第5話:何で急に脱いでいるのですか!?

 丸太の階段での決意の後、3人は足早に壱吉の家へと戻って行った。元藩主の嫡子とは思えない藁葺屋根わらぶきやねの小さな家だった。障子を張り替える余裕すら無いようで、所々破れたままだった。


 壱吉は、積もる話を夕食に預けて、風呂の準備をしてから土間へ向かって食事の準備を始めた。


 一番風呂は、瑠璃猫である。

 日中の疲れを洗い流した瑠璃猫は、湯上がりの暖かさも相まって、頬は薄紅色に熱を帯びていた。恰幅の良い辰風に合う寝間着は用意出来なかったが、線の細い彼女には、母親である澄世が使用していた白絹の寝間着が用意されていた。どうやら洗い立てであり、肌触りは心地良いらしい。


 その後、辰風が足早に入浴に向かっていった。


(さすが腐っても元藩主だ。しつけが行き届いてやがらぁ)


 辰風は、風呂の中で一息を吐きながら、どこか父性にも似た感情を巡らせて頬が緩ませていた。そして緩んだ表情のまま、土間に向かうと、


「あ、天ヶ斎さん。今、煮物が出来ましたので、良かったら召し上がって下さい」


 すでに白絹の寝間着に着替えた瑠璃猫は、正座をして、囲炉裏に吊るされた鍋を見つめていた。古びた鍋の蓋はぐつぐつと煮え立っており、芳醇な香りが家屋全体に漂っていた。


「こりゃ本当に良く出来た子どもだ」


 辰風が感心をしていると囲炉裏を囲むように、すでに食膳が用意されていた。それぞれに茶碗と空皿、湯呑が配膳された質素なものである。しかし2人の茶碗には、すでに湯気の立ち込める白米が山を成して盛られていた。炊き立てのご飯の香りは、特に鼻孔をくすぐった。辰風は腕まくりをしながら、席に着く。


「多めに作りましたので、たくさん食べて下さい天ヶ斎さん」


「辰風でいいよ」


「分かりました。では、えっと…瑠璃猫さんは、どう呼べばいいですか?そもそも苗字と名前は何ですか?」


 瑠璃猫は、相変わらず表情を変えず佇んでいて、語る素振りも見せない。そんな彼女の様子を悟ってか、辰風は茶を啜りながら、


「瑠璃猫で良いよ。実妹だが、俺と同じ天ヶ斎という苗字は、当て嵌めなくて良い。瑠璃猫——それが、妹の名前だ」


 意味深な発言ではあったが、それぞれの家庭の事情があるのだろう。壱吉は初対面という関係性を考慮して、これ以上の追及は辞めた。


「では辰風さん、瑠璃猫さんと呼ばせてもらいますね」


「あぁ、そうしてくれ。すでに呼んでいるが、俺も変わらず壱吉と呼ばせてもらう。しかし、初対面の俺たちに、ここまで、おもてなしして貰ってわりぃな」


「とんでもないです。母ちゃんが、地位や名誉が無くなっても、他人を思いやる心は無くしちゃいけないと口酸っぱく言っていたので。それに母ちゃん以外の誰かと食事出来ることが、すごく嬉しくて…」


 辰風と瑠璃猫は、手を合わせた後、早速煮物を頬張る。根菜類は甘い醤油が染み渡っていて、風呂上がりの火照ほてった身体に丁度良い塩梅だった。


 身に付けている衣服や家屋の貧相さからも鑑みるに、決して裕福な食事は望めない。しかし、壱吉の人柄が籠った温かみのある味付けは、絶品だった。仮面を被ったかのように無表情の瑠璃猫だったが、「美味」と一言感想を述べて、頬を緩ませていた。


 しかし今回、辰風と瑠璃猫は旅の疲れを癒すために、宿泊したのでは訳では無い。壱吉は、胡座を掻いて食事を頬張る辰風の隣に置かれた大剣を一瞥いちべつして、ごくりと唾を飲み込んだ。


