2.知っているのに知らない場所

 背中から伝わるひんやりと冷たく固い感触。目を擦りながら身を起こすと、暗闇の中にいる自分にぎくりと身をすくめる。

 明かり一つささない石造りの部屋。松明すらなく真っ暗なはずなのに、視界は良好で、どこになにがあるもはっきりしている。暗闇といえば皇太后一味に誘拐された際の記憶が新しいが、あのときのことを思い返さぬよう、深呼吸を繰り返して気を落ち着ける。

 服も身体もどこにも異常はないが、無我夢中で足元を探ると手の内にふんわり柔らかい感触が生まれた。手の平に乗る程度の丸っこい小鳥が身を寄せてきて、私の精神は少しだけ持ち直した。闇よりもなお深い漆黒の塊でも、一対の丸い点々の目が、私は完全にひとりじゃないと思い出させてくれる。

 ……ここはどこ、と言いかけて気付いた。

 私は石棺の中にいたらしいが、そこはかとなく漂う黴の臭いに覚えがある。こんなに湿気はなかったはずだけど、それは微かに開いた重厚な石扉の向こう側から漂っている。

 私が寝ていた長方形の容れ物を、慎重に降りればそれは祭壇らしきものの上に設置されている。さらに床には割れ落ちたであろう蓋が無残にも散らばっていたのだが、もしこれが元の形そのままで蓋となっていたら、私では開けられなかったに違いない。


「あなた、なにがあったかわかる?」


 黒鳥に尋ねても、首を横に振った……と思しき動作と感覚から、この子は何も知らないとわかった。つまり私たちは総じてなにがあったか不明なのだが、ひとつだけはっきりしているとしたら……。


「ここ、地下遺跡よね」


 オルレンドル帝国は地下。むかしむかし、まだ神秘が世に溢れていた頃、最初で最後の精霊の王様が、ある精霊を封じるために作った地下遺跡。私はそこで半精霊の友人の力を得て、そこに閉じ込められていた純精霊を解放した。

 本来ここにいたのは地面に届くほどの美しい黒髪を持つ少女。この世界で亡くなった、とある異世界転移人と再び巡り会うため、異世界召喚の魔法を作り出し、転生人達を生み出した。それゆえに仲間に異端とされた存在なんだけど――。

 寒気を覚えて身を震わせた。

 ……ここは彼女を解放した玄室だ。それも石棺がある以外はそのまま部屋の造り。

 記憶と食い違いがあるとしたら、ここには石棺なんてなかったし、解放後は魔法院が壁に調査用の硝子灯を設置したはずだ。

 あの精霊が生きているはずはない。

 遺跡から解放したとき、彼女はもうとっくに存在を弱らせていた。いまでは解けて消えているはずなのに、どうしてだろう。気絶する前に遭遇した人物。鈴の音を慣らすような声音。痩せ細り、見る影も無かった異形があの純精霊に思えてならない。

 手の平をつつく感触に、現実に還る。

 そうだ、それより早く外にでなきゃならない。

 試しに周囲に呼びかけてみたが反応はなかった。地下はかなり入り組んでいるはずだけど、私ひとりで外に出られるかな。


「私ひとりじゃ出られそうにない。なんとか外への案内お願いできない?」


 黒鳥が宙に浮き、ぽんと音を立てれば一瞬のうちに大きくなる。

 鳥の体をしたこの子が従来の鳥類と違うとしたら足が異様に長く、手足の爪が太く鋭い。この嘴の内側には哺乳類を真似た歯が並んでいるけれど……。

 真正面に備わった単眼の瞳がくるんと私を見つめていた。

 私は元々魔法の才の無い人間だった。

 いまは手助けがあるとはいえ、未熟なのは変わりなく、魔力貯蔵量すら半人前に及ばない。このため巨大化は魔力維持が大変だ。地上に出るため、勇み足になっていたら違和感に気付いた。

 五感が鋭くなっている。

 肌をちりちりと刺す感覚に、黒鳥が目を細めながら身をすり寄せる。

 石扉を抜け、薄気味悪い地下遺跡に靴音を鳴らしながら呟いた。


「認識阻害も働いてないしあちこちに魔力が満ちてる。消費量も少ないのはなんで……?」


 遺跡は完全に沈黙している。ここはかつて強制的に異世界転生を果たした転生人たちが、死後に魂を鹵獲された場所だ。純精霊が生まれ変わりの祝福を与えなかったため、怨嗟のあまり術式と化してしまった彼らも消え失せ、機能も死んでいるはずなのだが……。

 歩いているだけで自然と魔力が補充されている。受け皿が私のせいで補填は微々たるものだけど、息をするだけでこれまで嗅いだことのない匂いや空気を感じる。

 微かにだけど、一定の道を辿ればそちらから済み通った空気が流れてくる。黒鳥の誘導もそちらを示しており、時間はかかったものの、道を間違えることなく地上へ辿り着いた。

 本来ならここで諸手を挙げて喜ぶべきなのだけど……。

 口を突いたのは「なんで」だった。

 私の考える地上への脱出口とは、即ちオルレンドル帝国の中枢部たる『目の塔』やその他の外部に繋がる出入り口だった。だというのに突然壁が開いた先は地下墓地だ。

 隣家にあったはずの地下墓地は『目の塔』に繋がる道でもあったが、ライナルトが皇位を簒奪する際、追っ手を防ぐために爆破された。いまでは瓦礫も撤去されたが、改めて道は封鎖され、いまこの入り口は存在していない。

