんだけど、片手で本を開いて読み続けるって器用。

 私もこの人に対してはそれなりに学習しているから、付け足して行くのは忘れない。


「奥さんになるのが嫌なんじゃなくて、ほら、戴冠式のときみたいに行列を組んで大通りを進むんでしょう。みなさん寒いだろうし、延期の声が出ないのが不思議だったの」


 見世物として私たちも屋根無しの馬車に立つのは決定だ。お祭り騒ぎになるのは結婚を受け入れた時点で覚悟していたから、式次の確認でも動揺はなかったけれど、よく冬に決行を許可したと感心した。

 皇帝陛下は「ああ」とこともなげに言ってのける。


「誰も寒いのは嫌だからな。歴代の皇帝達がそうだった」

「はい?」

「寒いから行事ごとを春先から秋にかけて増やしてしまう。そのせいで慶事が少ないから、籠もりがちな国民の気分転換になる」

「……ああ、つまり私たちの結婚にかこつけてお祭り騒ぎをさせたいと」

「タダ酒と多少の金を振る舞ってやれば大人は活発になろう。地方もこれに乗じ多少免税する予定だからな、反対意見も上がるまい」

「振る舞い酒はともかく、免税なんて宰相閣下と帝都の金庫番バッヘム家がよく認めましたね」

「サゥとの貿易が黒字を招いたおかげで比較的余裕がある。それに後宮の無駄飯喰らい達が消えたのでな、売りつけ先を失った商人達に客を回してやらねば恨まれる」

「そこが認めているならいいですけど。……だけどね、皇帝陛下、言い方」

「なに、どうせ■■■しかいない」

 

 お金を配ればほとんどの大人は元気になる。事実その通りではあるんだけど、仮にも皇帝陛下なのだから直接的な表現は避けてもらいたい。

 たしかに前帝の皇妃……後宮に住んでいた皇太后達のお金の消費は凄まじかった。後宮が廃されたいまは、経済を回すためにも、私たちも支度金という名のお金を消費している。免税するといっても方々から御祝いの品が届くのは必須だから、その点を踏まえれば痛手にはならない。

 側室制度が廃されたから、妃になれるのは私ひとりで、最初で最後の、というのもあるし。


「ねえ、注意してるんだから喜ばないで」

 

 困ったことに、この人は私が注意するのを楽しんでいる節がある。困った癖ではあるのだけど、幸せそうに笑んでくれるのが好きな私も大概だ。

 ……悲しくて、騒がしくて、苦しい。そんなことが多かった日々を終えた先に迎えた幸せだ。

 恋人期間を楽しむために得た猶予期間。幸せで胸がいっぱいになるなんて初めての体験で、忙しくても毎日が楽しかったというのに、


 終わってしまったんだ、と……これが夢と気付いて覚醒を促した。






 現実は何も変わってなかった。

 多少違うとしたら、行き場のないこの身にあたたかい寝台が与えられていたこと。

 体温を奪っていく冷たい石材ではなくて、薄くともしっかり綿が詰まった布団だ。部屋は狭くて、調度品も寝台の他は素っ気ない木のタンスが置いてあるだけ。窓から差し込む太陽の光が室内を舞うホコリを反射し、いかにも使っていなかった部屋といった印象だが、上掛けの毛布は干したあたたかさと、ほんのり香草の匂いをくるめている。

 靴は寝台の下に綺麗に揃えられ、机の上に水が張られた桶と清潔なタオルが置かれていた。顔を拭けば眠気は吹き飛んで、ノブを回すと、すぐに居間に繋がった。

 ……第一印象は、散らかった部屋。

 広くはない居間に、ところせましと本が積まれている。フラスコ、宝石、大きな籠類には薬草や道具類が乱雑に重ねられていて、瓶類には乾燥したトカゲや蛇、乾燥茸、虫が詰まっている。服のしまい方も適当で、脱ぎっぱなしの服を置いただけ。吊された薬草類なんかはいつのものだろう。

 生ものはないから臭いはないが、それ以外がすべて汚い謎の特性を持った家だった。


「あんたね、もう昼よ?」


 部屋の中央で、乳鉢でゴリゴリと花の実を潰す彼女がいる。

 頭の上には黒鳥が鎮座していて、器用に鼻提灯を作りながら眠りこけていたが、気にしている様子はない。きつめの印象を与える目元がぎろりと私を睨む。


「まったくねえ、魔力酔いでぶっ倒れるなんて、魔法覚えたての子供がやるくらいの失敗よ」

「魔力酔い?」

「…………冗談でしょ?」

「あ、ああ、ええと、言葉の意味はわかる……と思うのですが、仕組みがわからなくて」

「……いまの魔法使いだったら知らない方が不思議よ」


 ため息を吐きながら教えてくれた。


「魔法使いは大気に混じる魔力を自動的に内に取り込んで変換する。その量が多量だったり、作用がうまくいかなかったりすると酒に酔った感覚を起こすの。……基礎中の基礎でしょ」

「そうなんだ……あ、ふざけてるつもりはないのですが、初めての体験だったもので」

「……演技じゃないのは伝わってる。いまの帝都を知ってるんだったら、白髪の女が夕方の帝都をひとりでうろつけるはずがないんだから、そういう意味を含めてね」


 顎で向かいの席を差し示す。

 彼女の指示通り席に座ると、今度こそ数々の失礼を詫びるべく頭を下げた。


「おはようございます。そして昨日は……助けてくれてありがとう」

「助けたつもりはないんだけどね。目の前でぶっ倒れられたら放置するわけにはいかなかっただけ」

「それでも本当に助かったの。どこに行ったら良いのかわからなかったから、いまあなたの顔を見られてほっとした」


 エルを思い出すからか、口調も少しくだけてしまう。

 お礼の後は自己紹介だ。

 私を知らない彼女に向かって、目を合わせて口を開く。


「私は――」


 …………私は?

 私の名前は■■■だ。生まれついてからの自分の名前なのだから当たり前なんだし、忘れるはずがない。名乗ろうとして、しかしその言葉が浮かばず失敗した。


「私の、名前、は」


 コンラートの■■■だ。キルステンの■■■だ。■■■・キルステン・コンラートだ。

 どれもちゃんと把握している。転生前と違って■■■たる私に欠落はないのに、名前だけがどこにも存在しない。


 …………なぜ?

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