 大剣と言うよりも、石斧と表した方がしっくりと来るような仰々しい鉄の塊。

 そして辛うじて、柄の形状をした持ち手に巻かれた包帯に付着した手垢と血痕の数々。


 それらは、辰風の言うはなという聞き慣れない者に、幾度となく対峙してきた歴史を人知れず語っているようだった。壱吉が煮物を頬張りながら、大剣を眺めていると、


「そろそろ本題に進むとするか」


 辰風は、頬張りながら話題を切り出した。

 壱吉は、咀嚼していた根菜を急いで飲み込むと「お願いします」と2人を見つめた。


「俺が再三、はなと言っているが、まずはなについて話そうか」


 すると辰風は、箸で壱吉を指すと、


「まずは質問だ。人間は、死んだらどうなると思う?」


 唐突な質問だ。しかし聞き慣れないはなと言う者を知るためには、重要なことなのだろう。


 壱吉は、少し悩んだ後に、


「一般的な回答しか出来ませんが…幽霊になる……とかですか?」


 辰風は「その通り」と頷いて、人差し指と中指を立てた。


「人間は死ぬと、この世を去って霊になる。それが一般的だ。しかしもう1つ成れるものがある」


 そう言って、人差し指を折り畳む。そして残った中指を見つめて、


「霊以外にもう1つ——それがはなだ。つまりはなに成るには、一度死んでいることが条件だ」


 死ぬことが条件。

 まるでそれが世界の常識でもあるかのように、辰風さんは簡単に言うが、腑に落ちない。


「まぁ聞き慣れない存在を知るってのは、いつだってそう簡単に受け入れられるものじゃないだろう。だが、これが現実だ」


 …分かりました。

 とりあえず人間が死んだら、霊と華の2つに成ると覚えておきます。


 では、その2つの違いは何ですか?


「そう…そこが重要だ。霊は現世に現れることはなく成仏をして、来世へと転生をしていく。しかし華は違う。華は、だ」


 現世に転生…!?

 それは、どういう意味ですか。


「言葉通りの意味だ。生に対する強い執着を持って死んだ者が、現世に転生した姿がはなだ。ただし、通常の人間として転生することは無い」


 通常の人間では無い、ということは……。


「そう。奴らは獣として、異形として、そして何よりとして——現世に転生する。華に成るには、人間であることを捨てなければならないって訳だ」


 人間を捨てなければならないって…。

 想像も付きません。そこまでして現世に生き残りたいものですか?


「そこまでして、生き残りたいから転生するのさ。人間であることを捨ててでも、現世に生き残りたい。その強い執念が、人智を超えたはなという脅威に成り上がる訳だ」


 人智を超えた脅威……。


「壱吉…ここまで話せば、何となく理解出来てきたんじゃないか?身近に人智を超えた脅威が居るだろう」


 ここまで話されると、壱吉の頭には、1人の人物しか思い浮かばなかった。


 半裸に派手な金色の襦袢を羽織った憎たらしい男の勝ち誇った表情が、去来をする。

 先日、刺客として挑んだ母親の凶刃を右手で受け止めて、人智を超えた脅威と狂気の渦中で惨殺をした憎たらしい男——そんな人物など、たった1人しか存在しない。


 壱吉は、震える唇で、その名を口にする。


「…望月……堂山…」


 辰風と瑠璃猫は、神妙な顔付きで壱吉を見つめた。壱吉は、その視線に応えるように、さらに言葉を続ける。


「もしかして3年前、堂山が、急に名乗り出した鉄鋼黒蟻というのは……」


「…捨てちまったのさ。望月堂山は——」


 辰風は、歓喜とも捉えられる黒い感情を滲ませて、


「——自らが人間であることをなぁ…!」


 にやりという擬音語が似合うように、口角を上げて不敵に笑ってみせる。辰風の話す内容は突拍子の無いようにも思えたが、何故が信憑性があった。


 脳裏に焼き付く望月堂山の残虐な性格、そして人間という枠組みを超越した力が、人外であるというならば少し腑に落ちる。むしろ人外であるからこそ成り立つ力と思えば、納得が行く。


「そう言えば右腕に包帯を巻き始めたのも、3年前だ…」


 意味深に巻かれた包帯も、普段は人外の力を隠すためだったのかもしれない。そう考えると、妙に腑に落ちる。


「つまり堂山は、実は死んでいて…今の姿は、鉄鋼黒蟻というはなに転生した姿ということですか?」


 壱吉は、確かめるように、辰風に問う。

 辰風は丁度食事を終え、茶碗を置くと茶を啜った。そして「ふぅ」と一呼吸を置いて、


「望月堂山に直接会ったことは無いが、壱吉の話を聞くだけだとそうだろうな。3年前に両親を襲撃したが、実は殺されたのはだった。そして鉄鋼黒蟻に転生することで、藩主の座を奪い取った。憶測でしか無いが、大体このような流れだろう」


