4.緑の葉

「お兄たま!」


 少年はイトコ殿を己の胸の中に抱き込むが、大量の水は小さなふたりをあざ笑うかのようにぐっしょりと濡らしていく。


「おっ、驚いた……」

「お兄たま、びちょびちょです。おふろでもぐりっこのあとみたいでしゅ。クチュン!」

「……そうだね」


 大量の水をまともにかぶった少年は、イトコ殿を抱きしめたまま、そろそろと立ち上がる。


 枝の水濡れもひどくなり、苔むした木肌はさらにすべりやすくなっている。


「困ったなぁ……」


 少年は頭上に視線を漂わせる。

 いくつもの大きな雫が顔に当たる。


 この場所では、雨をしのぐことができないようだ。

 このままイトコ殿を濡れたままにしておくと、風邪をひいてしまうだろう。

 もしかしたら、発熱の兆候がではじめているのかもしれない。


〈……チラ、……コチ……ラ〉


 サワサワと緑の葉をつけた枝が揺れ、どこからか声が聞こえた。


「お兄たま、声がきこえまちゅ!」


 イトコ殿の言葉に軽く頷くと、少年はいつでも飛び立てる準備を整えながら、緊張した面持ちで周囲に視線をめぐらせる。


〈……チラヘ、……コチラヘ〉


 雨の音が邪魔をするが、ふたりは息を殺し、じっと耳をすます。


〈尊き方々よ……空に舞う……美しき声の持ち主よ……〉


「はい! なんでしゅか? わたくちにゴヨウでちゅか?」


 イトコ殿が元気よく返事をする。


「い、イトコ殿っ! 正体の解らぬ声に応えてはなりません!」


 少年が慌ててイトコ殿の口を手で抑える。


 緑の葉がざわざわと笑うように揺れ、大量の水滴がふたりにパラパラと降り注ぐ。


〈これは……とんだ失礼を。わたくしはこの草原に根ざすモノ。シルベノキでございます〉

「チルベのきでしゅか?」


 幼な子は少年の腕の中で、コテリと首を傾ける。

 ふたりの耳に聞こえてくるのは老人のような、老婆のような声だ。


「イトコ殿、『知る辺の樹』様です。我らの眷属は『止まり木の大樹』様と呼んでおります」


 少年のかしこまった説明に、幼な子は大きく頷いた。

 この声は、自分たちが雨宿りをさせてもらっている大樹の声だったのだ。


「わかりまちた。おはちゅにおめにかかりまちゅ。チルベノキちゃま。わたくちはアトでしゅ」

「ソバです」

〈次代の鳥の王アトサマ、王配となられるソバサマ。お会いできて光栄です。空を舞い、異なる世界を渡り飛ぶ勇敢な小さきモノたちには敬意と感謝を〉


 少年は抱き上げていたイトコ殿を枝の上に降ろすと、幹に向かって恭しく一礼する。


「我らの眷属のために、その大切なお枝をお貸しいただきありがとうございます。できましたら、我らもこの雨が止むまでのしばしの間、御身のお枝に留まることをお許しいただきたい」

「おねがいちまちゅ」


 ふたりは幹に向かって膝を折り、丁寧に頭を下げた。


 この樹は万を越える歳月を生きてきた。

 その間、旅に疲れた鳥たちをわけへだてることなく庇護し、生命の源となる手助けをしてきた。

 ひとつひとつの功徳が積み重なった結果、草原に根ざす緑の大樹は、神霊の樹になりつつあったのだ。


 神霊の樹となりつつあるモノならば、ふたりと言葉を交わすことも可能だろう。


〈アトサマ、ソバサマ。お顔をお上げください〉


 『知る辺の樹』の声は慈愛に満ちていた。


〈好きなだけこの身に留まり、お休みください。眷属の方々からは毎日、美しい歌と異世界の不思議な物語りを聞かせていただき、感謝しかございません。たくさんのものを頂いております。ささやかではございますが、そのご恩をお返しいたしましょう〉

「ご厚意感謝いたします」

「いたちます!」


 水滴を飛び散らしながら、『知る辺の樹』はサワサワと笑う。

 種族は違っても、ひとたび意識が通じ合えば、互いの声ははっきりと聞こえ始める。


「クチュン! クチュン!」

「イトコ殿!」


 ブルブルと震えているイトコ殿を少年が抱きしめる。


〈アトサマ、ソバサマ。少しばかり上にはなりますが、今は棲んでいるモノのおらぬほどよい大きさのウロがございます。おふたりであれば、その中で雨露をしのぐことができるでしょう〉

「それはありがたい!」


 少年は礼を述べると、イトコ殿を抱きかかえて、枝から枝へと軽やかに跳躍する。

 優雅に枝を飛び歩きながら、上へ、上へと移動していくと、枝が途切れた場所が現れ、そこにはぽっかりと大きな空洞ができていた。枝が折れた後にできたようだ。

 ここが『知る辺の樹』様が言っていた『ウロ』なのだろう。


 ぽっかりと空いている穴の気配を確認してから、少年は幼な子と一緒に、ウロの中に入る。

 少し埃っぽくて、カビ臭い。雨のせいか、全体的にジメジメしていたが、雨宿りするには問題ない。


「おおきなあなでしゅね……」


 イトコ殿は目を大きく見開き、生まれて初めて見ることとなったウロの中を観察する。


 先住がいたらしく、ウロの中には枯れ草や藁、鳥の羽毛がたっぷりと敷き詰められていて、ふわふわとしている。

 ウロの中はほんのりと暖かかった。ここであれば、雨と寒さをしのげるだろう。

 埃とカビ臭ささえ気にしなければ、意外と居心地は良さそうだった。


 少年はイトコ殿にかけていた自分の外套を外すと、藁の上に敷いた。


 イトコ殿は外套の上に座り込むと、ポンポンと藁を叩いて、座り心地を確認する。


「お兄たま! オモチロイでしゅね! さばいばるがはじまります!」


 イトコ殿はピョンピョンと飛び跳ねて喜んでいる。


 その愛らしい姿に心を奪われそうになりながらも、少年はウロの中をひととおり点検する。


 バサバサという羽音と共に、三羽の大きな鳥がウロの中に入ってきた。

 突然の来訪者に、ウロの中が急に狭くなる。


 少年は身を翻してイトコ殿の前に立つと、突然の侵入者を睨みつけた。

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