1-2.赤髪の青年
森の中に「カツーン、カツーン」という、来訪を告げる音が鳴り響いた。
これを使うのは……おそらく自分くらいだろう。
木槌と板木は風雨に晒され、劣化はみられるが、使われている形跡が全く無い。
ほどなくして玄関の扉が開き、赤髪の青年が姿を現した。
若者よりも頭一つ分背が高く、体格もがっちりとしている。骨格はよいのだが、肉付きはあまりよろしくない。
小屋の主は作業中だったらしく、灰色の作業着に生成りのエプロンをつけていた。
エプロンには木屑がいっぱいついており、青年が動くたびにぱらぱらと床の上に落ちていく。
「やあ! ザルダーズ。久しぶりだね。時間通りぴったりだ」
「元気そうでなによりだ」
小屋の主――若者の友人――はニコニコと笑顔を浮かべながら両手を広げ、若者を家の中に招き入れる。
入り口でふたりは抱き合い、再会の挨拶を交わす。
「ザルダーズこそ元気そうだね。無茶はしてない?」
「うん。してないよ」
にこやかにザルダーズは応える。
つい最近では、取引先の地下街で大量発生したミノタウロスを素手の一撃で倒せるようになったが、とくに無理をしているわけではない。
「ところで、ザルダーズ、その左手の縄はなんだい?」
「ああ、これはだな……手土産だ」
うっかり忘れるところだった……と言いながら、ザルダーズは縄を手繰り寄せる。
重量感のある『手土産』の塊が、ずりずりと引きずられる音がする。
縄の先に繋がれている五羽のジャイアントラビットを見た青年が、歓声をあげた。
「わあ! 肉だ! 嬉しいなあ! こんなにたくさん! 肉なんて何ヶ月ぶりだろう! この前、ザルダーズが持ってきてくれたボロボロ鳥以来だなぁ」
「オマエ……オレが来たのって、半年前じゃないか? もっと、肉を食えよ。っていうか、もっと便利な場所に工房を移せよ。引っ越しするたびに、秘境に移動してどうするつもりなんだ!」
「えっと……肉ならたまにだけど食べてるよ。ボロボロ鳥の肉も残さずに全部食べたよ。ジャイアントラビットもちゃんと保存処理したら、半年間は食いつなぐことができるんだよね?」
「ああ。ちゃんと保存処理ができたらの場合だぞ。で、ラディアは保存処理ができるのか?」
「う――ん、できないよ」
「おい……。食いつなぐんじゃなくて、腐る前にさっさと食えよ!」
ジャイアントラビットをラディアに手渡す。
ラディアは嬉しそうな顔で「ありがとう」というと、ジャイアントラビットをかかえて奥のキッチンに消えた。
少しするとハーブティーのような香りがキッチンから漂ってくる。
勝手知ったるなんとやら、で、ザルダーズは親友が戻ってくるまで、ダイニングチェアに腰掛けて待つことにする。
待っている間、室内の状況を素早くチェックする。
半年前と比べて、室内は整理整頓されており、掃除も行き届いている。
サバイバルかスローかわからないが、この秘境の森での暮らしに慣れてきたのかもしれない。
さっきは気づかなかったが、住居用の小屋に、物置小屋、動物たちの小屋に加え、新しい小屋……倉庫らしきものが窓から見えた。
材料の木材を保管する部屋が欲しいと言っていたので、おそらくそれだろう。気配を探ると、その倉庫からは魔力の流れを感じる。気温と湿度を適度に保つ仕組みが組み込まれているにちがいない。
人が生活しているこの小屋よりも、高そうな倉庫だ。
おそらく、前回来たときに渡したヴァイオリンの売上を、そっくりそのままつぎ込んだにちがいない。
倉庫を建てる前に自分に相談してくれたら、もっと安くて高性能なものを用意してやることができるのに……と、心の中でぼやく。
自分が資金援助を言い出すたびに喧嘩になり、ラディアの機嫌が悪くなる。
いいかげんザルダーズも学習したので、資金援助はしたくてもぐっと我慢する。
ザルダーズができることといえば、ラディアの作るヴァイオリンの良さを理解して、こちらの言い値に対して値切ることなく購入してくれる購入者を見つけることだ。
そして、著名なヴァイオリニストや音楽関係者に、ラディアのヴァイオリンを広めることだ、とザルダーズは己の気持ちを納得させる。
幸いなことに、実業家として成功し、学生時代はヴァイオリンを学んでいた者として、それなりの人脈はあった。
モノの価値を見出し、必要としている人にアピールするのは得意だ。
室内をぐるりとチェックし終えると、サイドボードの上に置かれている一挺のヴァイオリンに視線をとめた。
飴色の光沢を放つ、とても美しいヴァイオリンだった。
半年待って、たった一挺しか納品されない親友が作ったヴァイオリン。
ザルダーズは瞳に浮かんだ憂いを隠すために、そっと目を伏せる。
以前はラディアが言うところの『失敗作』を練習用ヴァイオリンという名目で買い取っていたのだが、どういう心境の変化なのか、今は自信作しか買い取らせてもらえなくなった。
それも、半年に一挺。
丁寧に作ったとしても、真面目に作業していたら三挺くらいはできるはずだ。
親友が丹精込めて制作したヴァイオリンである。
腕がよいというのが大前提にあるが、半年に一挺しか作れない、いや、世に出そうとしないならば、それに相応しい値段をつけ、その良さを理解してくれる人物を厳選しなければ、とザルダーズは決意を新たにする。
家賃ゼロ円、自給自足のスローライフとはいえ、全てが自給自足で賄えれるはずがない。
それに、ヴァイオリンを作るにも道具や良質の木やニスなど、製作するには金が必要である。
あの立派な木造保管庫を建造した今は、現金などほとんど手元に残っていないだろう。
もしかしたら、今日、渡す前回のヴァイオリン代も、借金返済のために一瞬で消えてしまうかもしれない。
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