第4話:望月壱吉の気持ち

「母ちゃん、今まで守ってくれてありがとう。ゆっくり休んでね」

 

 望月壱吉もちづきいちよしは、沈みゆく夕陽を背に、簡易的に造られていた墓石に手を合わせて呟く。その小さな背中は、現実を受け止めきれない様子で、小刻みに震えていた。


 その様子を辰風と瑠璃猫は、木陰からただ黙って見守っていた。


 ここは、村から離れた川のふもとである。茂みに隠れるように建立された墓石には、望月澄世もちづきすみよと彫られている。これは壱吉自らが懇願して彫ったものだった。


「母ちゃんは、この川で夕焼けを見ながら散歩することが好きだったんです。地位や名誉、お金よりも、家族との何気ない散歩を喜ぶ…そんな人でした」


 春の夕暮れもまた一瞬である。

 作業を開始した昼下がりは、沖天に浮かんでいたはずの太陽も気が付けば、遠くの山々に窮屈そうに入り込もうとし始めている。もしかしたら人間には聞こえない声で、お互いに文句を言い合っているかもしれない。


 それが合図であったかのように、空は橙色の布地を回収するように、奥から次第に暗転し始めていた。それを皮切りに、壱吉は手合わせを緩めて、ゆっくりと立ち上がった。そして、後ろで佇む辰風と瑠璃猫に一礼をして、


「初対面なのに、一緒にお墓も造って下さりありがとうございます。こんなに親切にされて、母ちゃんも喜んでいると思います」


 穴の開いた薄汚れた麻の衣装は、土と汗で更に汚れており、肌に密着をしていた。瑠璃猫が言った墓を造るという意見に、必死に応えた証拠でもあった。


「何も、そこまでかしこまることはねぇよ。俺も瑠璃猫も同じ血の通った人間だ。余所者だが、飯の不味くなるような光景は、好き好んで見たいとは思わねぇからな。寧ろしんどいのは、これからだぜ」


 辰風は、そう言うと壱吉へ近付いて、濡れた布を渡す。ぶっきらぼうに、「拭きな」と語る辰風の手も土が付着していた。そして辰風は、言葉を続ける。


「お前の父親である元藩主の望月源斎のこと、そして望月堂山と氷川暁のこと。それらを、話してもらおうとしているんだからな。わりぃが、もう少ししんどい思いをさせるぜ」


 壱吉は、辰風を見上げて、静かに頷く。


「もちろんお話します。ただ僕にも、教えて下さい。あなたたちのことや望月堂山のこと。そしてあなた達の知る鉄鋼黒蟻のことを」


 辰風は、口角を上げて「利害の一致だな」と答えた。それに呼応するように瑠璃猫も「承知」と一言呟いた。


「今夜はこのまま僕の家に泊まってください。狭くて寝心地も良くないのですが…」


「なぁに。暖かい布団で何不自由なく眠るより、冷たい岩で雑魚寝をする方が、性に合っているもんでね。それに俺たち兄弟に、そこまで気を使うことはねぇよ」


 辰風は、大柄の体格の通り、大雑把で細かいことは気にしない性格のようだ。しかし対する瑠璃猫は、表情こそは変化していなかったが、「布団。希望…切実」と呟いていた。線の細い見た目も相まって、辰風とは対極的な印象が拭えない。


 壱吉は、返答に困ったように、苦笑いでその場をやり過ごした…。 



 ◇◆◇◆



 河原から少し歩いた箇所に、雑に林を切り開いた山道の入口がある。そこから獣道を登って行かなければ、壱吉の家には辿りつかないようだった。


 元々は藩主・望月源斎の嫡子として、城に住んでいたのだ。それが今は、森の奥深くで息を潜めるように住んでいるから、落差はひどいものだ。それだけ望月堂山による冷遇には、眼に余るものがある。


 壱吉は、視界の悪い獣道を提灯ちょうちんで灯しながら、望月堂山について語り出した。


「元藩主の源斎…つまり父ちゃんは兄で、望月堂山は弟です。代々、望月家は、藩主を勤めていたのですが、兄である源斎が藩主を受け継いだことが気に入らなかったようです」


 壱吉は静かに語りながら、「でも」と言葉を続ける。


「でも…堂山は、あんなに気性の荒い性格じゃなかった…。弟なので立場上、藩主を認められなかった歯痒さは持っていたと思いますが、父ちゃんに助言をしたり友交的でした」


「何かきっかけでもあったのか?」


 伸び切った雑草や枝は、壱吉と瑠璃猫にはあまり邪魔にならないようだ。辰風ほどの背丈の高さや恰幅の良さは仇になったようで、鬱陶しそうに払い除けながら、質問をする。


「きっかけ…ですか。それが僕たちにも分からないんです。溜まっていた鬱憤うっぷんが爆発したと言えば、それまでですが…。3年前に突如として、父ちゃんと母ちゃんは襲撃されました。その後です。氷川暁という女の人が堂山の隣に突如現れて、堂山は自らを鉄鋼黒蟻と名乗り始めました。きっと堂山と氷川暁の2人が企てて襲撃したはずなのですが……しかしのです」


