5.赤い果実

 薄紅色の大きな鳥たちは恐縮したように、恭しく平伏する。鳥たちは平伏しながらプルプルと小刻みに震えている。

 殺気を放つ少年を前にして、完全に怯えきっていた。


「お、お兄たま……」


 険しい表情の少年を咎めるかのように、イトコ殿は少年のジャケットの裾をついついと引っぱる。


「何用だ? 我らのことを知っての行いか?」


 少年の淡々とした声に、三羽の鳥たちは羽毛を逆立てると、さらに身を低く、小さくする。気の毒になるくらい怯えてしまっている。


「アトサマ、ソバサマ……。と、と、突然の無礼をお許しくださいませっ。我ら『止まり木の大樹』様よりお預かりしものを届けに参りました」


 一羽のひときわ大きな鳥が頭を下げ、美しい声で要件を告げる。背後に控えていた二羽もそれに倣ってさらに頭を低く、こすりつける。


「届け物? 『知る辺の樹』様から?」

「こちらでございます。お召し上がりくださいとのことです。なにか御用がございましたら、遠慮なく我らをお呼びくださりませ」


 それだけを言うと、三羽の鳥たちは、我先きにと慌ただしく飛び去っていった。

 高貴な方々を前に一目散に逃げていく。

 その飛びっぷりは見事なもので、あっという間に見えなくなっていた。さすがは、異なる世界を行き来する渡り鳥たちだ。


 用事があれば呼ぶように……と言ってはいたが、あれはあきらかに社交辞令だろう。本心では、呼んでほしくないと思っているに違いない。


 自分たちは、鳥たちの憩いの場に紛れ込んだ異質な存在であると、再認識させられる。迷惑な客人といったところか。


 三羽の鳥たちが立ち去ったのを確認すると、少年はウロの中に視線を戻す。

 鳥たちがいた場所には真っ赤に熟れた赤い果実がふたつ転がっていた。

 残りの二羽が咥えていたものだろう。

 少年はそれを拾い上げる。

 果実はとても柔らかく、少し力を込めると潰れてしまいそうなくらいに熟している。とても甘い香りがした。


 図鑑の挿絵でしか知らないが、これは間違いなく『知る辺の樹』の果実だった。

 本での知識しかなく、実際の果実がどのような味なのかわからない。

 とても貴重とされている実で、少年もまだ食べたことがなかった。というか、実物を見るのはこれが初めてだ。

 これは大事に持ち帰って、今晩のデザートとしてだしてもらうようにしよう……。


 収納ボックスの中にしまおうとしたところ、イトコ殿が少年の足元に寄ってきた。


「お兄たま、わたくちにも見せてくだちゃい」


 小さな手を懸命に伸ばしてくるイトコ殿に、少年はなんの疑問も持たずに果樹を渡す。


「とてもよいかおりがしまちゅ!」


 イトコ殿は、果実に鼻の頭をくっつけて、くんくんとその香りを嗅ぐ。その姿はとても愛らしく、少年の心がふと緩んでしまう。


「イトコ殿、これは『知る辺の樹』の果実です」

「わあい! おいちちょうでちゅ! いただきまちゅ!」

「えっ! ちょ……!」


 少年が止めるよりも先に、イトコ殿はその場にちょこんと行儀よく座ると、真っ赤に熟れた実に思いっきりかじりついていた。


「い、イトコ殿ぉっ!」


(毒見もせずに、そのまま……まるかじりとは!)


 偉大なる次代の鳥の王が、カトラリーも使わずに、実を皮ごと丸かじりなど……。

 少年は目の前が真っ暗になる。

 あっては……いや、やってはならないことだ。

 

 イトコ殿は、口の周りからポタポタと果汁をこぼしながら、美味しそうにむしゃむしゃと赤い実をほおばっている。

 口周りや実を持っている両手は、赤い果汁でベタベタに汚れ、真っ赤に染まっていた。


 よほど美味しいのか、お腹が空いていたのか、イトコ殿の蒼い目はキラキラと輝いており、ホッペはパンパンに膨れている。

 小さな口がもぐもぐと忙しそうに動いていた。


「イトコ殿……」


 少年はヘナヘナとその場にしゃがみ込む。


「お兄たまもいっちょにたべまちょう! おいちいですよ! チルベノキちゃまのミはとてもおいちくて、ゲンキがでてきまちた!」


 とても、とても美味しそうに果実を食べるイトコ殿に呆れ返りながらも、少年は座り直して果実を口にする。


 ここで毒見だの、食べかけの実を取り上げるなどといった行為は、『知る辺の樹』様を侮辱することになるので、黙って実を食べる。


 みずみずしい食感の後、少年の口の中に甘酸っぱい香りがいっぱいに広がった。

 喉の乾きと、飢えを満たしてくれる果実に、少年は二口、三口とかじりついていく。


「お兄たま、おいちいでちょ?」

「ええ……。とても、とても、美味しいですね。こんなに美味しい果実ははじめてです」

「わたくちもはじめてでしゅ! すてきなおでかけでしゅね!」


 イトコ殿はにこにこと笑う。


 収穫したばかりの熟した実をその場で食したからか。

 それとも、『知る辺の樹』様の貴重な果実だからなのか。

 あるいは、空腹と疲労が極上のスパイスとなったからか。

 大切なヒトとのはじめての『おでかけ』で、大切なヒトと一緒に食べたものだからか……。


 この赤い果実はとても、とても美味しかった。


 そして、イトコ殿の言葉どおり、この赤い実を食べているうちに『元気』がでてきた。


 雨に打たれて失った体力と、屋敷を飛び出してここに来るまでに失った大量の魔力が回復するのを、少年はありありと感じ取っていた。


 魔力が回復し、魔力に余裕がでたのなら、使える呪文も増える。


 少年はハンカチを取り出すと、果実で汚れてしまったイトコ殿の顔や手を丁寧に拭いていく。



 春の風は 温かな風

 春の風は 柔らかな風

 吹けよ 吹けよ この身にまとい

 濡れた羽を からりと乾かして

 疲れた翼を やさしく癒す

 温かな風よ ここに吹け



 イトコ殿の汚れを拭き取りながら、少年が風を呼ぶ歌をうたう。

 汚れのない澄んだ声は美しい呪歌となり、ウロの中に温かな風をうみだす。


 魔法の風はふたりを優しく撫でると、一瞬のうちに濡れた服や髪を乾かしていった。


 それだけではなく、じめじめと湿ったウロの中も温かな空気で満たし、舞っていたホコリを追い払う。

 寒さで震えていた幼な子も温め、風はゆっくりと穏やかに消えていった。


「お兄たまのマホウはすごいでちゅ!」


 イトコ殿は目を見開き、パチパチと拍手をする。

 紫色だった唇はピンク色に戻り、頬もうっすらと赤みが差している。

 赤い果実と魔法の風で、幼な子は元気を取り戻していた。

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