「…そんな簡単に、はなに転生って出来るものですか?例え人外に成るとしても、現世に残ることが出来るなら、世の中ははなで溢れ返ってしまいますよ」


 壱吉の疑問は、至極真っ当なものだ。

 辰風は、まるでその質問を待っていたかのように「鋭いな」と言葉を返す。


「もちろん世の中、そう簡単なものじゃねぇ。死ぬだけなら、ただの霊に成るだけだ。しかし居るのさ……人間の魂をはなへと昇華させて、自らの眷属けんぞくにさせている神様気取りのくずがなぁ…!」


 辰風は眼が見開き、拳をぎゅっと固く握る。感情に合わせて語尾も強まっていった。

 それは、怒気にも殺意にも似た底無し沼のように、黒く冷たい感情だった。心無しか、感情の起伏が感じられない瑠璃猫の表情にも、同様の翳りが窺えた。

  

 壱吉は、2人が放つ威圧に、思わず固唾を飲み込む。


「俺たち兄弟は、その元凶の屑を見つけるために、はな共を狩る旅をしているって訳さ」


 すると瑠璃猫が「剣。一緒」と呟いた。

 彼女の言葉に、辰風は隣に置いた仰々しい鉄の塊を一瞥して、


「あぁそうだな。退華たいかつるぎも一緒だ」


 まるで長年連れ添った家族でもあるかのように、ごつごつとした岩のような刀身を優しく撫でた。


「この剣は、汚れたはなの魂を清め祓う唯一無二の剣だ。こいつが隣に居たから、血で塗り固められたこの旅を、ここまで続けてこられたのさ」


 清め祓う——という言葉が似合わないほどの仰々しい威圧を放つ大剣である。どちらかと言えば、すベてを無惨に叩き潰すかのような勢いのある大剣だが、どうやら第一印象とは異なるらしい。


はな共を狩り、元凶を追い掛ける旅。これが、俺たち兄弟が背負う旅の理由だ。望月堂山個人には、一切の感情は持ち合わせていないが、そいつがはなである以上、素通りをする訳にはいかない。顔も知らねぇが、渾身の恨みを持って、叩き潰してやる」


 壱吉にとって、2人がここまではなを憎む理由は分からない。彼らが背負う十字架の重さは、彼らにしか理解出来ないことだが、もはや恨まずにはいられない宿痾しゅくあと言っても過言では無いだろう。

 

 ただ1点、その得体の知れないはなを熟知し、対峙することが出来るのは、この2人を置いて他は居ないということは理解出来た。


「しかし少し腑に落ちねぇ所がある…」


 辰風はそう呟くと、訝しそうな表情で、壱吉へ視線を移した。


「辰風さんは、何が気になるのですか?」


「さっき俺は、はなは“死ぬこと”と“人間を捨てること”の2つが条件と言ったな。人間を捨てるということは、それまで人間として生きてきたも同時に捨てるということだ。つまり壱吉が、堂山のことを」「辰風」


 そう言葉を続けていた最中、瑠璃猫が、突如として言葉を遮った。そしておもむろに立ち上がる。


 今まで物静かに佇んでいただけに、瑠璃猫が遮るように発言したことは意外だった。


「瑠璃猫さん。どうしました——わっ!」


 壱吉は、視線を彼女へ動かすと、驚愕の光景が視界に飛び込んだ。

 

 迷いの無い動きで、着ていた白絹の寝間着すベてを脱いだのである。また立ち上がっていたため、肌の一切が隠れることなく、全身があらわになっていた。


 辺りの暗がりでも映えるような瑠璃猫の雪のように白い肌は、心許ない囲炉裏の篝火かがりびに揺れて、まるで蝋のように美しい。


 頭から足の爪の先まで、流れるような柔らかい身体の曲線は、一つの芸術を眺めているかのような感覚にも陥る。上質な絹よりも肌触りの良さげな、彼女の肌は、一点の曇りなくどこまでもなまめかしいものだった。


「ちょっ…ちょっと瑠璃猫さん!何で急に脱いでいるのですか!?」


 突如、あらわとなった、自身と同年齢ほどの女性の裸に、困惑をしながらも釘着けとなってしまうことは男としてのさがだろう。壱吉は、紅潮をしながらも、年相応に膨らんだ胸の膨らみを見——「おっと。そこまでだ」


