閑話 知る辺の樹

1.朽葉色の外套

 これは昔。

 ザルダーズの異世界オークション事業が開始するずっとずっと昔。

 とても昔のお話し。




 けぶるような灰色の空から、滝のように雨が降り注ぐ。

 突然の雨に、空を飛んでいた鳥たちは慌てふためき、競うようにして大樹の木陰へと飛び込んでいく。


「イトコ殿、大丈夫ですか? 疲れてはいませんか?」

「お兄たま、わたくちは、だいじょぶ……クチュン!」


 大雨の中、大きな木の枝に腰かけて、美しい少年と可愛らしい幼な子が、身を寄せ合うようにして雨宿りをしている。


 利発そうな面立ちの少年は、突然の雨に困惑した表情を浮かべ、美しい眉を顰める。眉間には少年らしからぬ、深く険しい皺が刻まれていた。 


 不機嫌な少年とは対象的に、幼い子どもの方はすこぶるご機嫌だった。鼻歌をうたいながら空から落ちてくる雨粒を楽しげに眺めている。


 少年は十四、五歳くらい。そろそろ青年と呼ばれる年の頃にさしかかる。

 幼な子の方は、四、五歳。乳母の手を離れ、ひとりの子どもとして周囲から認められはじめる年頃だ。


 ふたりとも貴族の子どもが着用する外遊び用のシャツにズボン、ジャケットを羽織り、その上から裾の短い外套で身を包んでいた。

 少年は蒼色、幼な子は碧色のジャケットとズボンだ。動きやすさを重視し、どちらも上等の生地が使われ、金糸で細かな刺繍が施されている。


 服装だけでなく、理知的な光を宿した双眸、手入れの行き届いた黄金に輝く髪や艷やかな肌など、育ちの良さが随所にみられる。


 桶をひっくり返したような突然の大雨に、残念ながら子どもたちの外套はあまり役に立たなかったようである。ふたりとも頭の先からつま先まで、びしょびしょに濡れていた。

 ふたりの見事な黄金色の髪は、水分をたっぷりと吸って、べったりと肌に張りつき、毛先からはぽたぽたと大粒の雫が垂れ落ちていた。


 幼な子は可愛らしいクシャミを連発して、プルプルと震え上がる。

 その拍子に水しぶきが弾け、周囲に飛び散った。


「風邪をひいてはいけません。イトコ殿、もっとこちらへ」

「はい。お兄たま」


 少年が己の外套を広げて、幼な子を自分の懐へ招き入れる。

 イトコ殿と呼ばれた幼な子は、美しい蒼い瞳をキラキラと輝かせながら、勢いよく少年へと抱きつく。

 幼な子が身体にぶつかってきた瞬間、柔らかでふんわりとした重みが少年に加わった。


 少年は朽葉色の外套で、雨に濡れた幼な子を優しく包みこむ。

 うふふっ。という可愛らしい笑い声が間近に聞こえた。


 空気が揺れ、雨に濡れた新緑のむせかえるような香りに混じって、砂糖菓子のような甘い香りが少年の鼻孔を刺激する。

 その甘い香りを思いっきり吸い込み、少年の身体が緊張にこわばる。


 枝から落ちては大変と考えたのか、幼な子が両手に力を込めて懸命に抱きついてくるので、少年も両腕を回して同じようにしっかりと抱きしめる。

 抱き合ったことで、大切なヒトの柔らかい感触と、温かな体温が、少年の腕から全身へと伝わっていく。


(ああ……っ)


 その瞬間、声にならない吐息が少年の口からこぼれ落ちた。

 もっと強くこの想いを感じたくて、大切なヒトの存在をしっかりと確かめたくて、少年は腕に力を込める。

 フワフワした柔らかな感触と、甘い香りがさらに強くなった。


 少年の心が喜びに震える。

 イトコ殿は、今はまだ幼く、小さな存在でしかない。

 でも、少年にとっては、世界で一番尊いもので、一番大事な宝物だ。己の生命よりも大事で、なによりも大切な存在。


 それに触れ、抱きしめることができる幸運を与えられたことに、少年は素直に喜んでいた。

 イトコ殿と同じ世界、同じ時代、同じ世代に生を受けたことに少年は感謝する。

 ドクン、ドクン、と感じる力強い鼓動はどちらのものなのか。


 イトコ殿に雨粒がかからないよう注意しながら、少年は外套を整えなおした。

 葉の隙間から零れ落ちる無数の雨粒を、朽葉色の外套が弾き飛ばしていく。


「お兄たま……」


 イトコ殿の甘えた声がとても愛おしい。

 お互いが不思議な力で惹かれ合うように、ふたりの距離がさらに近くなる。

 ぴったりと隙間なく寄り添うのは、ポタポタと落ちる冷たい雨からイトコ殿を守るため、と少年は己に言い聞かせる。


「お兄たまはとっても温かくて、いい匂いがします。夏の爽やかな風の匂いです」


 少年の胸に頬をすりよせながら、イトコ殿は幸せそうな笑みを浮かべる。

 たったそれだけのことなのに、胸がギュッと締めつけられて苦しくなる。心臓が早鐘を打つように暴れ、落ち着けと……少年は己自身に言い聞かせた。


 少年は愛らしいイトコ殿から視線を外すと、葉の隙間から外の様子を観察する。


 先程から降り出した雨は、一向に止む気配がない。

 むしろ、さらに雨脚が強まってきているように感じられた。


 雨に降られなければ、この場所は青い空、白い雲がどこまでも広がり、地上では色とりどりの花が咲き乱れているのだ。

 果てなく広がる草原には、一本の大樹が大きな枝を天に向って広げている。とても立派で、緑の葉が美しい大樹だ。

 大樹の樹齢は何万年ともいわれている。


 広い平原のなかにぽつんとあるこの大樹は、異なる世界を渡り飛ぶ鳥たちの止まり木として有名で、ここに来れば、様々な世界の珍しい鳥と会うことができる。

 異なる世界を旅する渡り鳥たちにとっては旅の疲れを癒やす場でもあり、道標でもある大切な樹だ。


 そして、ここは少年のお気に入りの場所でもあった。

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