第23話 キスの味





 イシュタに半ば無理矢理ガラス張りのテラスに連れて行かれ、俺とリノンは茶を出された。

 この場にはエルンストと、五人の衛兵が居る。


 五人のうち一人は軍服を着ていて杖を持っているので魔道士という職業の者だろう。


 テラスには甘い香りのする花や、色鮮やかな薔薇が咲き乱れていて気温も暖かい。


「外は雪が積もっているのに、ここはあたたかいでしょう? 窓が二重になっているんですよ」


 イシュタは俺が何も返事を返さなくても楽しそうに話をしている。

 人形遊びをしている女児のようだ。


 そんなイシュタにエルンストはうんうんと頷きながら、真剣に話を聞いていた。


「サラマンダーの魔石で保温もしていて、大雪だとしても南国の花が咲くんですよ」


 リノンへの配慮か、俺の隣には一席用意されて茶まで出されているが、当のリノンは俺の服から出ようとしない。


「あ、つい話に夢中になってしまいましたね。お茶をどうぞ。薔薇の実から作った、私のオススメです」


 イシュタは優しく微笑んでいた。


「じゃあ……」


 俺は茶にも口を付けたく無かったが、イシュタの言う事を聞かないと、後ろの衛兵達が槍で音を出して威嚇をしてくるのだ。



「飲むな!!」


 胸元に居たリノンは急に大声を出した。


「え?!」


 俺はびっくりして、思わず声が出てしまった。



「睡眠薬が入っている」


 リノンは人型に戻って俺を立たせ、他の者に聞こえないよう耳元でそう伝えてきた。


 イシュタはこんな状況にも関わらず、何でもないようにニコニコしている。




「ごめんなさいケイさん。私、貴方に惚れてしまって、睡眠薬を入れてしまいました。他に方法が思い付かなくてこんな事……ごめんなさい」


 イシュタは俺とリノンがコソコソしているのを見てそう言い出した。

 睡眠薬を入れていたのは間違い無いみたいだ。


 イシュタは睡眠薬を盛ったのが気づかれたときとは思えないような、軽い失敗をした程度のしょんぼりした表情だった。


「もう帰らせてもらいます」


 そう簡単に逃してもらえそうにはないが、一応自分の意思をはっきり伝えた。


「待って! お願い。抱擁だけでもさせて」


 イシュタは急に必死そうにした。

この女はなんなんだ。


「嫌です! もう帰して下さい!!」


 俺はリノンの手をしっかり握る。


「衛兵!」


 エルンストは俺の後ろにいた衛兵に指示をした。


 衛兵は俺を取り押さえようとしてきたが、俺は必死に抵抗をした。

 ここで逃げたら犯罪者にされて、転移魔法の研究書から遠ざかってしまうかもしれない。だが、それでもこのまま抵抗しなければもっと良くない結果になると思った。



 それでも、ベックのときのようにはいかない。

 毎日訓練を欠かさない複数の衛兵達に、俺はあまりにも経験不足だった。それに軍服の魔道士の持っていた杖が光ると、俺は途端に脱力してしまった。


「おらっ」


 簡単に取り押さえられ、それでも弱々しく抵抗をする俺に騎士は腹に一発入れてくる。


「かはっ」


 俺は吐く一歩手前だ。大量に分泌された唾液が床に垂れた。

 息が上手く出来ない。視界がぼやけて、音がこもって聞こえる。


 視界の端で、イシュタ側に居た衛兵達が警戒して前に出て来たのが見えた。

 イシュタ達を避難させようともしているみたいだったが、イシュタはそれを断った。



「あ、あんまり乱暴にしないであげて」


 イシュタは不安そうな声で衛兵に指示を出す。


 俺とリノンは取り押さえられたあと、俺だけ起こされて二人の衛兵に腕を拘束される。


 軍服の魔道士は俺が脱力した原因と見られる杖を懸命に確認していた。壊れたのだろうか。



「ありがとうございます」


 イシュタは俺を掴んで拘束している衛兵に礼を言うと、席を立ってこちらに向かって来た。


「ケイ! いやだ離せ!! いやだぁ!!」


 リノンがパニックを起こしてしまっている。可哀想だ。すぐにでも何とかしてやりたい。


「これで終わりにしますから……ね?」


 イシュタは俺に抱きついてきて、胸と膨らんだ腹を押し付けてきた。やはりこの女は妊娠していたようだ。

 胸を押し付けられた所で、彼女からは強烈な死臭がするし、アークブラッドベアがフラッシュバックしてそもそもイシュタを人間として認識出来ない。何より俺はもう少し年をとっている方がタイプだ。