 すると、辰風の声と共に、分厚い皮をした指が彼の視界を遮って暗転した。


わりぃな。ご覧通り瑠璃猫は、喜怒哀楽すべての感情が欠落していて恥じらいも無い。ただ嫁入り前の妹の肌をそう易々と見せる訳にもいかねぇから…まぁ我慢してくれ」


「た、確かに女の子の肌を見るのは良くありませんが。ど、どうして急に脱ぐんですか…!」


 視界が暗転したことで、かえって彼女の産まれ立てたの姿が脳裏に焼き付いてしまったことは、言及しないでおいた。


 すると当の本人である瑠璃猫は、全裸という羞恥的な状態とは思えないほど、抑揚の無い口調で言葉を紡ぐ。


「辰風——敵襲」


 それは、壱吉の予想の範囲外から投げられた言葉だった。

 辰風に視界を遮られていることも相まって、より一層不安が加速する。


「て、敵襲!?どうして急に、むぐっ」


「火急のことだ。少し手荒だが黙っていろ」


 そう言って今度は、口元を塞がれた。

 視界と発言を遮られたことで、今後は聴覚が鋭敏になる。瑠璃猫の方向からは、衣服に着替える布の擦れる音と、鉄が動く金属音が聞こえた。その金属音は、どこか物騒さを孕んでいて、これから開始される怒涛の展開を予感させるものだった。

 

「瑠璃猫。敵は、どこから来る?」


「…南」


「人数は?」


「11……否。12」


「武装しているか?」


「…日本刀。他。金属音。聴取」


「こんな夜に、わざわざ山奥に来る奴らなんざ限られているな。くく…話が早くて助かるぜ」


 普段から行っているかのように、2人は阿吽の呼吸で状況を確認する。口調に笑いを孕んでいたことを裏付けるように、壱吉の眼と口を塞ぐ指は、微かに揺れていた。


(武者震い…いや喜んでいる!?)


 指を通して、辰風の狂気が加速して行く瞬間を味わった。

 それは、形容し難い不気味さを孕んでいた。人知れずすくんでいると「指を離すから大声を出すなよ」と釘を刺された後、視界が開く。


 眼前には、道中に来ていた紺色と花柄の刺繍が印象的な衣服に着替えた瑠璃猫が佇んでいた。


 そして手には猫の手を模した手甲を嵌めており、先端には根本から先にかけて内側に湾曲した刃が顔を覗かせていた。篝火を反射して銀色に煌めくそれは、日本刀にも劣らない鋭利な鉤爪かぎづめだった。


「か、鉤爪…!」


 猫を模した手甲という愛らしさから掛け離れた鋭利な鉤爪の脅威に、壱吉は思わず唾を飲み込む。壱吉の身体の中で、唾が咽頭を通る音は、轟音にも感じた。


 全く状況が読めない。

 これから何が始まるのかも、皆目検討が付かない様子で狼狽うろたえる彼を他所に、2人はそれぞれが武装をしていく。


 辰風は、左肩の龍を模した大袖を装着すると、床に置いていた大剣の柄を握って立ち上がった。特徴的な黒い外套が、怪しくはためいた。そして鉤爪を装着した瑠璃猫に、視線を移して、


「瑠璃猫。戦闘には参加するなよ。あくまでも、壱吉と自己防衛に努めるように。分かっているんだろうな?」


 釘を刺すように、鋭い眼光で、彼女を見つめる。


「戦闘。参加。希望」


「駄目だ。我儘わがままを言うんじゃねぇ」


「…不満。爆発。寸前」


「何を言っても駄目だ。手綱を握るのは俺だ」


「……にゃあ」


 瑠璃猫は不貞腐れたように、言葉を吐き捨てた。相変わらず無表情だが、彼女の感情は、第三者から見ても分かる様子だった。


 辰風はそんな瑠璃猫を他所に、鋭い眼光を、彼女が語った南の方角へと移す。そしてまだ見ぬ敵の姿に向けて「始めるか」と不敵な笑みを浮かべた。


「た、辰風さん。ちょっと待ってください!急過ぎて何も分からないです。一体、何が始まるんですか!?」


 壱吉の狼狽ろうばいは、至極当然の反応かもしれない。置き去りにされたままの彼にとっては、ただただ不安を煽るだけにも感じていた。


「こんな山奥に、武装して来る奴らなんて限られているだろう。むしろ、こちらから出向く手間が省けて助かるってもんだ。夜に隠れて襲撃しに来るのも、はならしい意地汚さで、益々嬉しくなるぜ…」


はなってもしかして…」


 不安が現実的となって、波のように押し寄せて来る感覚だ。辰風は、大剣の柄を力強く握ると、


「くく、決まってんだろ——鉄鋼黒蟻のお出ましだ」


 辰風と瑠璃猫の放つ雰囲気が、一瞬にして、どこまでも黒く冷たい深淵のような殺意に包まれていくのを感じた。

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