「ほう…とな」


 壱吉の後方を歩く辰風と瑠璃猫だが、自身の発言で何か確信を得た様子であることは背中越しに伝わった。


「壱吉。質問を変えようか。それじゃ、襲撃されて生き延びたはずの母親でも誰に襲撃されたのか分からないということだな」


 確信に一歩ずつ進んでいる。そんな奇妙な感覚が、壱吉の背を這い寄った。


「…そういうことです。目の前で襲撃され、顔を見たはずの母ちゃんでも、堂山と氷川暁に襲撃されたと言い切れなかったんです。でも…その2人以外あり得ません!」


「確認するぞ。両親が襲撃されたのは、何年前かもう一度言ってくれ」


「…3年前です」


「さっき言った氷川暁という女が、堂山と関わり出したのは、いつだ?」


「…3年前です」


「…最後だ。堂山が、鉄鋼黒蟻を口にし始めたのは、いつだ?」


「……3年前です」


 辰風は、その後「なるほどな」と一言だけ呟いて、質問を辞めた。その一言を最後に、辰風と瑠璃猫の放っていた柔和な雰囲気が、底の無い薄暗い雰囲気へと一変した。肌を刺すような殺気が、壱吉の背中を突き刺す。


 3年前の襲撃。

 誰も記憶に無い。

 望月堂山。

 氷川暁。

 鉄鋼黒蟻。


 今まで散らばっていたそれぞれの要素が、今、足音を立てながら、1つの場所に歩み寄っているような感覚である。


 自分の話で、背後の2人は確実に何かを悟ったに違いない——壱吉は、その気持ちを確かめるように、ごくりと大きく唾を飲み込んでから、


「…お2人は、僕の話で、何か分かりましたか?」


 恐る恐る、口にした。

 すると辰風は、一言だけ「あぁ」と呟いた。後ろこそは振り返らなかったが、返ってきた口調は、歓喜とも狂気とも捉えられる独特の抑揚を孕んでいた。


「壱吉、出会えて良かったよ」


 辰風は、表情に底無しの暗黒を含ませながら、


「くく……しっかりとはなが、関わってやがる…」


 辰風は、確かにそう答えた。不思議と、歩行に合わせて揺れ動く大剣の金属音も、歓喜しているかのようだった。


 辰風が口にするはなという聞き慣れない用語。

 その用語を確かめようとした矢先、山頂付近で古びた鳥居が視界に入ってきた。


「ここを登ると、僕の家です」


 鳥居の朱の塗料は所々剥げており、茶色に変色した錆が顔を出していた。雨風に晒されたままで、誰も手入れを施した様子はない。時代に取り残されたような鳥居を潜り抜けると、山の傾斜に沿って段差となるように削った階段が伸びていた。


 階段と言っても、段差の区切りに大人1人分の横幅の丸太を埋め込んだような簡易的な造りだ。

 壱吉と、母親である澄世の2人で造った素人の階段である。決して立派な代物ではない。しかしずっと生活を支えている重要な階段だ。


 壱吉は、階段を登ろうと一歩足を踏み込んで、歩みを止めた。まるで登ることを逡巡しゅんじゅんしているかのようである。壱吉の立ち止まりに合わせて、辰風と瑠璃猫も足を止める。


「おい、どうした。ここを登らねぇのか?それとも疲れちまったか?」


「…ここは、僕と母ちゃんの最後の思い出の階段です。堂山の下っ端を蹴散らして、墓も建立してくれたあなたたちを信用しているからこそ、もう一度聞かせて下さい」


 壱吉は、唇をぎゅっと固く結んで振り向く。


「望月堂山を、必ず倒してくれると誓ってもらえますか…!」


 振り向いた壱吉の表情は、眉間に皺を寄せて、張り詰めた糸のような緊張感を持っていた。そして今まで虐げられた過去への復讐を期待した眼差しだった。


「ふっ…言っただろ。はなが関わっている以上、この俺が素通りする訳もねぇってよ。そして何よりも、この退華たいかつるぎが、それを許さねぇ」


 そう言うと、辰風は、目線を自身の背丈ほどある重厚な大剣の柄へと動かした。

 辰風の巨躯に背負られているため、壱吉の目線では一部した覗くことが出来ないが、その大剣は暗がりの中でも一際存在感を放っている。その形容し難い威圧感は、何よりも力強かった。


「その大剣、退華たいかつるぎって言うんですね」


「あぁ…この大剣のこと、はなのこと、そして鉄鋼黒蟻のことも話してやる。初対面だから無理もねぇが、信用して損はないと思うぜ」


 そして後ろで佇む瑠璃猫の頭を「な?」と言いながら、荒っぽく撫でた。

 瑠璃猫の細い首が、辰風の撫でる力に合わせて、まるでやじろべぇのように動く。彼女の表情こそは、やはり変わらないが、粗雑な触り方に不服そうな眼差しだった。蚊が鳴くような小さな声で「辰風。髪。女。命…」と呟いたが、彼には届かないようだった。


「ははは…」


 壱吉は、やはり苦笑いでやり過ごした…。


 この凸凹な2人を信用してみよう。

 得体の知れない望月堂山という畏怖に立ち向かうことが出来るのは、この2人しか居ないに違いない。


 壱吉は、再度自分に問いかけるように納得をした。そして肩の荷が降りたように、階段を登り出していった。

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