第29話 成長した体




「お前の腹の子は既に死んでいるぞ」


 リノンはイシュタに同情する素振りを見せ、なるべく冷たい言い方にならないよう気を付けて言った。


「え? な、なんで……だって、そんな…………」


 イシュタは知らなかったらしい。彼女は明らかに混乱して、視線は何度も自らの腹とリノンを行き来した。


「やはり知らなかったか。

悪いことは言わない。自分でも赤子の状態を今一度確認して、死んでいると完全に分かったら、もう出してやれ」


 リノンはゆっくり、混乱したイシュタに伝わりやすいように説明した。

 ケイを傷付けたとか、睡眠薬を盛ったとかは今更もう何も言わない事にしていた。これは彼が目を覚ましてからでも良い事だ。


「え、あ……」


 イシュタは言葉を発するのは難しい状態になっていて、視界が歪み、ぼやけていくのを呆けた状態で見ていた。


「赤子は羊水を吸ってぐずぐずの状態だ。

しばらく前から腹の違和感には気付いていただろう? 調べてからでも良いから、自然に還してやれ」


 リノンは少し言い過ぎたと思ったが、イシュタを諦めさせるには少し言い過ぎなくらいが良いかとも思った。


(ケイから聞いていたが、今の状態では腹の子にあまり愛着は無いと思っていたが……やはりこいつも母だったのか)



「イシュタ、もう帰っていいぞ」




「いやだ……嫌だ! 

腹の子が死んでいるなら好都合です! ケイさんにまた種付けし直して貰えば良い!!」


 イシュタは涙を流しながら発狂気味にそう叫び、リノンによって拘束された手足をばたつかせた。


「イシュタ……」


 もうイシュタには何を言っても無駄だ。意識がある限り、手足を引き千切ってでもケイに向かって行くだろう。


「イシュタ、すまない。気絶させるだけだ」


 リノンは手加減の程度を脳内で何度も確認し、ゆっくりイシュタに手を向けた。


「いやぁーーッ」


 イシュタは最後までケイを凝視していた。






……




「ふぅ……。生きているし、後遺症も無い」


 あれからリノンは、気絶したイシュタを丹念に調べていた。ケイの魔力で人を殺すのはあってはならないと思ったからだ。


「ん? 何だこれは」


 イシュタの羽織っていた上着の内ポケットから、何やら金属製の小さな板が出ているのをリノンは見つけた。


「ルプト商会、上級会員証?」

(裏に書かれた模様、何処かで……。

そうだ、あのゴロツキの!)


 リノンは封印を抜け出した後、ケイと出会う前に、言葉の練習をしたときを思い出した。


「確か奴隷商と関係があるマークだ」

(イシュタは奴隷商と関係があったのか。そういえば確か、最初に降り立ったのはクラー領の近くだった。竜族は高いと言っていたし、おれの仲間も売られている可能性があるよな)


 リノンは板を持って行く事にした。何かに使えると思ったのだ。


「この板に付いているチェーンにも模様があるし、これは外して置いておこう」


 リノンは後の捜査をなるべく楽にさせる為、チェーンを丁寧に外し、これだけは元の場所に戻した。


「奥様ー!」


 衛兵の声だ。イシュタの放った魔法を目印に、迷いながらもこちらに来ている。



(そうだ。今なら飛べるし、そろそろ逃げた方が良いだろう)


 リノンは壁を透視していたが、道に迷っていた兵士がそろそろ道に気付き始めた頃合いだ。時間帯もそろそろ日が昇るので、空を堂々と飛べるのは今のうちだ。


「その前に……。魔力がギリギリ足りないかもしれないからケイに少し貰っておくか」


 リノンはケイから魔力を吸い取っていたが、途中でイシュタが来たせいで最後までしっかり魔力を吸い切れなかった。




「……よし! 出発だ!」


 リノンは腕輪から予備だった地図を出して、方角を見て直ぐ飛び立つ準備を始めた。

 狭い路地裏だったが、近くにはホームレスが使う廃材置き場程度の広場もあったのだ。



 リノンが大きな竜の姿になって風魔法を唱え、ケイを結界で守りながら大切に口に咥えた。

 一気に飛び立つと、もう日が昇る瞬間だっだ。


(しまった! でもここは突き切るしかない!!)


 リノンは自らを結界で包み、険しい山の向こう側へ最速で目指した。


(ああ、やはり騒ぎが起こっている……)


 リノンの下の街は、起床した者たちが空を見上げ、叫んだり建物へ走ったりで、ちょっとした騒ぎが起こっている。

 ただ、街のほとんどの住民はまだ寝ているので、出てきた者たちは直ぐ建物に入って、見えるのは兵士だけになった。



(ん? 何故兵士は攻撃しない?)


 リノンは強固な結界を張って身構えていたが、攻撃はなかった。試しに下を見てみると、兵士は崩れ落ちたり、バディを置いて逃げ惑うばかり。


(ああ、そうか。下からだと丁度角が陽の光に良く当たって、派手に見せてしまうのか)


 リノンは自分の角の形は、ある程度教養のある者しか知識が無いものと思っていたが、実はリノンの封印結界にほんの少しでも変化がある度、大々的に号外が出ていた。

 この国では、木版に溝を彫ってインクを流し、紙に押し付ける印刷方式が既に開発されており、国の情勢を整えるのと国民の教養を高める目的で、国営の機関からその方法でリノンの情報が伝わっていた。


 最近も、五年前に結界にヒビが入った事で大騒ぎが起きていて、国民のリノンに対する関心が非常に高まっていたのだ。

 だからこそ、リノンの角や竜になった姿について一目見れば分かる者がほとんどだった。


(よく分からないが、あの山の向こうで休もう)



 リノンはケイを大事に咥えながら、ものすごい速さで山を越えた。


(ケイが熱い。この結界でも防ぎきれていない)


 リノンはケイが熱くなっているのに気がついた。しっかり二重の結界で包んでいるのにも拘わらず、彼は結界越しにも大量の魔力を引き寄せていて、リノンの結界に負担を掛けていた。


「はぁ、このままでは結界を維持するのが難しい……。ケイに魔力を分けてもらいながら、少しづつ結界を解こう」


 リノンは人型に戻ると横たわったケイに乗り、丁寧に魔力を吸い取った。



「ケイ……すまない、また熱くなってしまったな…………」


 リノンは少しづつ結界を解いたが、それでもケイは熱くなってしまった。この山の土壌には、海から風に乗って押し寄せた魔力がふんだんに染み込んでいるのだ。





「ん……リノン?」


 リノンが甲斐甲斐しくケイの面倒を見ていると、ケイはゆっくりと目を覚ます。


「ケイ! 良かった」


「あれ、これ雪? てかリノンなんで裸……」


 ケイの側には、彼の体が熱でおかしくなってしまわないよう、リノンが持ってきた雪が置いてあった。


 そしてそのケイの腹の上に、服を着ていないリノンが居る。


「あっ! す、すまない。人型に戻る際に服を取り出すのを失念していた」



「リノン成長した? てか……いや、み、見てないよ!」


 ケイは気づくと目を逸らし、リノンに離れるよう促した。


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異世界帰郷譚 〜異世界に転移してから故郷に戻るまで〜 隣シバ @tonarinisibainu

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