第10話
母親はまだアイに対して警戒しているようだ。ほとんど口をきかない。
時折、胡散臭いものを見るように睨みつけられるだけだ。
退院後、車でアイが連れて来られたのはボロボロに古びた建物だった。老朽化した建物の外側についている階段を上り、一つの扉の鍵を開ける。
中に入るとゴミや洋服が至るところに散らばった小さな部屋があった。
「えっと・・・ここはどこですか?」
アイが戸惑う。
(我が家のバスルームよりも狭い)
生まれ育った伯爵邸を思い出してそう思った。
「それも覚えてないの?というより、知らないのよね?あなた、アイじゃないんだから。アリシアって言ったっけ?ここはアイが一人暮らししていた部屋よ!ま、汚部屋だけどね」
「え?アイさんはお母さんと一緒に住んでいなかったんですか?」
何気なく尋ねた質問だったが、母親の胸にグサリと刺さったらしい。
険しい顔でアイを叱りつけるように叫んだ。
「あんたが!……アイが、私たちとは暮らしたくないって出て行ったんでしょ?ボロいからって文句言わないで頂戴!貴族のお嬢さまだそうだから、狭くてこんなところ住めないって言うかもしれないけど、他に行き場所はないから!」
「あ、いえ、大丈夫です!ということは、私はここに住んでもいいということですよね?掃除はしても構いませんか?」
「掃除……?」
「はい!私は掃除がとても得意なんです!ミリー、あ、ミリーっていうのは侍女頭なんですが、私の掃除はとても丁寧で上手だって褒めてくれました!」
「あんた……?伯爵令嬢って言ってなかった?」
そういえば事情を説明した時に、継母や継姉に働かされていたことは省いていた。
「えっと……」
アイが詳しく家庭の事情を説明すると母親は納得したように何度も頷いた。
「あんた!シンデレラだったんだね!!!」
何故だか分からないが、それだけで胡散臭い不審者から顔見知りの不審者に格上げされたようだ。
「よく分かったよ。取りあえず後で夕食を持ってきてあげるから」
何故だか機嫌がよくなった母親は、アイを一人残して去って行った。
***
やることがあるのは有難い。
アイはふんっと気合を入れて腕まくりすると汚い部屋の掃除に取り掛かった。
母親が戻ってきた時には、部屋は見違えるほど綺麗になっていた。
「……あんた、すごいね」
母親はいそいそと小さな座卓にタッパーを並べだした。
いつも赤ちゃんを抱いている彼女が一人なのでアイはおずおずと尋ねた。
「あの・・赤ちゃんは?」
「今は旦那が見ててくれるから大丈夫よ」
母親がニッと笑った。初めて見る彼女の笑顔にアイは嬉しくなって、満面の笑顔で質問した。
「赤ちゃん、可愛いですよね!アイさんの妹さんなんですよね?お名前は何て言うんですか?」
無害な質問だと思ったのに、母親の顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。
(しまった!また変なことを言っちゃったかも・・・)
アイは「ごめんなさいっ」と慌てて口を押さえた。
そんなアイを見て母親は寂しそうな表情を浮かべる。
「大丈夫よ。あんたに悪気がないのは分かるから。……ただ、やっぱりあんたはアイじゃないんだなって実感したよ。アイは妹のことも私のことも嫌っていたから……」
「アイさんが?お母さんと妹さんのことを?」
「アイはものすごいパパっ娘でね。父親が大好きだったんだ。でも、アイが十歳の時に父親が死んで。まぁ、つまり私はその後、独りでアイを育ててきたんだけど。でも、一昨年に再婚することになってね。アイは新しい父親をどうしても受け入れられなかった。自分の父親は一人だけだって言い張ってね。私たちとは家族じゃないって。それで独り暮らしするって家を出て行ったのよ。私たちからの金銭的援助も受けないから、学校は奨学金で、生活費はバイトで稼いで……」
「そう……だったんですね」
自分の父親が再婚した時に、アリシアも母親の存在を失ったようで悲しい気持ちになったから、アイの想いは分かるような気がした。
「ま、いいから、食べようよ!夕食持って来たから。口に合うか分からないけどさ!あんたの話をもっと聞かせてよ」
「私の話を信じて……下さるんですか?」
「ははっ!うちのアイだったら『下さる』なんて一生使わない言葉だよ!ま、食べよう。いただきます!」
「いただきます」
食事に向かってアイは自然に手を合わせていた。きっと、アイがいつもやっていたことだから体が自然に動いたのだろう。
アイの中にいるアリシアは、アイが体で覚えていることは自然に身に付いていることに気がついた。だから、言葉も分かるし文字も読める。恐らく文字を書くのも問題なさそうだ。
掃除をしている時にも、様々な道具の中から何となく掃除道具の使い方は分かったし、今も二本の棒を渡されて、それの使い方が分かる。
器用に箸を使って食べながらアイは色々な質問をした。出来るだけ早くこの世界に馴染みたい。
ちなみに妹の名前は舞(まい)、母親の名前は愛美(まなみ)というそうだ。お母さんというのも言いにくいので彼女のことはマナミさんと呼ぶことにした。
***
「学校!?アイさんは学校に通っているんですか!?」
「ああ、今高校一年だよ。ただ、アイはバイトが忙しくてほとんど学校にも行ってなかったみたいだけどね。今回の怪我のことで学校に連絡して初めて知ったよ。母親のくせに情けないな」
マナミさんは俯いた。
「あ、あの!私は学校に行ってみたいです!もし、いつかアイさんが戻ってきた時にも役に立つかもしれないし・・・」
「うん、そうだね。それは助かるよ」
「どんなことをこの世界で勉強するのか知りたいので、それが分かるような本はありますか?」
「ああ、教科書だね。この部屋にあるはずだよ。アイが勉強していたとはとても思えないけど。後で一緒に探してあげるよ」
「はい!ありがとうございます!」
アリシアは学校に通いたがったが、継母のグレースは許してくれなかった。
学校というものに憧れを募らせていた彼女は、異世界であっても学校に通えることに胸をときめかせた。
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