 地下の様子が私の知るものと違いすぎる。

 恐怖で黒鳥に身を寄せた。

 まだ遺跡が発見される前の話だ。遺跡に繋がる道を隠すための犠牲として、人柱にされた人々はこの地下墓地に安置された。彼らは別途埋葬されたはずなのに、横穴にはいまだ遺体が残っている。昔の記憶そっくりそのままの状況は私をおののかせるには充分だった。

 昔と違うとしたら、いまの私には黒鳥がいること。ぬくもりをつかず離れずであたえてくれながら、しかし守るように飛び出すと、雰囲気が変わった。

 空気がざわめいた。黒い霧が周囲より生まれ、地面を侵食しながら飛び出してくる。黒霧がまるで意思を持ちながら蠢き、怨嗟を放ちながらいくつもの人の形を作った。顔の部分に生まれたむき出しの眼球たちが私たちを認識し、囲み始めるのだが――。

 カツン、と地面をなにかが叩く。


『待て』


 老人が彼らを留める。

 杖を突いた初老の男性は、肩まである白髪と古めかしい装いに身を包んだ人だ。身分の高い魔法使いらしいが、生きていないとわかったのは、身体が透けていたから。七体の人影達は老人の背後に下がり、居所なさげに揺らめいている。

 はっきりいって大変気味が悪い。

 しかしながら、悲しいかなこういった状況になれてしまったのも私だ。それにこの事態は予測不可能でも、後ろの黒い人影達を見るのは初めてじゃない。

 なぜ老人の言うことを聞いているかは不明だが、これらは隣家に初めて侵入したとき、私を取り込もうとした彼らだ。


「あ、あの……」

『脱されたか』


 おそるおそる切り出すも、まるで聞いていないご様子。老人はこちらを見ていながら違う誰かに語っていた。


『おわかりでしょうが。これは記録にございます。もはやこのわたくしには、貴女が如何様な手段で脱出をされたのかはわからない。ただこの身を以て封印と化したのは、我が一族に授けられし宿命を成すためにございました』


 深々と頭を下げられたのだからたまらない。


『外部からの侵入ではなく、自力での脱出。ならばわたくしには止める手立てがありませぬ。我が生涯を賭した死霊術もこれにて終いでございます』


 言うだけ言って姿がさらに希釈されていく。老人が消えるのと一緒に黒い霧たちもまた透明になっていくのだ。かつてみた、人を憎むだけ、誰かを陥れる面影はなく、悲しみにそまりながらも人らしさを取り戻している。


『それでは――どうぞ、この世がまだ貴女様にとって、救いであることを祈って……』


 言い終える前に消えてしまった。

 残された方はぽかんと口を開くしかない。彼らが攻撃を加えてくれば、魔力を乗せた爪が切り裂いただろうに、こころなしか構えていた黒鳥すらも戸惑い気味だ。

 なにが……なにがなんだが、さっぱりわからない……!

 よろけがちな足をふっさりとした黒鳥が支えてくれる。

 いつまでもここにいたって仕方がないから歩き出すが、寝そべった亡骸達は、以前ほど不気味には感じない。

 襲ってこないなら生きている人間ほど面倒じゃないと考えるのは、私もいくらかライナルトに染まってしまったせいかな。暗く長い道を抜けてきたせいか、変なところで気が抜けてしまった。

 安心させようとする黒鳥の体を撫でた。


「……わかってる。エレナさんとヘリングさんもいないものね」


 隠し墓地を抜けた先は厨房だが、愛すべき隣人達はいなかった。家具すら入っておらず、友人夫妻が引っ越してくる前の状態そのものだ。

 地下から階段を上がり、上階へ。薄暗い廊下を抜け玄関に手を掛け、鍵を外す。


 「ありがとう。ここからは外になるから、姿を戻して影に戻っててね」


 ようやく外の世界に脱出できた。

 だけど――だけど、ああ、私の考えが甘いのは相変わらずだ。冷静でいたつもりでも混乱状態を脱していなかった。

 この奇怪な状況、壊したはずの出入り口が残ったままで、隣家の人々がいないのなら、どうして家の皆が残っていると希望を残していたのだろう。

 誰もいない可能性を除外するのが怖かったせいなのかもしれないが……ともあれ、扉を出てたった数秒後に私は現実を目の当たりにする。

 まず飛び込んできたのは、眩しいくらいの朱の陽射し。夕方に差し掛かった頃の、沈みかける夕陽がもっとも輝く時間帯だ。たまらず目元を片手で庇い、目が慣れた頃に腕を降ろす。

 人通りは決して多くなかったが、通りすがりの人がぎょっとした様子で私を見て、慌てて目をそらす。ある人は無視して通り過ぎていく姿を眺めながら、何度目かもわからず立ち尽くす。

 視界に飛び込んでくるお向かいのバダンテール宅は、クロードさんが買い取る以前のままだった。

 比較的裕福な人が多くて治安は良かったはずなのに、街はどこか雑然としていて、行き交う人々も笑顔が少なくせわしない。遠くに視線を飛ばせば、本来ここから見えるはずのない位置から、あちこち煙が上がっている。

 はじめは火事かと思ったけれど、違いに気付いた。あれは鉄を打つ炉の煙だ。生産などを担う工業区画にあるはずの煙が、こんなところでも上がっている。


「どういうこと……」


 後ずさると、背中から扉にぶつかった。

 隣の家の玄関が開く。反射的に顔を向けると、見知らぬ親子が笑いながら出てきた。

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