第29話

その日の夕食後、アリシアが部屋に戻るとミリーが躊躇いがちに話しかけてきた。


「あの……お嬢さま。最近、ジョシュア様と喧嘩でもされましたか?」


アリシアはギクッとしたが、ミリーに心配をかけたくない。


「いいえ?なぜ?」


平静を装い笑顔を見せた。


「いえ、申し訳ありません。それなら宜しいのです。ただ、最近までずっと仲良くお過ごしで、お話も弾んでいらしたようでしたので……」


言いにくそうなミリーの顔を見て、アリシアの胸は重くなる。


実はサイクス侯爵夫人からもさりげなく似たようなことを尋ねられたのだ。


サイクス侯爵夫妻やジョシュアの兄のカイは、アリシアに優しく接してくれる。


『いずれ本当の家族になるんだし、自分の家だと思っていつまでも遠慮なく居て欲しい』


アイの日記によるとそんな親切な言葉を頂いたそうだ。


有難くて涙がでそうになる。


この世界に戻ってきた当初、サイクス侯爵家で自分だけでなく使用人までお世話になっていることに大きな衝撃を受けた。


僅か数か月の間に、惨めなスウィフト伯爵家での生活が一変していて、アイの手腕はすごいと驚きと称賛が入り混じった気持ちを抱いたのだ。


(やっぱりアイさんはスゴイ……。苦境を一人で脱出して、短期間でジョシュア様の心まで掴んでしまった……。私にはとてもできないわ)


同時に使用人まで巻き込んで何年も一人で我慢していた自分は本当に愚かだったと、ちょっと凹んでしまう。


それはさておき、サイクス侯爵夫人、つまりジョシュアの母親も、ジョシュアが突然よそよそしくなったことを懸念していた。


「ごめんなさいね。うちの息子が失礼な態度を取って……。あの子は照れ屋で。本当はアリシアのことが大好きなのよ」


(それは中身がアイさんだったからです)


理由は分かっているのだが、まさかそれを彼女に言うわけにはいかない。


無難な返事をしながら、アリシアは罪悪感を募らせていた。


***


アリシアは井戸から引き上げられた時、ジョシュアが泣きながら自分の名前を呼んでくれたことがとても嬉しかった。


もしかしたら愛されているのかもしれない、などという大それた夢まで抱いてしまい、心底恥ずかしい。


以前からジョシュアは、どの令嬢に対しても素っ気なかった。だから、アリシアに対して冷たい態度を取られても、自分だけじゃない、と自らを慰めることができた。


しかし、アイへの態度だけが違っていたということは、やはり好きな子とは親しく接することが出来るのだと思う。


アリシアは、同じ屋敷で生活しているからこそ余計に彼との距離を感じてしまう。


ジョシュアは食事の時もアリシアの方を見ることさえせず、両親や兄のカイとばかり話をしている。


彼の家族の方が気を遣ってアリシアに話しかけてくれるが、その優しさもアリシアにとっては辛いものだった。


(やはりここから出ていくべきかもしれない……)


アリシアは悶々と悩み続けた。


*****


不思議なことにブレイク第二王子との仲は以前よりも遥かに近しくなった。彼は何かと理由をつけてはサイクス侯爵家にやって来る。


彼は異世界の話に高い関心がある。更にアリシアも自分の体験談を語りたいと思っていたので、二人は熱心に話し込むことが多かった。


そんな時にジョシュアが通りかかることもあるが、彼はブレイクが声を掛けても顔を背けて去っていくだけだった。


「アリシア、ジョシュアは一体何を考えてるんだろうね?」


ブレイクから質問されて、アリシアの顔は強張った。


「……分かりません。ただ、ジョシュア様はアイさんの方がお好きだったようです」

「いや、そんなはずないんだが……。ちゃんと話し合った方がいいよ。敵に塩は送りたくないけど、不戦勝は好きじゃないんだ」

「……なんのお話ですか?」


アリシアが怪訝そうに首を傾げる。


「いや、何でもない。あ、そうだ。王宮の法務官と魔道具師が君と直接話がしたいそうだ。指紋の形状が人によって全て異なることが確認出来たらしい。それに皮脂によって指紋の痕跡が物体に付着することも認められた。新しい魔道具の開発に成功すれば犯罪捜査の証拠として使用できる可能性がある」


「まあ!それは素晴らしいですわ」


「うん。冤罪も減らせるだろう。魔道具師も乗り気なんだ。だから、今度アリシアに王宮に来てもらいたいんだが・・」


「はい。もちろんです。私でお役に立てるなら喜んで!」


話が盛り上がっている時に、突然バタバタと大きな足音がした。


(珍しいわね。サイクス侯爵家でこんな足音を立てる人がいるなんて……)


足音がした方向に顔を向けると、可愛らしい赤毛の少女が仁王立ちになってアリシアとブレイクを睨みつけていた。


「この浮気女!!!」


その少女はアリシアに向かって怒鳴りつけた。

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