6.真っ黒な雲

 雨はどんどん激しくなっていく。

 灰色だった雲は真っ黒になり、世界はさらに暗くなっていく。


「お兄たま、たくさん雨がふりまちゅねぇ……」

「そうですね。止みそうにもありませんね」


 少年と幼な子は身を寄せ合って、ウロの中から外の様子をうかがっていた。

 戻るにしても、もう少し雨脚が弱まってからの方が、イトコ殿の負担も減るだろう。


「退屈ですか?」


 少年の問いかけに、イトコ殿はブルブルと首を横に振る。


「ぜんぜんタイクツじゃないでちゅ。オソトはとってもおもちろくて、すごくひろいでしゅね。タイクツしているヒマはありまちぇん」

「……そうですね。外の世界はとても広いのです。とても広いので、迷子にならないでくださいね」

「マイゴってなにでしゅか?」


 イトコ殿は不思議そうな顔をする。


「迷子とは……お屋敷に戻る道を見失って、帰れなくなることですよ」


 少年の説明に、イトコ殿は蒼い大きな瞳をぱちくりとさせる。


「お兄たまがいらしゃるのに、マイゴはオヤチキにかえれなくなるのでしゅか? わたくちは、お兄たまがいらしゃれば、オヤチキにかえれなくても、ヘイキでちゅよ?」

「いえいえ。迷子というのは、わたしと離れ離れになってしまうことですよ。イトコ殿がわたしから離れて、ひとりで外の世界をウロウロ……」

「いやでちゅっ!」


 大きな声で叫ぶと、幼な子はイヤイヤと頭を振りながら少年へと勢いよく抱きつく。


「お兄たまとは、ぜ――ったいに、はなれまちぇん! わたくちは、マイゴにはなりまちぇん! お兄たまは、わたくちとはなれて、マイゴになりたいのでちゅかっ!」


 頬をぷくりと膨らませ、イトコ殿が怒りを爆発させる。つぶらな瞳にはじんわりと涙が浮かんでいた。


「まさか! わたしは、『ソバ』の名をオササマより頂いたモノです。ずっとイトコ殿のお側に仕えることを許されました。離れることはありえません」

「ホントウでちゅか?」

「ええ。本当のことです」

「ホント?」

「はい。本当です」


 十回くらい「ホントウでちゅか?」

「本当です」というやりとりを繰り返して、ようやくイトコ殿は納得したように大人しくなる。


 再び、大人しくウロの外を眺めていたのだが……。


「お兄たま! お兄たま!」

「な、なんでしょうか?」


 幼な子が急に大きな声をだす。

 蒼い瞳をキラキラさせながら、よいことを思いついたといわんばかりに、少年の腕をつかんだ。

 嫌な予感がして、少年の表情がぎこちなくひきつる。


「お兄たま、雨がやむまで、いっちょに、お歌をうたいませんか?」

「え…………」


 イトコ殿の言葉に、少年の身体が固まる。


(歌をうたえだって!)


 冗談ではない! お断りします! と叫びそうになるところを、少年はぐっと堪える。


 イトコ殿の期待に満ちた眼差しが辛い……。

 ものすごく期待されているのが伝わってくる。

 というか、なぜ、イトコ殿が自分の歌を聞きたがるのかわからない。


(困った……)


 少年の眉が八の字に下がる。

 今までにも何度かイトコ殿に歌を強請られたことがあったが、そのたびに少年は「お役目中ですから」とか「今は忙しいですから」とか「もう夜になります」とかその場、その場で苦しい言い訳を並べ立てては、イトコ殿の『お願い』から逃げていた。


 正直なことろ、少年は人前で歌をうたうのは苦手だった。

 歌をうたうことは嫌いではない。

 呪歌は得意だ。

 ただ、人に聞かせるのが好きではないのだ。


 歌は下手ではない。……と思う。

 そのあたりの評価は、自分ではよくわからないのだが。


 一度だけ、王の前で歌を披露するということがあった。

 そのときも、辞退したかったのだが、王が相手では許されるはずもない。少年は父に諭され、王の御前で歌をうたった。

 少年の歌にとても感激された王は、その場で己が身に着けていた帯を少年に下賜した。

 王が己の裁量で、その場で褒美を与えることはあるが、身に着けているものを下賜することはめったにない。


 感激した王が、手づから褒美を与えるくらいなのだから、下手ではないのだろう。


 イトコ殿が産まれる前のことだが、誰かがイトコ殿に教えたのか。

 余計なことをしてくれる、と少年は思った。

 そういう口の軽いヤツは、見つけ次第、抹殺してやる……と少年は思い、密かに犯人を探し続けている。


 イトコ殿に少年の歌の素晴らしさを語って聞かせた『口の軽いヤツ』が、イトコ殿の父親――少年に己の帯を下賜した王そのヒト――であるということを、未熟な少年はまだ気づいていない。


 歌はうたいたくない。

 だが、この狭いウロの中では逃げることはできない。

 しかも、今日は、イトコ殿の誕生日プレゼントとしての『おでかけ』である。


 イトコ殿には楽しい思い出として、今日という日を過ごしてもらいたい。と少年は思っていた。


 なので、断る理由が思い浮かばなかった。


 それに、なにもないウロの中で、じっと雨が止むのを待つというのは、幼い子どもには退屈すぎるだろう。


「わかりました。一緒に歌をうたいましょうか? どの歌がよろしいですか?」

「お兄たまは、あたくちの……りっ、りく、りくえすと?……にコタエテくれるのでちゅか?」

「はい。ふたりでのおでかけですからね。イトコ殿がうたいたいと思われる歌を、一緒に歌いましょう」


 少年の返事に、イトコ殿は「うれちいでしゅ!」と歓喜の叫び声をあげた。小さな手をパチパチ叩き、ぴょんぴょん跳ね上がって全身で喜びを表現する。


 イトコ殿のリクエストに応じて、少年は歌をうたった。

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