 イシュタは薔薇の香水の匂いがキツい。腹の子供に影響は無いのだろうか。

 俺はリノンみたいな、控えめに金木犀が香るようなのが好きなのだ。


 イシュタは何度も腹を擦り付けて、妊娠しているのを強調させていた。

 妊婦さんのお腹は強く押し付けても問題無いものなのだろうか。


 俺がイシュタを睨んでいると、彼女はそれを気にせず勝手に話し始めた。


「私は家の都合で、好きでもない中年の男性と結婚させられたんです」


 とにかくリノンが可哀想だ。細い手足を地面に叩きつけられ、折れてしまってはいないだろうか。


「その夫は趣味も悪くて、私にたくさん乱暴をしてきたんです。家からは前より子供を作るよう言われていたのですが、この子は夫にひどい乱暴をされて不本意に出来てしまった」


 イシュタは衛兵に俺の左腕を離させて、自らの腹に触れさせて来た。

 こんな状況だが、妊婦に酷い事は出来ないし、力もさっきからだんだんと弱まっている気がする。

 やはり軍服の魔道士のあの杖には脱力の効果があるみたいだ。


 俺はリノンが気の毒で、リノンの方ばかり見ている。


「ねぇ、こっちを見てよ」


 俺がリノンばかり見ていると、イシュタは妊婦とは思えない力で俺の顔を掴んで、唇を合わせてきた。

 爪が食い込んで、顔を背けようとしても難しい。


「んむっ」


 さっきのあれで終わりじゃなかったのかよ。


 嗚呼、俺のファーストキスが不倫だなんて最悪だ。


 それを見たリノンは急に黙り込んで、イシュタの事をものすごい形相で睨んでいる。


 俺が全力で顔を背けると、爪は食い込む事なくイシュタの手は案外簡単に解けた。


「魔法使いさん、さっきのをもう一度」


 イシュタが軍服の魔道士に指示を出すと、魔道士はこちらに来て至近距離で杖を光らせた。


 すると、体に完全に力が入らなくなった。かろうじて目は開けていられるが、舌を動かすのすらままならない。


「これでも気を失わないんですね」


 イシュタと衛兵達は驚いている。


「おい、さっきから魔導具の起動は問題無いのだろうな」


「も、問題ありません!」


 エルンストは魔道士に確認を取っていた。

 魔道士も魔導具をしっかり確認した上で返答している。


 そういえば前に、リノンが俺には魔法の効き目がほぼ無いとか言っていた気がする。


「この魔導具の効果を受けて体が脱力するだけだなんて初めてです。これ、一応国宝級なんですよ?」


 イシュタはそう言って、もう一度唇を合わせてきた。


「ううぅ」


 今度は舌を入れてきた。ローズヒップの酸っぱい味がする。


「はぁ」


 イシュタは紅潮した顔をして舌なめずりをした。菓子を食べているようにも見える。


 すると、黙っていたリノンが暴れ出した。


「ケイに触るな! このクソババァ!!」


 リノンは三人掛かりで押さえられた。

凄い圧を感じる。これが覇気か。


「クソババァだなんて酷い」


「リノン……」


 イシュタは覇気での威圧にも全く怯みを見せずリノンに近づいて、胸元から注射器のような物を取り出した。


 まずい! リノンがやられてしまう。


「リノン! 暴れるな!! 分かった俺が小姓になります! その人には何もしないで下さい!!」


 重い体を何とか動かし、俺は声を出した。


「大丈夫。毒ではありませんよ。安全な場所に打ちます」


 こんな女を信用しろって言うのか。

 どうすれば良い。リノンに手を出させないにはどうすれば良いんだ。


そんな事を考えている間に俺を押さえていた衛兵も同じ注射器を取り出して、俺に打った。


「くっ?!」


 完全にリノンしか頭になくて、想定していなかった。

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